図書紹介
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ぴりりと可楽!
(吉森大祐著、(株)講談社、2020年8月17日発行、第1刷、331ページ、1,600円+税)

デニマルさん : 1月号

今回紹介の本は、従来の本の選択方法(出版社やアマゾン等の売れ筋情報等々)とは違った形態で入手したので、その件について触れて置きたい。筆者は千葉県松戸市の観光大使を10年以上やっていた。5年前に退任したが、当時から親交のあったI氏からの薦めで購入したのが今回の本である。I氏は観光協会の要職にあり、松戸シティガイドの立ち上げや私設観光案内所(ひみつ堂)の経営を含めて市の観光振興等々に尽力されている。一方、著者がこの本の執筆にあたり何度も松戸を取材に訪れていた。そこで著書が完成した時点で、取材お礼を兼ねてひみつ堂にこの本を寄贈した事から、I氏と著者の交流が始まった。松戸市の宣伝に熱い情熱を注ぐI氏は、この本の宣伝を兼ねて「ぴりりと可楽!発売記念のトークショウ」を企画・開催したのだ。その間、僅か2ヶ月足らずで、この新型コロナウイルス感染拡大が治まっていないタイミングでの実施である。会場はJR松戸駅近くの松戸市民劇場(332人収容)で、コロナ対策で半分席数の制約があったが、ほぼ満席に近い盛況となった。筆者もトークショーを拝聴したが、著者と息の合ったトークは、江戸落語と松戸の繋がりを身近に知るいい機会となった。そんな経緯から今回この本を紹介する事になった訳です。さて本書の「ぴりりと可楽」は、主人公が江戸落語の元祖とも言われた初代三笑亭可楽であり、出世噺を綴った本である。それと落語家の芸名は、出世と共に変わっていく。例えば出世魚の鰤(ワカシ、イナダ、ハマチ、そしてブリ)の様である。10年近く前に亡くなった落語家立川談志師匠の例でいえば、前座名・小よし、二つ目・小ゑん、真打ち・五代目立川談志となっていった。この本での「三笑亭可楽」の場合も後述するが、詳しくは本書を読んでのお楽しみである。この文章は江戸語りの歯切れのいいリズムで、読んでいて心地が良く、あっという間に読み終わる爽快な本である。コロナ禍を吹き飛ばす勢いを感じさせる。著者を紹介したい。ペンネームと本名は一緒で、1968年東京都生まれ。大学在学中から小説を書き始める。電機メーカーに入社後は執筆を中断するも、2017年「幕末ダウンタウン」で小説現代長編新人賞を受賞している。それと本書で第三回細谷賞(2020年10月)を受賞している。この細谷賞は、「歴史・時代小説のジャンルで知られる文芸評論家の細谷正充氏が、当年の新刊から優れたものを選ぶ“発掘視点”の文学賞」と説明されてある。この賞の選考報告では「デビュー作から持っていた〝お笑い〟に対する強いこだわりが、遂にここで花開いた」と評価されている。それと細谷賞の第一回目(2018年10月)の受賞作品に「宝島」(真藤順丈著、講談社)が選ばれていて、このコーナーで2019年4月号に紹介していた。未だ歴史の浅い文学賞であるが、このコーナーとは縁がありそうである。

江戸時代の娯楽          ――京屋又五郎(櫛職人)――
この本の時代背景は江戸時代で、落語が隆盛を極めた18世紀後半以前である。当時の庶民の娯楽といえば、歌舞伎・相撲・演芸等と言われていた。落語は上方方面(現在の関西地方)が主流であったが、江戸幕府の興行禁止令で江戸での落語が出来ない状況であった。それでも江戸の落語愛好家は、旦那衆の道楽として料亭等で楽しんでいた。主人公の三笑亭可楽はプロの噺家になる以前が櫛職人の見習いであったが、好きな落語を果敢に演じていた。その当時の名前が京屋又五郎と称し、地元下谷では評判の素人噺家である。その素人が上方から来た芸人を向こうに回し、江戸の意地だと寄席興行を強行したが、無残な失敗に終わる。そこで又五郎は櫛職人を投げ出し、プロの噺家目指して落語修行に出る処から物語が始まる。その当時から又五郎を慕う「小鉄」と「左団次」は、弟子として全面的に影で支えていた。

江戸落語の黎明            ――山生亭花楽(素人落語家)――
又五郎の江戸での芸名は、“山椒は小粒でぴりりと辛い”から「山生亭花楽」と自称していた。江戸を飛び出して行った先は、越谷(埼玉県)から松戸(千葉県)である。共に江戸から江戸川を上った宿場街である。特に、松戸は水戸道中の関所もあり、人と物流の往来も頻繁である。又五郎一行が世話になったのは、松戸宿一帯を仕切る乾物問屋だが香具師の親分である。そこの旅籠で落語修行を重ねるのだが、地元で人気の高い芸人の話芸に圧倒された。それが「謎かけ」という演目である。お客からお題と称する言葉を出して貰う。それを即座に受けて一つの話として纏めて答えを返す話芸である。この本では「“除夜の鐘”と掛けまして」「“お寺の虚無僧”と解きます」「その心は、いずれも鳴るのは“しゃくはち”(尺八、百八つ)でございます」の例を紹介している。これを聞いた又五郎は、自分の落語との力量差を痛感し、独自の道を探って鍛錬を重ねた。そこで新たに見出したものが、三題噺である。この三題噺は、先の「謎かけ」が一つのお題に一つの話だが、三つのお題から一つの話に纏めるという独自の高度な話芸を作り上げたのだ。初めて三題噺を聞いたお客は、その斬新さと、演者である又五郎の話芸の素晴らしさに度肝を抜かれた。その評判は江戸にも届き、落語愛好家は挙って三題噺を待ち望み、それが江戸での寄席再開へと繋がっていくのである。

江戸落語と三題噺           ――三笑亭可楽(初代落語家)――
松戸宿での2年に亘る修行の打ち上げは、水戸徳川家老を主客とした大舞台である。そこで三題噺を演じたのである。お客も弟子も含めて初めて聞く話芸である。そこで出されたお題は、江戸御城、富士山、水戸の三つである。又五郎は即座に「整いましてございます」と三題噺を纏めたのである。内容は読んでのお楽しみであるが、主客の家老が大変ご満悦である。江戸での興行を応援するとの御言葉と、芸名を三笑亭可楽と名乗るお墨付きを頂いた。これで晴れて江戸での落語興業が実現されることになった。その可楽は、三題噺だけなく謎解きや「一分線香即席」なる短い落とし噺も演じていた。その後、弟子である小鉄が「林家正蔵」に、左団次が「三遊亭圓生」となり、後に可楽十哲と呼ばれる名人に出世している。尚、三題噺だが、今でも古典落語の出し物として「芝浜」や「鰍沢」等が演じられている。「ぴりりと可楽」は、江戸から現在に到る古典落語の歴史と三笑亭可楽の出世噺の一席であった。

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