PMプロの知恵コーナー
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「エンタテイメント論」(152)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :11月号

エンタテイメント論


第 2 部 エンタテイメント論の本質

7 本質
●エンタテイメントに関する「2つの不思議(再掲載)」
 前号で述べたエンタテイメントに関する「2つの不思議」を、今回も敢えて取り上げた。日本に於いて「エンタテイメント」は、如何に認識されているか? その実態は何か? その効用は何か?などをより理解して貰うためである。

   なお「エンタテイメント」は、「優れた発想」を促進する効果を持つ。従ってPMの成功やビジネス・イノベーションの成功に直結する。この事実を「PMシンポジューム2020」での筆者のオンライン講演の「まえがき」で述べた。そして「強い動機(夢)」を持って「優れた発想」をする事こそ、ビジネス・イノベーションを含むあらゆる経営と業務を成功させる「唯一無二の鍵」である事を強く主張した。

PMシンポジューム2020 講演

●1つ目の不思議
 日本には「ホスピタリティー学」、「観光学」、「ホスピタリティー学会」、「観光学会」などが数多くある。しかし「エンタテイメント学」や「エンタテイメント学会」などは存在しない。存在するのは、ライブ・エンタテイメントのやり方やエンタテイメント・ビジネスの成功法などのセミナーや討論である。しかしエンタテイメントを学問として又は実践論として専門的に深く掘り下げられていない。

出典 ホスピタリティに関する本(例示) 出典 ホスピタリティに関する本(例示) 出典 ホスピタリティに関する本(例示)
出典 ホスピタリティに関する本(例示) 左から順に、https://www.amazon.co.jp/BB-ebook https://www.amazon.co.jpad https://www.amazon.co.jp/

 日本の大学では、「エンタテイメント」を学問体系や工学体系として本格的に構築し、専門書を出版する一方、大学で教え、更なる研究を研鑽している学者が筆者の知る限り存在しない。日本の大学を事実上の「予算権」や「人事権」などの行使で制御する「文部科学省」等の官僚は、エンタテイメントを単なる「娯楽」としか認識していないか又は「歌舞音曲の川原乞食(★)」が演ずる事としか認識してない。従ってエンタテイメントの研究に国から研究費が出る事はない。また「エンタテイメント」の分野での研究で名声を博する可能性もない。

 余談であるが、権威や名声を得るため政治家、官僚などに接触し、媚びる学者(教授、准教授)が日本には極めて多い。しかも学会などは学歴別などの縦社会構造になっている。筆者が県庁三役であった岐阜県理事の時代や新潟県参与の時代、多くの分野の学者達から接触を受けた。彼らは大学で教え、その分野での学問を研究するだけなく、縦社会構造の学会、大学などの中で生き延びる道を探さねばならない。

 筆者は学者ではない。経営実務家である。しかしエンタテイメント業界にどっぷり浸かり、その分野で新事業を実現させた。この経験からエンタテイメントが持つ「優れた効用」を強く認識した。この事を世に知らせるべきと考え、「夢工学」を構築した30数年前から一人で勝手に「エンターテインメント論」を構築し、活用してきた。人様から見れば、「バカみたい」と思われていた様だ。

 なお以下でTV番組を議論するが、これに出演する学者は、TV局の意に反する様な事を突然発言する人物かどうか? 何を発言するか? すべて事前にチェックされている。「発言の自由」を強く求める放送関係者は、裏では意に反する学者を出演させないと云う「自由」を制御している。視聴者からの批判やスポンサーからの苦情を恐れるためだ。彼らが真に「自由」を求めるなら、学者を選別する事を止めるべきだ。後述する「放送の中立性」を順守するべきだ。日本は「自由の国」と思う日本人は極めて多い。それは「幻想」であるとまでは主張しない。しかし裏で「自由が巧妙に束縛されている国」である。

 ちなみに筆者は官僚時代、度々TV出演した。「生放送」の場で意に反する事など関係なく、言うべき事をズバリ、ズケズケと述べた。その内、出演要請が激減し、遂に来なくなった。しかし最近、川勝の事を忘れたのであろう。某TV局から出演要請が来た。若い女性のディレクターや若い女性の番組制作者を困らせるのは気の毒なので発言を少し制御した。女性に甘い様だ。

