PMプロの知恵コーナー
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「エンタテイメント論」(150)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :9月号

エンタテイメント論


第 2 部 エンタテイメント論の本質

7 本質
●「エンタテイメント」を文章で書く困難さ
 前号で①「どんなときも」、②「Life Can Be Beautiful」、③「私」の3つの音源を紹介した。①の作詞作曲は槇原敬之、②の作詞はChloe Monroe、作曲は川勝良昭、③の作詞は檜垣俊幸、作曲は川勝良昭、①と③はYouTube画像、③は川勝の演奏音源である。

 これらを掲載したのは、繰り返しになるが、エンタテイメントの片鱗を感じて貰い、エンタテイメントとはそもそも何なのか? どんな役割を果たすのか?などを本稿の第100号(2016年6月25日)を読んだ読者と共に今回も感じて、考えて貰おうとした為である。

 それにしても、エンタテイメントと云う「形」が無いものを「文章」で書く難しさを痛感している。筆者の稚拙な文章表現力でこの「本質」を如何に書け現わせばよいか? 自問自答し、苦闘している。

  出典:ラスベガス・ライブショー
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 筆者は、私小説ばかり多い日本の小説に興味を失い、あまり読まなくなった。しかし如何なるジャンルの小説も、読者の理性と感性に直に訴える表現力を持って書かれている。小説家は流石であると常々敬服している。

 さて筆者は、「エンタテイメント論」の「本質」を小難しく解説する積りはない。読者に毎月気軽に読んで貰う事を目指している。そのためエンタテイメントを構成する様々の事物(コトとモノ)をその都度、順不同で取り上げ、様々な角度から評価し、解説したい。その過程でエンタテイメントの「在り方」となる「本質」の一端やその具現化の「やり方」などを紹介していきたい。

●エンタテイメントのTV情報とYouTube情報
 さてエンタテイメントの1つの形態で我々が最も身近かに楽しんでいるのが「テレビ」である。コロナ危機に直面し、多くの人が在宅勤務をする一方、連休でも、お盆でも外出を抑制し、自宅に籠る事が多くなった。その結果、自宅でテレビを視聴する時間が急増した様だ。

 周知の通り、日本のTV放送は、地上中継所を使用する「地上波放送」、放送衛星を使用する「BS波放送」、通信衛星を使用する「CS波放送」の3つがある。

 地上波放送では、NHK1チャンネル、NHK2、日テレ4、テレビ朝日5、TBS6、テレビ東京7、フジテレビ8などがある。BS波放送では、NHK BS1、2、BSプレミアム3、無料放送のBS日テレ、BS朝日、BS・TBS、BSテレ東、BSフジなどがある。また有料放送のWOWOWプライム、ライブ、シネマ、シネフィルWOWOW、スターチャンネル、グリーンチャンネル、BS釣りビジョン、ディズニー・チャンネルなどがある。CS波放送では約80チャンネルもあり、書き切れない。

 現在の多くの若者は、TVをあまり観ない。彼らはPC、スマホ等で様々なジャンルの情報を獲得し、楽しんでいる。筆者もその一人で、You Tubeや海外のYahooなどにアクセスし、映画や音楽を楽しんでいる。劇場公開後やTV放映後のものなら米国、中国、韓国など(日本も含め)の劇映画やTV長編ドラマなどの殆どを「無料」で楽しめる。英語字幕付きが多く、どこの国のものでも楽しめる。この事を知らない日本の中高年者が多い。僅かな固定料金を支払えば、世界中の映画、ドラマ、スポーツなどの番組を観て楽しめる。

●家族一緒にTV番組を視聴するか?
 家族全員がソファーに座って一緒にTVを観ている風景を掲載した。

  出典:テレビ視聴風景 
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 今は、「一人一台」の映像視聴機器(TV,PC.スマフォなど)を所有する時代である。家族一緒にソファーに座って、全員が一緒にTVを観て、時には一緒に唄い、唄わない人でもその歌を楽しむ。この様な光景は殆ど無くなった。あるとすると、家族全員が食卓で食事をする時、TVを観る場合であろう。しかし「食事中はTVを消しなさい」と「山の神」から命令が下ると、家族全員が一緒に視聴する機会は一瞬にして消え去る。ちなみに若い読者は「山の神」とは何か、知っているか?

