図書紹介
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アーモンド
(ソン・ウォンピョン著、矢島暁子訳、祥伝社、2020年5月30日発行、初版9刷、267ページ、1,600円+税)

デニマルさん : 9月号

今回紹介する本は、今までとはチョット毛色の変わった部類のもので、今年度の本屋大賞で翻訳小説部門の第一位となった小説です。本屋大賞の受賞発表は、今年で17回目となり、この話題の本でも多くの本を紹介していて、9冊目にもなると記憶する。その数は筆者の個人的な好みでもあるが、本屋大賞の設立趣旨に賛同している点にある。それは出版業界の不況や世の中の活字離れ等々で本が売れない時代となり、大人も子供も本を読む事が減少していると言われて久しい。そんな中で書店員が読者である顧客に「売れる本」を積極的に薦める活動を始めた。その結果、ベストセラー本だけなく話題となる良書を多く発掘して、本や雑誌を通じて本屋も出版業界にも活気をもたらせている。読書を趣味とする方々も応援したくなる本屋大賞なのである。本屋大賞には、書店員が選ぶ「大賞」の他に、「発掘部門」(過去に出版されたもので、読み返しても面白い本を発掘する)と「翻訳小説部門」(2011年から始まった外国語で出版されて翻訳された優れた本)がある。今回の本は、その翻訳小説で2017年に韓国で出版され、40万部も売れて世界13ヵ国語に翻訳されている。前置きが長くなったが、今回紹介の「アーモンド」は、日本でも隠れた人気のある本だ。日本と韓国は政治的には色々な問題もあるが、文化的には根強い繋がりがある。韓流ブームが過去にあり現在でも続いているという。映画のアカデミー賞受賞の「パラサイト、半地下の生活」や韓流ドラマ「愛の不時着」等々もある。さて、この本のポイントは、人の先入観念や既成概念から価値観を変えさせるストーリィである。主人公のユンジュは、生まれながらにして「失感情症(アレキシサイミア)」という、医学的に大脳辺縁系と前頭葉を繋ぐ偏桃体が小さい為、感情が上手く伝わらない障害である。だから人としての喜怒哀楽や優しさや恐怖も感じない少年の物語である。その中で母親は感情が分からないと言われる主人公に喜・怒・哀・楽・愛・悪等を身体に記憶させ、普通の子になる様に徹底的に教育した。その過程も克明に書いてあるが、先天的な障害を持った少年が成長する過程で学んだものは何か。その本質的なものがテーマとなっている。是非読んで貰いたい深い内容である。人間にとって複雑な感情機能を先天的に失った少年が、何を感じて如何なるプロセスを経て成長していくのか。友だちとの交わりから親友となり、初恋の女性と巡り合う過程はドラマチックな物語である。著者をチョット紹介したい。ソウル生まれの41歳、学生時代には映画演出を専攻。多数の短編映画の脚本や演出を手掛ける。2016年にこの小説「アーモンド」で青少年文学賞を受賞している。現在では、映画監督、シナリオ作家、小説家として幅広く活躍している。

題名のアーモンドとは          ――感情を失った少年――
本書の題名である「アーモンド」は、「失感情症(アレキシサイミア)」の原因である脳の偏桃体からきている。その偏桃体が果実のアーモンドに似ているから、偏桃体=アーモンドと称されている。その為か、アーモンドは古くはヘントウ(扁桃)と言われ、桃や梅の近縁種である。さて物語だが、主人公が16歳の誕生日に通り魔事件に遭遇する。その事件で母は犯人にハンマーで強打され、祖母はナイフで刺された。他にも多数の死傷者が出たが、生き残った母は植物人間となった。失感情症の主人公は、この悲惨な事件を傍観するだけだった。物語は、この通り魔事件から始まる。天涯孤独となった主人公は、母がやっていた古本屋の商売を継ぎ、高校生となって学校に通う生活となる。当然、学校では通り魔事件で有名となる。担任の先生やクラスメイトは色々と心配するが、それに上手く対応出来ず孤立化する。その結果、学校では敬遠される存在となり、失感情症が周りから理解されず、更に自分から上手く友だちと交わる術も知らない。それを「喜びも悲しみも、愛も恐怖も、僕にはほとんど感じられないのだ。感情という単語も、共感という言葉も、僕にはただ実感の伴わない文字の組み合わせに過ぎない」と語っている。そこに新たな展開となる出来事が起きたのだ。主人公のクラスに一人のユニークな転校生が入って来た。そこから物語が大きく変化する。

多感なチンピラ             ――クラスメイト・ゴニ――
その転校生の名はゴニと言い、少年院を出て学校に来た。ゴニだが殺人以外は何でもやったと噂されるチンピラである。そのゴニは、感情が無表情に近い主人公・ユンジュをイジメの対象とした。しかし、ゴニは人並み以上に激しい感情を持っていたが、主人公をイジメても余り反応を示さない相手に一層感情を高ぶらせる。その挙句、ゴニは決着を付けるべく決闘を宣言し、主人公を一方的に痛め付けた。その光景を遠くから眺めているクラスメイトたちの状況は、母や祖母が襲われた通り魔事件に酷似する。そこで主人公はゴニに「君が望んでいることをするには、僕は演技をしなきゃならない。それは僕には難しすぎる。無理なことだ。だからもうやめろ。みんなだってうわべでは怖がっている振りをしているけれど、内心では君をバカにしているからだ」と告げた。それ以来、ゴニは主人公の古本屋に出入りする様になる中で、何とか主人公に喜怒哀楽を感じさせる色々な努力を試みる。最後は、ゴニが巻き込まれた事件に主人公は敢然と立ち向かうが、その結果は想像もし得ない結末となる。

主人公が感じた恋心           ――初恋の相手・ドラ――
主人公は高校生で、ゴニを始めとしたクラスメイトがいるが、失感情症なるが故に、普通に友だちとなるのも難しい。しかし、陸上部のドラという女生徒との出会いが主人公の心に大きな変化をもたらせた。その変化を「風が吹いて、枝が落ちた。ドラの髪が風に吹かれて僕の頬に当たって、その瞬間胸がギュッと苦しくなった」と著者は書いている。失感情症の少年がゴニという友人を通じてお互い仲良く、友だちになる。更に、異性に関心が向いて好きになる。愛を感じて、恋心を抱き、自分一人だけではなく相手を強く意識し始める。恋心は脳でなく、心(ハート)で受けとめて、心が素直に働き身体も自然に反応したのだろうか。

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