●河原乞食
 これは徳川時代に河原者、エタ(穢多)、キヨメ(清目)と蔑まされた呼び方もされた「芸人達」の事を云う。彼らの中の歌舞伎役者が京都四条の「河原」で興行していた事が「名前の起源」と言われている。しかし本当のところは分からない様だ。

出典:川原乞食と川原 左からhttp://mb-school.com http://bs7.cocolog-nifty.com 出典:川原乞食と川原 左からhttp://mb-school.com http://bs7.cocolog-nifty.com
出典:川原乞食と川原
左からhttp://mb-school.com
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●2つ目の不思議
 PMAJは、毎年9月に「PMシンポジューム」を開催してきた。今年は「コロナ危機」のため「全面オンライン・シンポジューム2020」となった。開催が危ういこと、昨年並みの開催ができないとPMAJの存立に関わると懸念された。しかし関係者の知恵と努力で大成功となった。この紙面を借りて「絶賛」を贈りたい。

 2つ目の不思議は、シンポジュームの講演やPM講座などの中で「エンターテイメント論」の範疇となる講演や講義が全く存在しないことである。そして「エンタテイメント論」を長年連載する筆者にエンタテイメントをテーマとする講演や講義の依頼が過去、一度も来なかったことである。

 そもそも本エンタテイメント論は、筆者が希望して始めた連載ではない。PMAJの前々・田中理事長と当時の渡辺編集長から執筆の要請があった為に始めたものである。もし「エンタテイメント」の本質と効用がPMAJの会員やPMAJの関係者に理解されれば、筆者に「エンタテイメント論」をテーマとする講演依頼がその内来るであろう。

●現代版の川原乞食
 昔は「噺家」、「漫才師」、「手品師」などの「各種の芸人」は、演芸場、演劇館、場末のストリップ劇場などで出演していた(箱出演、業界用語)。歌舞伎役者は、伝統芸能として国の支援や支持者の応援を受け、その地位を高め国内の歌舞伎座に限らず、海外でも堂々出演する様になった。

 なお地元の素人役者達で演じられる地域に根付いた歌舞伎が「地歌舞伎」である。筆者が理事をしていた岐阜県は、江戸時代から続く地歌舞伎で有名な地方である。地域の活性化及び地域文化の発展のため岐阜県庁も支援し、岐阜市民も応援している。

 さて「各種の芸人」は、その後、「地面の箱」から「空(電波)の箱」に向かい、TV放送番組に度々出演する様になった。「空」に引っ張り上げたのはTV放送業界とTV番組制作業界である。そして「お笑い芸人」と云う「一般名称」で彼らを認識する様になった。

出典:漫才師   出典:漫才師
出典:漫才師 左からhttps://www.bing.com/images/search?
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 「お笑い芸人」は、更にその後、多くのジャンルの番組に出場する様になった。最近では、政治、社会、教育、福祉などの問題を論じる番組にまで登場する様になった。

 しかも彼らは自身の学歴の低さ、教養の浅さなどを隠すどころか、それを逆手に「笑い」を取り、堂々と出演。人によっては深刻な政治問題や社会問題を論じる番組の司会までやっている。放送される番組の目的に沿った「真剣な討議」をすべき時に笑わせる。一方で日本の最高学府と思って出場させている「東大現役学生」や「東大出身者」をクイズ番組や知恵比べ番組に登場させている。しかし東大も、その他の京大、早稲田、慶応などの日本の一流大学は、ずっと以前から世界の一流大学ではなくなっているのである。この事実を知らない日本人があまりにも多い。

●どこか狂っている人物
 出演している本人も、出演させているTV放送局や番組制作会社の関係者も、どこか狂っている。しかも「自覚症状」が無い。最近の日本のTV放送局や番組制作会社は、「何でも有り」、「話題になれば良い」などの「無見識」な放送姿勢で、深みもなく、薄ぺらで、刹那的で、瞬間的な快楽追求のTV番組が増え続けている。

 前章で「現代版の川原乞食」は誰か? 敢えて特定しなかった。誰だか既に読者は気付いているだろう。多くの日本国民から蔑まされない様に、一刻も早く「自己改革」を断行して貰いたい。

