PMプロの知恵コーナー
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「エンタテイメント論」(151)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :10月号

エンタテイメント論


第 2 部 エンタテイメント論の本質

7 本質
●「国歌」が果たす役割とエンタテイメントの役割
 前号で書いた事を敢えて繰り返す。筆者は、自ら率いるジャズ・トリオ・バンドで在日米国人が主催するパーティーと日本訪問中のイスラエル人への歓迎レセプションに出演した事がある。筆者は宴席で出席者の国の「国歌」のイントロ(導入部)をピアノで弾き始めた。その瞬間、全員が一斉に立ち上がり、元気に、胸を張って、大声で唄い、宴席は最高に盛り上った。「国歌」を唄うことで、自分、家族、自国の未来に「夢」を託し、「使命感」を抱く。唄った人達は、「心」を通わせ、「感動」する。筆者とバンド仲間は、演奏しながら彼らの「感動」を共有した。その夜、筆者のバンドは最高のエンタテイメントを発揮する事が出来た。

出典:観衆、Jazz演奏 yahoo.co.jp/image/Jazz search=UTF yahoo.com/search/audience+clipart 出典:観衆、Jazz演奏 yahoo.co.jp/image/Jazz search=UTF yahoo.com/search/audience+clipart
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 一方日本の「国歌」の歌詞は伝統に立脚する。曲は短調(マイナー)で荘厳ではあるが暗い。日本人が世代を越え、胸を張り、自分、家族、自国の未来に「夢」を託し、唄える「歌詞」ではない。明るく、元気に、気持ちを高揚させて唄える長調(メジャー)の「曲」でもない。この「国歌」は太平洋戦争の無条件降伏など暗い過去の歴史を連想させる。今後もこの「国歌」を歌わねばならない。読者諸兄は、この事を如何に感じ、考えているのだろうか?

●エンタテイメントは接待か?
 そもそも「エンタテイメント」は、人々を喜ばせ、楽しませるだけでは不十分である。エンタテイメントする側も、される側も隔たりなく、双方向で「意思(理性)」と「感情(感性)」を通わせる。その過程で「感動」が生まれれば、これこそが「本物のエンタテイメント」である。

 「感動」は、「おもてなし」や「ホスピタリティー」からも生まれる事はあるのか? 「おもてなし」する側とされる側で「一線」が画されている。この一線を越え、両者混然一体に融合する時、「共感」は生まれる。しかし「感動」には、ある事を加えねばならない(此処に書き切れない。別途説明)

出典 おもてなし Omotenashcdn.newsapi.com.au/image 出典 おもてなし
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 コロナ危機で「観光事業」が壊滅的な状況になった。いずれ終息し、復活するだろう。しかし筆者はコロナ危機以前から日本の「観光事業」の「在り方」に疑問を抱いていた。観光事業に関わる地方自治体、企業、個人の関係者は、日本の観光事業を「おもてなし」、「ホスピタリティ」の観点からは十分考察してきているが、「エンタテイメント」の観点からの考察が不足している。

 そもそもエンタテイメント(Entertainment)は接待、歓待と辞書で訳されている。そのためエンタテイメント」が「おもてなし」、「ホスピタリティー」と同列で理解されている。しかしエンタテイメントを母国語として使う人達は、エンタテイメントをホスピタリティーとは別物に捉え、「遊」んで、「楽」しく、「共感」して、「感動」したいと云う願望を満たす存在として期待する。またその事を「暗黙の前提(Implicit Assumption)」としている。

 従ってエンタテイメントする側の例えば「エンタテイナー」とエンタテイメントされる側の例えば「客」は、いつも一緒になって「遊び」、「楽しみ」、「共感」する事を期待し合い、可能ならば「感動」を実現したいと考えている。従って日本の観光事業は、「おもてなし」すう事だけでなく、以上の意味の「エンタテイメント」を少しでも多く取り込む事を薦める。

 具体的には日本や海外からの観光客と一緒になって「唄い」、「踊り」、「抱き合い」、「感動」を生む「場」を作ること。筆者は「国歌」を演奏し、「感動」させる方法を思い付いた。筆者に負けず、「優れた発想(アイデア)」を生み出し、「感動」を実現させて欲しい。

 なおエンタテイメントは、「明るい娯楽」ばかりでなく、逆に「暗い娯楽」もある。その典型が「お化け屋敷」、「呪われた屋敷」などである。現在、声高に地方再生が叫ばれているが、地方には様々な奇妙な「伝説」や恐ろしい「民話」がある。地元の特定の山や河川などに絡んで言い伝えの形で残っている。これを利用しない手はない。例えば「恐怖の山」、「呪われた川」などをアトラクション化する。「怖い」ことを疑似体験したい云う人は実は多いのである。エンターテインメントこそが地方活性化の成功要因である事を元県官僚として訴えたい。

●不思議な事 その1
 不思議な事がある。それは日本には「ホスピタリティー学」、「観光学」、そして「ホスピタリティー学会」、「観光学会」などが数多くあるが、「エンタテイメント学」や「エンタテイメント学会」は全く存在しない事である。筆者の「エンターテインメント論」だけが存在する。何故か?

