PMプロの知恵コーナー
先号   次号

ゼネラルなプロ (122) (事例PFI 事業)

向後 忠明 [プロフィール] :12月号

 この事業はすでに説明したようにインドネシア電気通信公社(PT テレコム)とのコンセション契約が締結されてから始まりました。
 そして、その実行会社としてインドネシア、オーストラリア、日本の3国からなる特別目的会社(SPC)が設立されました。
 そして、本事業の最初の重要な仕事である設備建設が思わしくなく、SPC内の多国籍組織の運営もうまくいかず、マネジメント上での混乱が生じ、すべての作業が停滞する状況となり混乱の極みとなりました。
 その状態が長く続く中、SPCの要請により、このエッセーの主人公であるKさんはその立て直しのためSPCの調査を開始し、分析を通して、その対応策を各株主に説明し、その対応策が認められ、株主代表者たちの面接の結果、SPCのProject Director(PD)に就任することになりました。
 その体制立て直しを含めた対策案を実行に移し、業者に対する監視強化を図り、建設の進捗の立て直しを図りました。
 対策後、その効果が約1年で出始め何とかその混乱を納めることができたことも説明した通りです。
 その後、6か月間は工事も順調に進んでいました。
 しかし、その間でもタイから発生伝播して来た金融危機がインドネシアの為替に大きく影響を与えることになり、Rpの下落が激しくなり、レバラン、選挙、大統領の失脚、政治の混乱、暴動といった事象も発生し、工事も何度か中断しなければならなくなりました。
 しかし、そのような状況の中でもこの混乱の隙を見て、社員や工事業者を説得し工事をすすめ、何とか目標の達成を実現することができました。
 このように、多くの障害を何とか切り抜けて、十分ではないが一応目標に近い設備建設を達成し、冒頭のSPC内の事情もあり、PDの役割をKさんは降りることにしました。
 以上のようにこれまで多くの難題に遭遇しながら建設事業部長として、本事業を採算ベースに乗せるための基本となる設備の建設を目標に近いところまで成し遂げることができました。

 このSPCの設立から本事業にかかわった期間は約3年程であったが、Kさんのこれまでのプロジェクト経験で最もマネジメントの困難な事業であったと思っています。
 また、プロジェクトマネジメントということだけではなく、企業マネジメントという立場での経験も初めてであり、非常に苦しかったが有意義な仕事であったと感じています。
 その後、Kさんはスリランカテレコムといった従業員が10,000人規模の公営企業体の民営化事業に従事することになり、ここでの立場はこれまでと全く違った総、人、労といった業務系の役員として会社経営に携わることになりますが、業務内容が異なっても、インドネシアでの役員として「人をうまく使うスキル」を養ったことが役立つことになりました。
 次回はこのスリランカでのエピソードを話してみたいと思います。

 さて、話はインドネシアでのPFI 事業のその後ですが、スリランカに駐在しながらもやはりインドネシアのことが気がかりであり、SPCの終わり、すなわち、N社の本事業からの撤退までにどうなったか気にしていました。

 Kさんがインドネシアをはなれスリランカに行ってから株主のI社(インドネシア国際通信会社、日本での昔のKDD)が国内通信のライセンスをPTテレコム(中部ジャワ地区)から購入することを言い出しました。そのためのMOUをPTテレコムと結ぶことになりました。このことに関連して、中部ジャワの15年間のコンセション契約による使用権を持つSPCの株主達でこの会社をどのような価格でI社に売却するかといった売買交渉が始まりました。
 しかし、PTテレコム中部ジャワ地区がI社への資産移管に対する抗議活動が始まり、これが原因でMOU が解消となり、結局はSPCの売買交渉も中止となりました。
 このようなことが2年程続きましたが、SPCの事業としては完成された回線の売却と運用が主な事業であり、インドネシア経済も徐々に回復に向かい回線販売も比較的順調となり、収益もそれなりに出始めていました。
 しかし、それでも各株主から派遣されているマネジメント側はSPCを売却することに注力を注ぐことばかりで、社員にとっては自分たちの将来に不安を抱くばかりであったようです。
 このことはSPCの社員ばかりでなくこの事業に付随するPTテレコムの職員も同じ心境だったと思います。
 そのような中、香港のA社がPTテレコムに対してI社の売却条件をさらに上回る条件でSPCの株式買い取りの申し入れがありました。
 この話がきっかけとなり、SPCの全株主もこの話に賛成し、交渉に入り株式譲渡売買契約が行われました。
 しかし、この種のコンセションビジネスには必ず政治が絡み買主に対しては下記に示すような各種条件が出されることが通例です。になりました。例えば:
PTテレコムの承認
資金調達証明
投資にかかわる関係省庁の承認
 等々が必要となり、これらが満たされないと株式譲渡成立にはならないことになります。
 このように最後までこの株式売買のDealに時間がかかり、N社の担当者もこの売買契約有効期間ぎりぎりまで必要な要件を整えるため徹夜作業で何とか整えられたようです。