 一人一人が自分の視聴したいものを自分の映像視聴機器で視聴する。この結果、祖父母、父母、子供、孫の4世代を跨って一緒に楽しむ「場」が家庭内から激減した。と同時に全世代共通のTV番組、TV音楽番組なども激減した。まさにエンタテイメントの世代間分断が起こった。言い換えれば「個のエンタテイメント」になった。それはそれで時代の変化だと割り切る考え方もある。しかし筆者は、ある機会でその変化を極めて「寂しい」、「残念」な事と思う様になった。

●上を向いて歩こう
 誰もがレセプション、パーティー、家に招待された経験を持つだろう。筆者も同様である。筆者を招待した人で筆者がJazz Pianoを弾く事を知っている場合、その人から筆者はいつもジャズピアノの演奏を頼まれる。招待受けた以上、お返しの意味からも必ず弾く。しかし演奏を終えると、その「場」を盛り上げるため。筆者から自発的に「唄いたい方いませんか?伴奏しますよ」と声を掛ける。また「皆んなで一緒に唄いませんか?」と提言する。

 「唄いたい」と言い出す人は、プロ歌手以外に殆どいない。しかし「プロ歌手」がいる時は伴奏を頼まれる。キチンと唄う事を信条にするプロ根性のある歌手は、男女共に小型の楽譜を必ず持参しており、伴奏者に楽譜を見せる。筆者もその楽譜で当該歌手が気持ち良く唄える様に頑張る。

 問題は、年寄も、若い人も、世代を超えて皆で唄える曲が見付つからない事だ。曲を見付けようと時間を掛けると「場」が白ける。筆者は、その時、坂本 九の「上を向いて歩こう」のイントロ(導入部)をピアノで弾き始める。その曲に気が付き、皆は、頷き、元気に唄い始める。

 唄い終わると、全員が満足気に大きな拍手をする。これで閉会となる。筆者は、どのレセプションでも、どのパーティーなどでも、「上を向いて歩こう」の楽譜を用意し、その曲を伴奏する。しかし世代を超えて皆が歌える日本の曲が余りにも少ない。この事に「寂しい」思いを抱く。残念である。

出典:上を向いて歩こう(Sukiyaki Song)ランク sukiyaki+song+imagesmex_sos_charts_1963 出典:上を向いて歩こう(Sukiyaki Song)ジャケット sukiyaki+song+imagesKyu_Sakamoto_Sukiyaki_Ueo_Muite_Aru_Kou_1962 出典:上を向いて歩こう(Sukiyaki Song)楽譜 sukiyaki+song+images cover-medium_large_file.png&action
出典:上を向いて歩こう(Sukiyaki Song)ランク、ジャケット、楽譜
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 ちなみに「上を向いて歩こう」が1963年の「Summer Top10」の5番目にランクされた写真を偶然発見した。Billboard誌のものかどうかは定かではない。いずれにしても、日本のポピュラー・ソングで全米でヒットし、多くの人に唄われ、最近でも米国の歌手やボードビリアンに唄われる歌は「上を向いて歩こう」だけである。しかしこの曲を「スキヤキ・ソング」としている事が気に食わない。いずれにしても昭和時代から平成時代を経て令和時代の今まで、世界的にヒットし、世界の多くの人に唄われた日本の曲は、「スキヤキ・ソング」だけである。「寂しい」限りだ。残念だ。

 太平洋戦争の敗戦の焼け野原で多くの日本人は、世代を超えて唄った歌が「赤いリンゴ」であった。唄わない人もこの曲を楽しみ、明日のために頑張った。高度成長時期は、家族全員がTVを一緒に楽しみ、多くの歌を一緒に唄った。「音楽」と云う「エンタテイメント」は、世代を超えて多くの日本国民を結び付け、気持ちを高め、頑張るパワーを与え、日本の高度経済成長への挑戦心を支えた様に思う。

