今月のひとこと
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 日本酒の文化 

オンライン編集長 深谷 靖純 [プロフィール] :1月号

 凍えつくという感じではないのですが、冬らしい年末年始となりました。
 日本漢字能力検定協会が毎年公表する2020年の漢字は「密」でした。20万人余が参加した同協会の公募で決まったそうです。セミナーがオンライン開催に切り替わり、結婚式等のお祝い事も参加者を絞り込むなどの1年でしたから、多くの方が「密」を恋しく思ったということでしょうか。忘年会や新年会がない年末年始は、何かを忘れたような感じですね。

 ということで、久々にお酒の話です。
 お酒という飲み物は、つくづく不思議だと思います。1合(180cc)も飲むと酔いが回って味覚も麻痺してくるのに、やれどこそこの酒が美味いだの甘口の酒は飲めないだの、味に関して延々と語る人がやたら多いのです。
 中国唐時代の酒仙詩人李白はお酒の詩をたくさん詠んでいますが、味を愛でるというよりは酔いを楽しんでいるといった印象です。当時はあまり美味しくなかったのかもしれません。ワインについては古代ギリシアあたりで香りについて言及した記録があるそうです。日本酒の場合は甘口とか辛口といった表現が江戸時代にあったようですから、その頃には味を意識するようになっていたのでしょうか。
 酔うためだけの飲み物から脱却して、嗜好の一つとして位置づけられているということはお酒にとってもお酒の作り手にとっても幸せなことです。嗜好品になったからこそ、様々な評価がされるのだと思います。
 「酒は純米、燗ならなお良し」というのは、粗悪な日本酒を駆逐しようと全国の酒蔵を啓蒙して回った上原浩(1925~2006、元鳥取県工業試験場技師(酒造技術者))という方の言葉です。日本酒ブームのきっかけになったといわれる漫画「夏子の酒」(1988~1991尾瀬あきら作)に登場する日本酒鑑定官のモデルといわれる上原氏のこの言葉のせいというわけでもないでしょうが、純米酒だけが本物でアルコール添加した酒は偽物だと思い込んでいる方が大勢います。日本酒を嗜好品として考えた場合、日本酒とは何かを定義するのは自然な流れであり、真贋をはっきりさせたいという気持ちは理解できます。
 上原氏の著書には「酒は純米」は日本酒というものの定義を確立しようという提案だといった説明が記載されています。醸造アルコール入りの日本酒も上手いが、サトウキビを原料にしたアルコールを添加したお酒を日本酒という範疇の中にいれるのはよろしくないのではないか、日本酒を日本の文化としてとらえた場合に純米酒のみを日本酒と定義してはどうかといった趣旨です。アルコール添加はコメが不足した戦時中の政策の名残だということで、なかなか、筋のとおった提案だと思います。
 2019年のPMシンポジウムで500年間日本酒を作り続けている剣菱酒造株式会社の白樫社長が、同社では昔からアルコールを添加して味を調えているという話をされました。剣菱というお酒の味は江戸時代から折り紙付きですが純米酒の基準は満たしていないということになります。さらに、国が定めた製造基準に収まらない製法で作っているので大吟醸といった特定名称も付けていないというということです。
 上原氏の日本酒を日本の文化として捉えるべきという主張には大いに賛同します。日本酒と呼べるのはどういうお酒のことを指すのか、有識者の議論が行われることを期待します。少なくとも、剣菱のように古くからある誠実な酒蔵が作ってきたお酒が日本酒の分類に収まるような定義をしていただきたいと願います。
以上

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