 しかし、残された社員やこの事業の運用を行う中部ジャワ地域のPTテレコムの職員などは最後まで抗議活動を行い、もめましたが、結局はSPC側も退職金などの割り増しを行うことで、何とかこのもめごとを鎮静化することができました。

 このように、最初から最後までもめごとの多い事業であったが、やはり多国籍で、かつ多くのステークホルダーをまとめるということはすべて”人“をまとめるということであり、会社経営もプロジェクトもパーソナルに関するマネジメントは重要なリーダとしての資格と思いました。
 特に、このSPC売却を見て感じたことは、ヨーロッパや米国系の騎馬民族の末裔でもあるオーストラリア人のビジネスでの戦略?戦術についての驚きでした。
 それはこの株式売却交渉のSPC側代表者としてオーストラリア側株主T社からSPCに派遣された取締役がアサインされました。買主側の香港会社の交渉代理人もオーストラリア人であり、SPC側雇用の弁護士もT社の強い要望でオーストラリア人となり、偶然とはいいがたいような組み合わせとなり、交渉の行く末はすべてオーストラリア人によるオーストラリアのためのDealにさえ、疑いたくなるような場面が見受けられました。
 そして、T社から派遣されたSPCの取締役は、このDealの終了後、親会社T社を退職し、売却先相手会社と契約し、新SPC社のManaging Directorに就任しました。
 このようなことはオーストラリアでは一般的な習慣かどうかわからないが、アジア文化としては、ビジネスエチケット・モラル等、感情的に受け入れられないものがあります。
 一方、インドネシア人は自分の国の中部ジャワといった一部地域の電気通信事業が香港の会社に10年以上乗っ取られるのを遠くから見ているだけのようでした。
 10年後はどうなるかわかりませんが????

 欧米系が自社の都合で会社を乗っ取るのもこのような手を使うのかと感心するばかりですが、やはり日本人のモラルや道徳心が邪魔してこのようなことはできないと思います。しかし、今後厳しい国際競争を勝ち抜くには場合によってはこのようなことも必要な気がしました。

 Kさんがスリランカで電気通信の民営化事業にかかわっていた時、NTTドコモに相当するスリランカの無線通信会社と回線の共有についての話し合いがあった時、その交渉相手はKさんがSPCにいたときのT社から派遣の財務役員であったオーストラリア人でした。
 ここでもまたびっくりしたのですが、この人間もT社をやめてこの無線通信会社に就職していました。
 このように様々な民族、文化、習慣、宗教などが入り混じる国際ビジネスにおいては、日本ビジネスマンはこれからも、理屈ではなく実業の世界で学び、若干面の皮を厚くかつ日本人の良い自己規律といったものをもって立ち向かっていくことが必要と思いました。

 一方、インドネシアは「何でもありのインドネシア」でありそして「何でもありにしている人」と思われます。人の行動様式が変われば、人を取り巻く環境も変わってきます。
 これから海外においてプロジェクトをまとめていく立場になるPMはオーストラリア人のように強く、かつ面の皮も厚く、そして日本人の良いところを見せながら、その国の文化、習慣、宗教そして民族意識を考慮しながら仕事を進めていく能力が求められるでしょう。

 長くインドネシアにおけるPFI事業についてお話をしてきましたが、これからのPMは海外においても活躍しなければならないと思います。
 実際に起きた事象やそこでの行動を述べましたが、Kさんのこれまで学んだプロジェクトマネジメントだけでは海外ビジネスは十分でないことも学んだ仕事でした。
 少しでも皆さんの参考になればと思い長く連載してきました。

 以上でPFI 事業におけるKさんのエピソードを終了します。

ページトップに戻る