●世代を超えて皆んな一緒に唄う国民
 現在の米国は、トランプ大統領の米国第一主義の行き過ぎ、米国世論の分断、コロナ危機による経済的危機、米中間の深刻な亀裂など様々な国内外の問題に苦悩している。しかし一般の米国人はどうなのか? 彼らの行動について面白いエピソードを紹介したい。

 筆者は「The Kings Trio + One」の名前で東京都内のジャズ・ライブ・ハウスで本職の傍ら、プロ出演している。編成はピアノ(筆者担当)、ベース、ドラム、女性歌手である(コロナ危機で出演中断)。筆者のバンド活動が「口コミ」で在日米国人に知れ、彼らから要請を受けて、彼らの主催するパーティーで出演する事が何度かあった。

 パーティーの最後の場面で「皆で唄いたい。伴奏して欲しい」と云う希望が主催者から必ず出てくる。彼らは世代を超えて共通に唄える曲を色々持っている。日本と随分違う。唄いたい曲名を筆者に示す。楽譜があれば問題はないが、時々全く知らない曲のリクエストがあり、何とか頑張って伴奏する。筆者はこの種の希望が出る事を知っているので、可能性のある曲の楽譜は準備する。その楽譜の中で極め付きの「楽譜」がある。

  出典:米国・国会議事堂と国旗 
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 筆者のバンドが極め付きの「楽譜」の曲のイントロを演奏し始める。その瞬間、酔っぱらっている人、眠そうにしている人などを含めて全員が立ち上がる。年配者も、若い人も、男女とも唄い出す。筆者のバンドの女性歌手がマイクで唄う声より大きい声で、元気に、明るく唄う。その曲とは「米国合衆国の国歌」である。

 唄い終った瞬間、全員が大拍手で抱き合う。凄い興奮状態になる。筆者のバンドへの賛辞と約束の出演料に特別ボーナスが付く。それに「味」をしめた筆者は、バンド出演を要請した人の国の「国歌」の楽譜を必ず持参し、演奏し、稼いでいる。エピソードはまだ続く。

 日本人主催の某パーティーに出演した。招待された人達の半数以上がイスラエル人が占めていた。会の途中で日本人の主催者が筆者に「イスラエル人の方々が唄いたいので伴奏して欲しい」との希望してきた。筆者は迷わず、「イスラエル国歌」のイントロをバンド演奏を開始した。

 イスラエル人の客は、全員、直立不動、誇らしく、声高に、酔いも加わり、男女共、大声で、中には「涙」を流して唄った人もいた。唄い終わり、全員が大拍手、凄い盛り上がりを見せた。不幸な歴史を背負ったユダヤ人の建国の国歌に、彼らは未来を託して「頑張るぞ!」と云う意気込みを示した。しかも異国の地の日本で思いもよらぬ母国の国歌を皆で唄えたのである。感激した客の一人が筆者に抱き付いてきた。

  出典:イスラエル国旗
https://ja.wikipedia.org/wikimedia:Flag_of_Israel_(1948) 出典:イスラエル国旗
https://ja.wikipedia.org
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 以上の2つのエピソードと日本人が国歌を唄う状況を比べてみれば分かる。日本の国歌は、短調(マイナー)で暗い。日本の伝統に立脚した歌であるが、国民全員が気持ちを高揚させ、日本国の為に頑張ろうと勇気付ける様な「歌詞」でも、「曲」でもない。太平洋戦争の無条件降伏と云う暗い過去の歴史を連想させる日本の国歌は、世代を超えて、高らかに唄えない。しかも曲が長調(メジャー)でないため元気が出ない。「寂しい」限りである。残念である。

 現在の米国も、イスラエル国も、国内に様々な大問題を抱えて苦闘する国である。しかし筆者のバンド伴奏で目を輝かせ、胸を張って唄っていた米国人やイスラエル人が姿が忘れられない。歌は人々に「感動」を与え、「夢」を描かせ、「使命感」まで与える。更に多くの人の「心」を結び付ける。その様な働きをする「国歌」を持つ彼らを羨ましいと筆者は演奏しながら強く実感した。
つづく

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