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日本の危機の認識とプロジェクト・マネジメント活用への提言 (4)

東京P2M研究会 渡辺 貢成: 7月号

Z. Iさん、私たちは新型コロナウィルス対応という全く新しいテーマが発生し、ここで多くの勉強をした。特にこの新しいコロナ対応で、各国の対応が発表され、先進国や経済大国の事例が出されたが、意外と大国より最近成長を遂げている新興国が素早い動きをしていた。特に韓国の病院を放映していたが、見ていると病院内での設備のすばらしさ、スタッフの手際よさがテレビに映されていた。この新しいテーマの処理で二番目に重要なのは会社や個人の休業への保証である。急がないと経済が破壊されるので新興国は手際が良い。この対策が終わると三番目に重要なのが、今までの働く習慣の内容が、漫然としたものだったが、このままではまずいことに気が付き、企業の生き残りに向けた競争が厳しくなり、対策期間中に得た働き方のイノベーションを取り入れて競争力をつけている国もある。
I. おっしゃる通りです。欧米に比べると日本は戦後から始めた「終身雇用、年功序列の資格と給与体系」があるが、日本人は生産性の高さを今でも誇り高く思っている。しかし、1990年以降の生産性は今や先進国から新興国並みに近づいている。それは日本企業が「75年間タテ系列で組織を維持し、時代の変化を加味することなく、営々とタテ系列組織を維持してきたことの結果」である。

私は今回の新型コロナ対応策として、新しく導入され、実行し、成功した「ある種の在宅勤務手法」が、情報交換システムの向上を図ったことで作りえた成果を継続されることを望んでいる。ここで感じたことは、危機感を持つと、人間は機敏になり、効率化を高める方向に改善されることもわかった。

Z. Iさん。先ほど75年間タテ社会組織を維持してきたとあるが、時代の変化で製造業世界一となった1990年で製造業はピークになった。その後先進国、特に米国で情報サービス産業を取り入れ、大きく成長を示していった。米国は製造業から進化し、情報サービスによるスピード経営に特化していった。
一方日本は製造業を中心とする高度成長時代が継続すると舞い上がっていた。この時代の寵児は竹村健一氏で、破竹の勢いがあった。筑波学園都市の開発で財を貯めた人々が多かったが、現実はバブル期に差し掛かっていた。1997年突然山一証券の自主廃業宣言があり、日本中はバブル崩壊への対応で忙しくなった。

I. Zさんが言われたご提案は、その時代に見合った産業政策を的確にとらえた国や企業が栄えることを理解し、企業が目指した政策を時代ごとに示しました。
Ⅰ. 【地理的・物理的空間】のビジネス(製造業の時代)  ~1990年
日本製造業世界一の時代を築いた。これは米国製造業がテーラーの科学的管理法を採用していたが、日本成功の要因はデミングの品質管理を深く理解し、手際よく実施したことにある。
ソ連崩壊、冷戦中止

Ⅱ. 製造~サービスへの転換期で何をしたか?       1990~2000
米国:IT経営による業務のスピード化、1995インターネットを世界中に普及させた。
インターネットの課題:国という国境を取り外した中でのビジネス、軍事、の拡大があり、強国はますます栄え、弱小国は淘汰される
日本はバブルで製造業が下火となった。

Ⅲ. 【電子的・金融的空間】ビジネス
 IT経営への時代 サービスの生産性向上       2000~2010
i ) 米国DBD:デジタル技術を用いて、企業の戦略の選択肢を拡大させるある種のアートであり、サイエンスでもある。DBDはテクノロジイーそのものを指すのではなく、顧客の要求を満たし、ユニークなヴァリュープロポジションを生み出したり、人材を活性化したり、生産性を抜本的に向上させたり、利益を拡大することを指す。デジタル化の選択肢を用いて、優位なだけでなく「ユニークな」ビジネスモデルを作り上げることをいう。

