グローバルフォーラム
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「グローバルPMへの窓」(第156回)
強い思い、数十年を超えて

グローバルPMアナリスト  田中 弘 [プロフィール] :8月号

 7月には、コロラド州デンバーでの大谷翔平選手のMLBオールスターゲーム出場、そして23日開幕の東京オリンピック・ゲームと、コロナ禍でも人々をくぎ付けにするスポーツイベントが続いている。 デンバーと、いくつかのオリンピック競技会場と選手村がある臨海副都心(有明地区)地区には、筆者にとり、プロジェクトマネジメント関連で強烈な思い出がある。
 
 1985年デンバーで開催されたPMI北米大会(現在は世界大会に改称)に一財エンジニアリング協会エンジニアリング委員会(当時)代表として日本から初のPMI大会論文発表“Project Directing in the Japanese Context”を実施した。当時プロジェクトマネジメント委員会は委員長以下、筆者の所属企業の社員たちがリサーチリーダーを務めており、委員会の代表として先輩社員、そして、委員長の対海外広報官を務めていた筆者の2名の名義で論文発表申請を出し、無事受理されて晴れ舞台が与えられた。プレゼンテーションは筆者が行い、45分の時間枠のところ、46分かかると会場に事前に申告し、45分45秒で終えて会場を沸かせた。世界大会での論文発表は、1981年のIPMAコペンハーゲン大会で経験済であり、社業では海外企業に毎月プレゼンテーションを実施しており、自信をもって発表に臨めて、始めと中盤でジョークを噛ます余裕もあったが、練習は実に真剣に行った。実地想定リハーサルでは、小学生であった上の娘二人をお小遣い増額で釣って観客役をやってもらった。
 
 当時は委員十数名のPMI派遣団を編成してPMI大会に参加しており、派遣団は、PMの聖地米国でも我々のリサーチは十分に通用する(PMIからのスピーカーフィードバックでは発表は上位25%の範囲内)と自信を強め、以後の委員会活動でグローバPM研究と能力強化加速につながり、PMAJの母体となった日本プロジェクトマネジメント・フォーラム(JPMF)設立のコアメンバー育成に繋がった。
 
 臨海副都心については、所属先で業務部長を務めていた部にプロジェクトマネジメント技術チームがあり、その関連で、1990年から東京都が開発に着手した臨海副都心開発事業の顧客側プロジェクト総合監理コンサルティング役務のProject Directorを4年間兼務で務めた経験があるので大変思入れがある。大型公共開発事業で日本初のプロジェクトマネジメント・コンサル業務であった。施工を行う大手ゼネコン企業4社はコンサル業務の受注はできないというルールがあり、施主である東京都のプロジェクトマネジャーの方の、総合エンジニアリング会社の海外大型製油所プロジェクトのPM力をもってすれば、施工を行うわけではないので、都市開発の総合PMは十分にできるという判断で、ニュートラルであるエンジニアリング会社が受注したが、プロジェクトマネジャー他コンサルチームの人たちは大変苦労したし、筆者自身も、異なるしきたりのなかで。ゼネコン企業の方々にお叱りを受けた。それから臨海副都心開発も紆余曲折があり、開発開始から50年目に東京オリンピック開催の主要会場になった。
 
 今年は8本のオンライン研修を行ってきたが、いずれも数十年前のマイルストン的な出来事がご縁となって今日に繋がってきたものだ。与えられた機会は一期一会の精神で全力を尽くして成果を出すこと。それが、数年後、あるいは数十年後に結び付く。 🤍🤍🤍

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