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 その原因は、日本の大学で「エンタテイメント」を学問体系や工学体系で構築しょうとする教授がいないことだ。また大学を背後で事実上制御する文部科学省等の官僚はエンタテイメントが地方活性化の鍵になるなど「夢」にも思っていない。それを歌舞音曲の川原乞食の演ずる事としか認識していない。官僚以外の多くの人もそれが学問の対象となるなど考えもしていない。

 一方「ホスピタリティー学」、「観光学」は、多くの大学で研究されている。その研究に国や自治体が支援している。文部科学省等の官僚の誰が? どの分野の何を? 研究対象や学問対象として重視しているか? これが日本の大学での最大の関心事の一つになっている。

 「今のまま」では、「エンタテイメント学」も、「エンタテイメン学会」も生まれない。筆者は学者でなく、経営の実務家である。しかし「エンタテイメント事業」に長年従事した者として、エンタテイメントが「楽しい」だけでなく、「発想」にも、「PM」にも、「経営」にも役立つ事を体感、体得、納得している者として、エンタテイメント論(The Entertainment Theory based on The Dream Engineering)を構築した。少しでも普及させ、世の中に役立たせたいと頑張っている。

●不思議な事 その2
 更に不思議な事がある。それは筆者が長年、エンタテイメント論を連載しているが、以前も、今も、「エンターテイメント」をテーマとする講演、研修をして欲しい」と云う要請を誰からも受けた事がない事である。筆者が毎月寄稿する「エンタテイメント論」は、その連載を要請したのは筆者ではなく、PMAJである。筆者は、毎年開催の「PMシンポジューム」の講演やPMAJの講座で「エンターテイメントをテーマとする講演や講座をやらせて欲しい」と自ら進んで要請する事が出来た。しかし敢えてそうしなかった。何故か? 

 エンタテイメントが誤解され、特にPM従事者からも「歌舞音曲」の類と思われている内は、どんな講演、研修などをしても無駄ではないか?と思っている。しかしその内、誰から「エンタテイメント」の講演や研修を依頼して来るだろう。

●本物のエンタテイメントの結集物
 大都市開発プロジェクトを除き、「本物のエンタテイメント」が結集した地上最大の「ビジネス・ユニット」は、ディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ツアーである。何故、そう言えるのか?

 筆者は下記の通り、両ユニットの事業に参画した経験からその様に言っているのだ。筆者は新日鐵勤務時代、ユニバーサル・スタジオ・ツアープロジェクトに開発総責任者として取り組んだ。しかし同プロジェクトは諸般の事情で中止された。この開発経験を買われ、筆者はセガにスカウトされ、新日鐵を退社。セガで最初の「ジョイポリス」を横浜で開館させ、その後の日本館展開も成功させた。この話と以下の話を筆者の自慢話と理解されない様に願いたい。

 セガの大成功が契機で筆者は岐阜県知事にスカウトされ、公務員試験を経て県三役の岐阜県理事に就任した。知事の要請で「リアル & バーチャル水族館」、「昭和村」などを実現させた。今も成功している。知事が筆者をスカウトした真意は此処にあった様だ。

 以上の経験から帰納された上記の2つのビジネス・ユニットの成功根源要因は、パーク施設、施設システム、施設内の「おもてなし」のサービスなどではない。「本物のエンタテイメント(ライブ・ショー、マシン・ショー等)」を提供し、観客と「感動」を共有できる知恵を出し、実現させたこと在る。全てのビジネスの成否は「優れた発想」の存否に依る。だから筆者は長年「創造」の章を続けた。

 筆者は岐阜県理事時代、ウオルト・ディズニー社に接近し、同社の社長に直接会見した。岐阜県昭和村の建設にディズニー社を直接参画して貰うよう要請した。しかし同社は東京第2ディズニーランド建設(ディズニー・シー)に忙殺される一方、中国、アジア諸国でのディズニー計画の実現に着手しており、岐阜県に協力できないと残念の回答を得た。この時、筆者個人に飛んでもない「幸運の玉」が同社長から投げられた(機会を見て紹介する)

●感動を生むエンターテインメント
 世界中の人々に感動を与え、同時に深く考えさせたエンターテインメントの実例を紹介したい。それは、2020年9月12日、テニス全米オープンの「大阪なおみ」選手の2度目の優勝である。

