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「きぼう」日本実験棟開発を振り返って (30)
―ISSでの会議はテレワークの原点―

宇宙航空研究開発機構客員/PMマイスター 長谷川 義幸 [プロフィール] :5月号

○ 電話会議の黎明期
 昨年から新型コロナウイルスの感染拡大で、企業や団体のテレワーク推進が求められているが、オフィースの資料にアクセスするのもセキュリティーが担保されていることが条件だし、かつテレコンではオフィースで会議するのとは違い会議の進め方にも工夫が必要だし、なかなか導入に及び腰になっているようです。私が「きぼう」開発をしているときに、電話会議を頻繁にやることになり、やがて場所を問わず仕事をするやり方になれさせられた経験を紹介します。

 1989年からISSに関わってきましたが、最初は、多種多用な会議が沢山あり、それもテレコンで行うことになり、うまくいくのか、英語は聞き取れるのか、うまくこちらの主張が伝わるのか不安が山積していました。今、日本の会社がテレワークに消極的なのも分かる気がします。
 私が「きぼう」プロジェクトに配属されたころは、日本ではワープロが使われ始めた頃でしたが、ISS計画が本格的に動き始めた時期でもありました。職員100人に1台程度、まだ手書きの時代で、ワープロは清書専用でした。JAXAの中で、NASAとこの大規模な宇宙プロジェクトを開発していく有人宇宙ミッション本部が、真っ先にIOTを使った仕事改革に突入することになりました。そのため、1人1台のパソコンが割り当てられ、NASAとの技術情報やデータを交換するためのセキュリティー強化されたインタネットも社内LANなど情報ネットワークが職場に張り巡らされていきました。(1) 職員は、ヘルプデスクの講習をうけてなんとか使えるようにはなったのですが、しょっちゅうトラブルがおき、ヘルプデスクのお兄さんやお姉さんの助けを求めていました。NASAは、電話会議を頻繁に求めてきて、朝晩どこかの会議室で英語が聞こえる状況でした。今までの仕事の仕方が大幅に変わり、アメリカ流のやり方にとまどうメンバーがかなりいました。他部署や民間会社から出向してきた人たちは、略語は多く、時間帯は不規則、英語がベースなどでカルチャーショックを感じてうつ症状になる方もいました。

 日米間には時差があり、朝早くか、夜遅くがいいのですが、日本の電車の通勤時間帯の制約がありますし、一方、アメリカ人は、朝早いのは構わないが夕方は家族のために早く帰宅しなければ
電話会議の黎明期ならない事情から、結局夜8時か9時から開始するパターンが多くなりました。電話会議のやり方も不安のたねでした。英会話のハンディーもあり、会議の進め方も慣れていないので、こいつはいったいどうなることか、これまで想像もしたことのない壮大な事業に参加して、不安と希望の入り混じった気持ちが皆の表情にでていました。有人宇宙開発の先駆者アメリカは、生き馬の目を抜くというような激しさがあり、修羅場に切り込んでいく覚悟がいるのではないか、との漠然とした不安の中に、最先端を走っているNASAヒューストンの世界に入り込むことができるので、気落ちがわくわくした希望がありました。見るもの聞くものすべてが珍しく、観察魔になって技術も仕事のやり方もすべて、自分たちの引き足に取り込んでいきました。

 直接会って会議をするときは、重要な文章や結論、アクションアイテムをスクリーンに映して、参加者の意見を聞きながら、リアルタイムにパソコンで修正し、会議終了後にコピーを持って帰るというやり方がNASA流でした。しかし、電話会議の場合は、勝手が違いさまざまな点で戸惑いました。しかし慣れてくるに従って、英語のうまいメンバーを前面にたて、相手と会議の進行役を行い、個別課題は、担当が資料に基づいて説明するようになっていき、自分たちがもっている技術を工夫すればなんとかなることが分かってきました。
 会議を何回も経験してやり方や雰囲気が分かったことは、込み入った長い議論をした場合、途中途中に皆が理解できるような短くまとめた文言を進行役が整理し、関係者に了解をとること、また、面識のない相手と話をする場合、感情の出し方、課題の処理の仕方など音声の抑揚からだけで仕事の進め方や技術的なバックグランド、責任の範囲などを事前にしらないと、「なんでそんなことをいうのか?」「なぜ、そこで反論するのだろう?」など判断に苦しむ場面がでてきました。
 NASAは、筑波だけではなく海外に出張した先でもテレコンで課題を調整することを求めてきたので、ヒューストンの電気屋Radio Shackで、持ち運びが便利な軽いスピーカーフォンを、皆が買い、いつでも持ち運んでいました。これは、電話につながるケーブルをこの器械につなぎ、電話の受話器の代わりに使うもので複数の人間が集まって相手と会議をするときに便利なものでした。また、電話会議の進め方のポイントは、次のようであることが分かりました。
  1. 1) 議事は、遅くとも1週間まえまでにメールでお互い配布
  2. 2) 会議資料の準備と対処方針と想定問答を作成する。
  3. 3) 特に、議論を呼びそうな議題については事前に対処方針を作成。

 その後、PCビデオ通話が導入されると、自宅から国内はもとより海外の会議や打ち合わせに参加するようになっていました。もちろん、セキュリティーを厳しくした上です。昨年の新コロナウイルス発生後、JAXAでは、どうしても職場に集まらなければならないもの以外は、自宅からのPCで資料をアクセスし、打ち合わせはPCビデオ通話で仕事をする形態になっています。頻繁にネットワークセキュリティーをアップデートし厳しく管理しながら仕事をやりやすいように工夫をしているようです。ISS参加から始まった米国流儀の仕事のやり方の波にのっていかざる負えない状況から、そのツールや仕事の進め方を身に着けたのですが、それがコロナという新しい仕事環境にうまく適合したのは幸いでした。しかし、この形態は、人間関係がすでに構築されていることが前提なので、新しい人とのコミュニケーションにはPC通信だけでは支障がでます。

 ISSでのNASAとの調整で、人と人との関係をうまく保つためには、言葉だけのコミュニケーションだけではなく、態度や表情、雑談などでその人の性格や生活などを知ったうえで、仕事をうまくこなしていくための潤滑剤(仲間意識)を切らさないことが大事だとお互い感じはじめました。そこで、半年の1回は、一同に会して直接会って会議することにして、日本でやったら、半年後はアメリカで行うようになりました。会議は1週間くらい続くので、真ん中くらいに懇親会を設け、お互いを知るリラックスした雰囲気をつくっていき人間関係をつくっていきました。さらにチーム員は、事前に相手の情報をキャッチして対策を立てておけば混乱を生じないので、駐在員に毎日NASAのオフィースにいってもらい「何か用はありませんか?」と言いながら小さなパーチションで仕切られた小部屋を歩きながら近づいていきました。“敵を知り己を知る”、を実践し始めたのです。そのうち、「ほら、もっていきなよ。」「これコピーしてもっていっていいよ。」といろいろな最新情報を入手できる関係になっていきました。ある方は、しばしば彼らは内部の打ち合わせ途中の資料をくれたりしました。駐在員や出張者は日本の土産を配って歩くようになりました。すると、相手もNASA広報用のステッカーやパッチをくれるようになったのです。これが蜜月のはじまりでした。(2)

参考文献
(1) 上原敏光、高波俊郎、「基本設計の頃-思えばバブル景気最盛期」、「きぼう」日本実験棟組み立て完了記念文集より、2010年、JAXA社内資料
(2) 北 康利、「白洲次郎―占領を背負った男」、講談社文庫、2009年1月

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