PMプロの知恵コーナー
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ゼネラルなプロ (123) (事例 民営化事業)

向後 忠明 [プロフィール] :1月号

今回からスリランカにおける民営化事業についての話となります、

 何故、民営化事業を取り上げたのか?
 民営化といった課題を実際の活動を通してどのようにその課題を解決していくとよいかを課題解決型プロジェクトの業務として捉えて考えたからです。
 PFI事業による半官半民の公営事業の委託も民営化の一種であり、Kさんはインドネシアでこのプロジェクトに参加し、多くの課題や問題に突き当たり苦労してきました。
 この経験を通して民営化事業を考えてみたいと思います。

 このインドネシアでの経験を生かして、この仕事の問題の解決に挑戦する気持で、N本社の依頼に従いスリランカの仕事をすることしました。

 この会社はスリランカテレコムと称し、日本のNTTと同類の会社であり国内電気通信を手掛ける会社で、本社はコロンボにあります。

 この組織は郵電省配下の公営企業であり、民営化による公共事業体からの脱皮を考え、スリランカ政府はスリランカテレコムの組織の効率化、業務処理の向上、透明化、財務の健全化、労働組合の問題解決等を目的に民営化することに決定しました。

 当初、Kさんはここに派遣される予定の立場はCFO(Chief Finance Officer)ということでした。
 その理由は、すでに派遣されていたCFOが労働組合につるし上げられ、職務継続が無理となり帰国するということになっていたようです。
 CFOの役割には財務関係以外に上記に述べた問題の解決を含む職務も含んでいました。そのためCEOは KさんにCFOの役割を求めてきました。
 しかし、あまりにも自分の経験や知識から考えても財務関係や債務問題の対応には荷が重すぎます。そこでCFOの役割を断り、財務関係の職務だけを外してもらうようにCEO にお願いしました。
 結局、CFOの役割はN本社からの来ていた財務担当の部長を据えることを CEOに納得してもらいました。
 そして、Kさんは新しい職種として CAO(Chief Admi Officer)といった名称を作り、財務関係の業務を外し、総務、人事、労務、施設管理、調達という所掌の役割となりました。

 このことは民営化での事業体の効率化及び健全化、業務処理の向上、透明化、労働組合の問題解決等々であり財務の健全化を除けばほとんどがCAOの所掌となっていました。
 民営化事業の目的に示す内容を考えると、この大きな企業の内政をNさんが仕切ることになり、Nさん自身もかなり重圧も感じたようです。

 マネジメント対象がスリランカ人でありその人達の宗教、習慣、行動、考え方も日本人とは当然異なるものがあり、その上に立って日本人がこの会社を運営するには多くの難問が突き付けられることが目に見えるようでした。
 その上、従業員が派遣を含め約10,000人であり、かつ電話事業だけでなく郵便事業もこの組織の所掌であり、そのため電話局や支社が全国に散らばっていて、これらをどのようにまとめていくかを考えただけで気が遠くなるような気がしました。

 民営化事業はP2Mでのプログラムマネジメントのサービスモデルに相当するものと考えられます。
 しかし、このサービスモデルの中にある業務でも解決していかなければならないプロジェクト化する多くの課題が潜んでいます。なぜなら、この事業そのものが変化に呼応した経営層の多義的であいまいな概念や思い、願望(~したい)を解決し、それを具体化し、計画・実行するといったことが出てきます。

 要するに、この命題は幾つもの解決しなければならないプロジェクトから成り立っていて、各々が全体解決の基礎となっていて、どの一つが欠けても命題目的が達成されないものでした。
 CAOの役割はその一部としてみました。そしてプログラムマネジャはCEO であり、CAOの役割は本事業の命題を達成するための一員であると考え、プログラムを構成するプロジェクトの一部であると自分なりに考え本事業に対応することとしました。

 ところで、Kさんの基本的職種は技術出身のプロジェクトマネジメントであることはすでに話した通りです。
 それでも会社役員としてインドネシアにてPFI事業で少しは会社経営に関与しましたので、何とかなると思っていました。
 このように、こちらに来て初めてKさんのやる仕事を知り、かなり緊張した思いで、「何とかなるだろうといった昔取った杵柄とくそ度胸」を思い起こし、この仕事を承諾することにしました。
 しかし、それでも昔のことを思い起こすと、エンジニアリング会社からまるで職種の異なる電気通信会社に移籍した時の驚きより大きなものでした。
 特に人事や労務といった仕事は全く関係したこともなく、プロジェクトチーム運営で自分のチームまたは部門で関与したくらいであり、10,000人もの従業員の組織でのマネジメントは全く経験がありません。
 Kさんはこれまで多くの多様なそして挑戦的にプロジェクトに取り組んでいた時のことを思い出し、まずやることはこの会社及びスリランカ国を取り巻く状況分析をやらなければと思いました。
 最初の一か月はそのための時間に多くを費やすことになるだろうと予測しました。
 そして、基礎的知識としてスリランカという国はどんなところか「旅の友」などの雑誌やすでにここに赴任していた日本人などから初期的なスリランカの事情や歴史についての知識についてヒアリングを行いました。

 スリランカは下図に示すようにインドの南海上に位置する島国であり、四国と九州を合わせたより大きく北海道より小さい人口1800万人です。

スリランカ

 スリランカは以前セイロンと呼ばれ大英帝国の植民地であり、1960年代はアジアで最も豊かな経済を謳歌し、周りの国の暗い経済を照らす行灯とも言われました。
 しかし、独立後、イギリスの所有する企業を次々と国有化し、社会主義経済政策により、独立後30年足らずで最貧国に転落してしまいました。
 その上、イギリスからの独立や宗教がらみの紛争が生じ、内戦が勃発し、状況はさらにまずくなりました。
 Kさんが赴任した時もこの内戦は続いていて、かなり緊迫した状態でした。

 日本との関係では日本が第二次大戦にて敗戦した時に連合軍からの厳しい追及に対して援護してくれた国がスリランカでした。そのため、日本はその恩もありアセアン諸国での中でも多くのODAを振り向けた国でもある親日国です。

 しかし、このような中でも経済運営上、国有化した企業の民営化は社会主義政策をとりながらも背に腹を変えられず、これを実行しなければ経済が持たない状況となっていました。
 この民営化の主な対象はスリランカ国でも最大の公社で電気通信事業を行っているSLT(スリランカテレコム)ともう一つは国営航空会社のエアーランカ(ここはUAEが経営権を取得しスリランカエアー)であった。

 このような状況でSLTの民営化計画が発表され、国際戦略パートナーシップを国際的に公募することが発表され、スリランカ国が持つ株式を入札することになり、N社もこれに参加することになりました。
 当然この民営化プロジェクトは、国際的関心を集め、アメリカ、香港の投資家グループの他テレコム企業としてフランス、コリア、マレーシアが入札に参加してきました。

 その結果N社が最終的には残ったフランステレコムと競い合ってこの厳しい入札を勝利することになりました。

 このようにしてSLTへの出資と経営参画に関する契約調印が行われました。

 スリランカの初歩的事情の知識習得と自分の役割の確認をCEOと確認したのちに、一度日本に帰ることになりました。

 さて来月はスリランカの事情と、すでにNさんが派遣される前にすでに派遣されていたN社の社員からの話などをしたいと思います。

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