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「きぼう」日本実験棟開発を振り返って (23)
―ISSプロジェクト統合センターを筑波に―

宇宙航空研究開発機構客員/PMマイスター 長谷川 義幸 [プロフィール] :10月号

○ 明治維新のような米国からのISS参加呼びかけ(1)
 1982年のアメリカ政府からの国際宇宙ステーション計画への参加呼びかけから始まりレーガン大統領と中曽根首相との親密な間の関係もあって、国際的な有人宇宙計画に日本が参加することになりました。日米合意の状況は日本風ではなくトップダウン的に行われたため、その計画の実作業立ち上げについての準備もあまり整っていませんでした。そのため予算も組織の手当ても十分ではない中、1985年からNASA主導の国際会議がどっと押しかけてきたため、必要な作業と人員も必要経費も急速に膨張していきました。当時、財政当局を中心とした政府は、有人宇宙プロジェクトは膨大な資金と人命に関わるリスクがあり、自らは直接責任をもたないでアメリカの傘の下で進めるものとの見解でした。そのこともあり、既存のロケットや衛星などの開発プロジェクトの範囲を超えて新しい一歩を国外に踏み出そうとする未知の国際共同プロジェクトに違和感を感じている方々から、「関東軍か」と囁かれていました。当時、日本はアメリカから自立したロケットを持とうとしていた時期で、アメリカが日本にお金を使わせ、日本独自の宇宙計画を推進させないための方策ではないか、ISSの予算を無理やり捻出すると、既存の計画を断念することにもなるので、宇宙関係者が皆この計画について歓迎していたわけではありませんでした。幕末のあの黒船騒動以来、常に日本との文明の大きなギャップを携えてやってくる日米関係のガリバー的な違和感がこの背景にありました。

○ つくばに開発・運用の拠点ビル群建設へ
宇宙ステーション総合(SSIP)センターの構成  1988年4月、「きぼう」の開発段階移行に備えて組織編制が行われて宇宙ステーション開発本部ができました。そして、「きぼう」開発・運用、宇宙実験のため国内外の技術者や研究者が集まって国家プロジェクトとして推進してゆく日本の拠点施設を建設することになりました。必要な筑波宇宙センター内の敷地がありませんでしたが、幸い南西角地に湿地気味の林地(右図の赤丸)をなんとか確保できる見通しが立ちました。しかし、施設全体構想、配置、設備要求などのマスタープランは基本的なものしかなく、まだぼやっとしていました。建設を担当するのは施設部で、開発本部から施設整備要求を提示しなければなりませんでした。このような状況の中、筆者はその開発本部に配属されました。(1)(2)
 地上施設整備要求を作成すべく、本部内の各部門から2名づつ代表者が集まり討議をしましたが、予想外にまとめ役は筆者がやることになりました。JAXAに入社してから衛星コントロールの施設、アンテナ、通信、コンピュータシステムをやってきましたが、土木建築の仕事をしたことはありませんでした。門外漢がビルの施設要求をつくることができるのか、非常に不安になりました。上司に相談したところ、ちょうど建設会社から1級建築士が出向してくるのでその方と2人でやりなさい、ということになりました。

○ 施設要求仕様作成での工夫
施設要求仕様作成での工夫  与えられた仕事は、どれもこれも初体験のものばかり、本部内の人間関係も複雑でよく分からないことだらけでした。例えば、最大30トンのトレーラーがクリーンルームの試験棟に機材を搬入するため曲がる角度を確保し、搬入物をクリーンルームの開梱室にいれられるか、外側のシャッターをしめ、トレーラーごと、空気洗浄し、天井クレーンで荷物をつり、内側シャッターをあけてクリーンルームに搬入するなどの動線は確保できるのか?さらに。施設のレイアウトを固めるため、アイデアをポンチ絵にして、電源、通信、空調、コンピュータ、窓、廊下、セキュリティーなどの装置を配置しながら、要求仕様の素案を書いていきました。2人で、A3の紙に予定敷地の大きさに合わせて5つの施設の形を紙に切りぬき、既存の試験施設と今回建設する施設で「きぼう」日本実験棟のいろいろなシステムや機材の搬入をメーカーから輸送し、各種の試験や運用が総合的にスムーズに行えるかについて、検討チームの代表者からだされたアイデアを「あーでもない。こーでもない」と候補施設配置の最適な場所を探して切り抜いた紙をいろいろなところに動かしてみて2人で頭をひねりました。2次元のポンチを何回もじっとみつめていくと、そこから、これから作ろうとしている施設や設備の姿を頭の中で立体的に描いていくことが少しづつできるようになってきました。

○ 社内エンジニア間の調整(御用聞き)
 そして、本部内の関係者に直接何回も出向いて、このポンチ絵を使い、考え方や要求仕様はあっているかを、すり合わせる作業と手直しを行っていきました。ご用聞き調整作業を足繁くやっていくうちに、先方のアイデアが現実的でないもの、先方も総合的な観点ではよくわかっていなかったものが見つかり、、 宇宙実験棟 現実的な解はこれではないか、とやり取りをしていくうちに人脈形成になっていきました。調整をしながら、先方が気になっている技術課題を聞くことができるのと、その方のパーソナリティーと組織の中の役割を把握することができるようになりました。  構想をまとめるにあたり沢山の課題があるものについては、ポンチ絵と整理した書類が構想をまとめていく手段として非常に有効であるのと、人と人との調整なので辛抱が必要であることを学びました。最終的に、中央に宇宙実験棟(右上写真)、左に「きぼう」の技術試験を行う宇宙ステーション試験棟、右に「きぼう」の運用棟を配置した凹型の配置となりました。また、運用準備の施設として無重力を模擬するプールと宇宙飛行士養成施設をすこし離れた場所に配置しました。

<参考文献>
(1) 富田忠治、「宇宙ステーション総合プロジェクト(SSIP)施設整備計画」、「きぼう」日本実験棟組み立て完了記念文集より、2010年、JAXA社内資料
(2) 村上尚武、「SSIP構想の成案の時」、「きぼう」日本実験棟組み立て完了記念文集より、2010年、JAXA社内資料

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