出典 黒マスク~プレイ~優勝カップ theundefeated%2Fstatus%2F130image%3D~ asahi.com/articles/photo/AS2020.html~us-open-naomi-osaka-winning-title-134306709.html 出典 黒マスク~プレイ~優勝カップ theundefeated%2Fstatus%2F130image%3D~ asahi.com/articles/photo/AS2020.html~us-open-naomi-osaka-winning-title-134306709.html 出典 黒マスク~プレイ~優勝カップ theundefeated%2Fstatus%2F130image%3D~ asahi.com/articles/photo/AS2020.html~us-open-naomi-osaka-winning-title-134306709.html
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 彼女は人種差別反対の大会に参加する一方、本テニス大会への出場を棄権し、「私はアスリーである前に黒人女性です。私のテニスを見るより、もっと関心を持つべき事が他にあるはず」と主張した。彼女はその後の経緯で棄権を撤回し、マスク姿で優勝までの7試合登場した。

 彼女は棄権と云う「沈黙」より、出場とマスク姿での抗議と云う「行動」を選択し、強い信念をパワーに変え、優勝した。世界中の多くの人々は「感動」した。プロとして最高の「本物のエンターテインメント」を発揮した。と同時に「人種差別問題」を多くの人々に「自分事」として考えさせた。

 今から1年前(本稿第139号=2020年9月19日)、ゴルフ全英オープン2019で「渋野日向子」が優勝し、多くの人に「感動」を与えた。1977年全米女子オープンに優勝した樋口久子選手以来、男女を通じて2人目のメジャー制覇で、42年振りの快挙である。日本の超有名男子プロの尾崎も、青木も、中島も「夢」にまで見て挑戦し果たせなかった世界メジャータイトルを、当時20歳の彼女がやってのけたのである。日本女性は強い! 日本男性は弱い! しっかりしろ!
 
 ちなみに渋野選手は、今年は目立った活躍をしていない。しかし大阪なおみ選手も2年間は優勝していないのだ。渋野選手は来年メジャーで活躍すると思う。

出典:渋野日向子選手 優勝

 日本のゴルフ評論家達は、彼女の今年の試合状況を解説しながら、昨年の全英オープン優勝の要因は、彼女の「スマイル」にあったと、以前も、今も、同じ議論をしている。彼ら自身は、口には出さないが、自信溢れた解説から「自分達はプロ評論家」と思っている様だ。ならば「本物の評論」をすべきだ。彼らは、真の優勝要因を追究しない「クソ評論家」だ。

 彼女はダブルボギーを出しても自分を信じて挫けなかった。失敗すると優勝戦線脱落と云う最も危険なコースでドライバーをフルシングし、勇敢に、ミスを恐れず攻め、バーディーを取った。更に3パットを覚悟し「Never Up、Never In」のゴルフパットの鉄則を守り、最終ホールではホールの反対側の壁にゴツンと当たる様な強いパットを打ち、バーディーをもぎ取り、優勝した。彼女は、「スマイル」でも、「幸運の女神」でも、「偶然」でもなく、自分には「決断すれば、実現させる本物の力(パワー)」があると信じ、ミスを恐れず、勇敢に挑戦して、優勝した。筆者はそう信じる。

 大阪なおみ選手は、テニス評論家達と同様、「精神的に強くなった」と主張している。しかしそれだけではないだろう。彼女も自分には「決断すれば、実現させる本物の力(パワー)」があると信じ、ミスを恐れず、勇敢に挑戦して、優勝した。筆者はそう信じる。

●発想、PM、経営に役立つエンターテインメントと本物の力
 筆者は、今回の全面オンラインの「PMシンポジューム2020」で「デック思考によるビジネス・イノベーションでDX時代に挑戦」と云うテーマの講演を録画で実行した。時間があれば、視聴して欲しい。何故ならその講演論文の「まえがき」で以下の事を訴えているからだ。

 その訴えとは、エンターテインメントが①エンタテイメント業界だけでなく、製造、流通、物流、金融、情報システム、医療、福祉、教育などあらゆる業界で役立つこと、②各種の業界が直面した「経営危機」を突破し、ビジネス・イノベーション(経営改革)を成功させる「鍵」になること、③この事実をエンタテイメント業界人すら気付いていないこと、④この機会に「エンタテイメント」に関心を持ち、経営と業務の役立てて欲しいと、薦めていることである。

 本号でエンターテインメントは、発想、PM、経営に役立つと述べた。また2人の女性アスリートの持つ「本物の力」を述べた。これらの事について次号以降、順不同になるが、順次解説していく。
つづく

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