 筆者はこれ以上、小難しい事を主張しない。しかしせめて「芸人」を起用するなら「本物のエンタテイメント」を演じる人物をTV出演させて欲しい。「エンターテインメント」の本質も、実態も理解せず、「偽のエンタテイメント」を日本社会の隅々まで浸透させる事を止めて貰いたい。

 日本のTV番組の「最低さ」「詰まらなさ」を見抜いた最近の若者はTVを観なくなった。更に中高年でもTV離れが進んでいる。その代わり、若者や中高年は、PCの大画面やスマフォの画面で世界中に発信されているYou tubeの映画、音楽、演芸などを「評価選択」して視聴している。その結果、日本のTV番組の質は益々落ち、超安価な制作予算でしか制作する事が出来なくなってきた。それはPC、スマフォなど電子機器の進化のせいだけではない。「真のエンタテイメント」を追求して来なかったせいである。

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●TVの「電波」は「公器」
 NHKを含む民放のTV放送局は、国が管理する電波の周波数を使い、●●チャンネルとして日本全国にTV番組を流す許可を法律に従って国から得る。何故なら、この電波は日本国民の「公器」であるからだ。

 日本のTV放送局は、「公器」を活用するに際して、ニュース、時事問題、教育、福祉、医療などの問題を扱う「社会性番組」を「中立的立場」で放送する義務と責任を負う。と同時に「楽しさ」、「面白さ」、「驚き」、「感激」、その逆の「恐怖」、「怒り」など扱う「エンタテイメント番組」も、やはり「中立的立場」で放送する義務と責任を負う。特に後者については「本物のエンタテイメント」かどうかを国民に選択させられる様に放送するべきなのである。名前が有名なだけで、「芸」もなく、「知恵」もないクソ芸人達をいつまで起用させるのか。クソ芸人の中から「裏」で放送プロデューサーの役割を果たし、当該番組を制御している人物が現れてきた様だ。これでは「お手上げ」だ。

 読者は放送に関しての「中立的立場」が何かは、先刻承知だろう。しかし敢えて説明する。それは賛成と反対の「両論」を「同時」「同質」に放送することである。賛成論者だけ又は反対論者だけが出演する番組を放送してはならない。出演者の主張のどちらを選択するかは、視聴者の国民が決めることで、放送局が予め決める事は義務と責任の「回避行為」であり、「放送法上の違法行為」である。この事は放送だけでなく、もう一つの重要なメディアである「新聞」に於いても同じ事が云える。しかし両メディアとも、その義務と責任を果たしていない。何故、この事を問題とする国民的な動きにならないか? 簡単である。問題とする動きをメディアが放送や報道をしないからだ。

 余談であるが、「公器」の活用に関して筆者は憤りを感じる放送局がある。それはBS11(イレブン)とBS12(トゥエルビ)である。この2局は朝から晩まで殆ど「ショッピング番組」を放送。時々、申し訳程度に、日本、韓国、中国などの古い放映済の時代劇や現代劇を再放映しているだけ。

 この2局は、番組制作の努力も、金も、時間も使わず、特定の視聴者のみを対象とするショッピングを促す番組を放送するだけ。それで広告料や放映料を稼ぐ。「公器」である電波の乱用である。社会性のある優れた番組や真のエンタテイメント番組を制作し、放送することである。いつまでこの乱用を放置するのか?

●次号の予告
 最後に本号で「優れた発想」の事を述べた。しかし「優れた発想」が出来ないと「内心」思っている人物が意外に多いのである。「優れた発想」をする才能は、「天才」だけに与えられたものではない。

 その「やり方」は簡単明確。発想法を体得し、自分に最も適した又は使い易い「発想法」を徹底して活用する事である。それでも「優れた発想」を生み出せない時は、PMシンポジューム2020で筆者が講演し、解説した「デック思考(夢工学式発想法)」を活用することを薦める。若しくは本稿の「7 創造」で連載した「デック思考」の各号を読み返し、学び、体得することを薦める。

 次号では、「エンタテイメント」が「優れた発想」を強く促すこと、また「優れた発想」の障害となる固定概念や先入観を排除する効果があることなどを「実例」を基に解説したい。
つづく

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