ii ) 日本は1993年からサムスンの支援を行い。韓国に貢献したと考えていたが、サムスンを甘く見た罰がこの時期に表れた。日本が独占していたDRAMをサムスンは日本が開発した製造機、検査機を活用し、韓国で使うDRAM数量と世界で使う数量を大量生産し始めた。日本は経産省の指導で10社での生産を指令したことで、DRAMのコスト差が大きく、世界市場を押さえられた。そのことはDRAMの失注ではなく、日本が開発したDRAMを使った最新製品がサムスンに奪われた。
日本は世界中で出荷していた家電製品を新興国で販売したが、サムスンは現地派遣員が当該国に見合った程度の製品を相応な価格で販売し、販売後のアフタサービスの良さで、新興国市場の独占を許した。更に韓国は金大中大統領の配下の文化大臣が韓国文化を世界に普及する努力をした。この影響が大きく韓流は世界に大きく羽ばたいている。

【電子的・金融空間】
最先端を歩いていた日本はこの時期のビジネスを中途半端に実施していた。
実は先進国市場では、製造業からサービス産業【電子的・金融空間】に転換していた。残念ながら場の空間が違っていたためビジネスに熱が入らなかった。日本人の発想では経営にITを活用することの意味が理解されていなかったと思う。
日本における「経営のIT化」はまずCIOを選んで、IT業者を呼び勉強会を始めた。この学び方は米国の企業のIT化を提案され、それを使うことを考えた。経産省傘下のIPAは自社の経営ビジョンを考えて、まずそれを検討し、その経営方針に従ったITをつくることを解説書で指示した。しかし経営ビジョンは提供されなかった。選ばれたIT部門からのCIOは自社の経営を理解していない。経営部門から選ばれたCIOはITが分からないということで、IT経営プログラムは推移していった。JUAS(ITユーザー協会)は懸命に努力してもなかなかすすまず、私が調べた時点では30%がIT経営実施ということで発表されていました。JUASは毎年IT経営率を高めていましたが、ある時からIT経営で仕事を進めることが決定されました。そこで企業が取った策は米国企業が実施しているIT経営を導入し、経営をスタートしました。
しかし、現実は企業の経営は従来通りの稟議書で行っており、購入したIT経営は現場の経営方法と異なっているため、急遽デジタル経営からアナログ経営に変更し、経営を実施している。
2013年に谷島宣之著【ソフトを他人に作らせる日本、自分で作る米国】初版が出版されています。
IT経営についてIBMの資料を調べますと、IBMはIT経営に関しては経営を運用する10名程度のスタッフがCEO室に駐在し、同時に10名程度のCIOがCIO室に駐在し、時に議論を交わしながら業務を進めていると書かれていました。
ではユーザーが業者と行っているITプロジェクト実施契約の実体をある本から入手しています。ここでまた日本人の拙さを話す羽目になります。契約のための打ち合わせが行われます。かんかんがくがくの議論で仕様が固まります。
業者はその言葉を信じて作業し、中間確認を行います。すると顧客はそれは間違いだと言い出します。時間の経過で要求が変わってきたわけです。簡単に言えば知らなかったことがわかり追加する必要に迫ったのだと思います。契約は2という量であったが4という量まで上げて欲しいという。しかも変更費用は出さないという。業者は首の問題が発生するので2を主張します。最後は頑張って3という量で手を打つことになります。日本は契約も覆されます。欧米ではそのようなことはありません。IT業界では有名な言葉が生まれました。ITビジネス2-4-2-3の法則というそうです。
契約で最も大切なことは契約の変更がないことです。変更は次の変更を生みます。決して良い作品は生まれません。

7月号は紙面の都合でここまでとします。

8月号はグローバリゼーションに首を突っ込んでみます。
Ⅳ. グローバリゼーションへの準備               2010~2020
先進国のGDP成長率が低下し、デフレを呼び起こす。従来はデフレとなっていましたが、図Ⅳに示す戦略が成立するとグローバル企業が出現可能になる。

Ⅴ. 見えない世界(新グローバリゼーション)
コロンビア大学スティグリッツ教授の提案を披露する。

以上

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