図書紹介
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JR上野駅公園口
(柳 美里著、(株)河出書房新社、2020年12月23日発行、第6刷、181ページ、600円+税)

デニマルさん : 3月号

今回紹介する本は2014年3月に書かれた本で、昨年11月に「全米図書賞(翻訳部門)」を受賞して話題となっている。筆者はこの受賞のニュース聞いて、ここで取り上げるべく昨年12月に文庫版を読んでみた。著者は、1968年生まれの小説家、劇作家である。高校中退後、東由多加率いる「東京キッドブラザース」に入団し、役者、演出助手を経て作家となる。93年「魚の祭」で岸田國士戯曲賞を最年少で受賞。97年「家族シネマ」で芥川賞を受賞している。他に「フルハウス」(泉鏡花文学賞、野間文芸新人賞)、「ゴールドラッシュ」(木山捷平文学賞)や「命」(4部作)等がある。更に著者は、本作の主人公の出身地である福島県南相馬市に居住し、地元の方々と多面的な交流をしている。その関係で東日本大震災の内容が一部出て来るが後述したい。次に「全米図書賞」を紹介したい。資料では、「アメリカで最も権威のある文学賞の一つであり、1950年に創設され全米図書協会(National Book Foundation)が運営している。2004年時点で、小説・ノンフィクション・詩・児童文学の4部門があり、受賞者には副賞として賞金10,000ドルとクリスタルの彫像が贈られる。先の4部門以外に歴史・伝記部門、科学・哲学・宗教部門、翻訳部門等がある。日本の作品では1971年に「山の音」(川端康成著)と2018年に「献灯使」(多和田葉子著)があり、本書が3作目の受賞」とある。さて、この受賞式は昨年末のコロナ禍の中、オンラインで行われた。その式典で、1950年に創設された同賞の歴史を振り返る映像が流された。創設から30年、受賞した非白人は3人、99年まででも13人だった。近年のアフリカ系アメリカ人の人種差別を訴えて「何世代も前から今まで、アフリカ系アメリカ人の苦しみや闘争が、私たちを自由にしてきた」という受賞スピーチがあったといわれる。また、米紙のワシントン・ポストは最終候補作品が発表されると「人種問題や平等を求める闘争」を扱ったものが際立った」と評している。実際、小説部門ではハリウッドのアジア系アメリカ人の作品や、ノンフィクション部門で黒人解放運動家マルコムXの伝記も入っていた。これは昨年の大統領選挙で浮き彫りにされたアメリカ社会の分断を象徴しているとも言われている。選考委員の一人が「世界がばらばらになると思われている時に書くことは難しい。だが作家として、この政治的状況に応える責任がある。私たちは証言する責任がある」と話したと報じられていた。今回紹介の本は、人種ではなく人間としての平等とは何かを書いている。時系列には、1964年東京五輪開催前から首都東京の建設ブームに沸く出稼ぎ建設労働者急増で地方の過疎化の中、主人公が経済的格差の拡大で生み出された歪み等を感じつつ生きていく。その60年後に東日本大震災が発生した。主人公の出身地の福島県南相馬市は、地震と津波の被害に加えて、福島原発のメルトダウン事故現場から25キロと避難対象地区に指定され、帰還もままならない状況となる。本書はこうしたリアルな社会状況下で、独り東京のJR上野駅公園口界隈をホームレスとして紋々と生きざるを得ない厳しい生き様を物語として描いている。

JR上野駅公園口           ――小説の舞台場面――
JR上野駅は、人によっては想い出の多い駅である。それをよく物語っているのが、歌手の井沢八郎が唄った「ああ上野駅」ではなかろうか。所謂集団就職列車で、東京に働きに出て来て最初に着いた思い出の駅である。その後、日本が高度経済成長する過程で、農閑期には多くの出稼ぎ労働者が上野駅から建設現場へ向かった。現在では、東北・上越等の新幹線の発着駅として「東京北の玄関口」と言われる様になった。そのJR上野駅には、不忍口、正面玄関口、浅草口等と10個所近くの出口がある。中でも公園口は、上野駅を象徴する様な上野動物園等のイベント施設が沢山ある。他に国立博物館、国立西洋美術館、東京文化会館、日本学士院や東京芸術大学等がある。桜の季節にはお花見で賑わう事でも有名である。従って、JR上野駅の乗降客は、東京駅に次ぐ多さで18万人・日(1位は新宿駅で77万人)である。本書の舞台となった上野公園界隈だが、1970年代には多くのホームレスが居た。だから当時上野駅の公園口を利用した人は、段ボールやブルーシートで覆った小屋を目撃した方々も多いと思われる。その頃、主人公は上野公園でホームレスをしていた設定である。

出稼ぎ労働者            ――小説の主人公――
主人公は、福島県相馬郡出身の昭和9年生まれ。東京で出稼ぎを始めたのは、昭和38年とあるから当時29歳位か。仕事は東京オリンピックで使用する運動施設の工事現場での土方作業であった。この会場建設では、福島県を含む東北地方の出稼ぎ労働者が多かったという。この出稼ぎ期間中に一人息子が21歳で孤独死する事故に遭う。その息子が生まれた日は、浩宮徳仁親王(現天皇陛下)と同じ日であり、それに因んで浩一と命名したとある。主人公は、出稼ぎ労働者である自分が息子の検死確認で警察の霊安室に居る状況を素直に受け止められない。自分の惨めさが、将来ある息子に圧し掛かって奪い去った様な虚しさが漂う。それから妻・節子が亡くなった時、自分は酒に酔って熟睡して気付かなかった過去もある。

二つの東京五輪           ――小説の時代背景――
主人公は、息子も妻も失い希望も失って生まれ故郷を離れた。そしてJR上野駅に再び戻ってきた。30年前には、東京五輪開始前の日本の高度経済成長を支える現場労働者であった。その後の東京五輪景気の恩恵を受ける事もなく時代も過ぎた。2011年3月に東日本大震災が発生し、東北地方は甚大な被害を被った。特に故郷福島県は、地震・津波に加えて原発事故もあって帰還も危ぶまれる状態となった。主人公が上野駅界隈でホームレスの生活を送ったが、故郷の福島の原発被災地近くの人々は自宅を残し避難先での生活を余儀なくされた。そして2013年9月に2020東京五輪の開催が正式決定された。こうしたリアルな時代背景の中で、物語が展開される。それも経済的に精神的に逼迫した生活環境の中での重苦しい苦痛に満ちている。著者の小説は、こした喪失をテーマにした“共苦”と自ら呼ぶ世界を描いている。今回の本では、もう一つ“苦悩”が加わり、読者に強く訴える筋書きとなった。

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