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「きぼう」日本実験棟開発を振り返って (20)
―ISSの感染症対策―

宇宙航空研究開発機構客員/PMマイスター 長谷川 義幸 [プロフィール] :7月号

今回は、世界中で新コロナウイルスの影響がでていますが、ISSでの感染症対策について、どうなっているのかを知っている範囲で紹介したいと思います。

1. 宇宙飛行前は「ウイルスを持ち込ませない」対策 (1) (2)
  宇宙飛行士に面会するにしても、ガラス越しで会う (右写真、(C)JAXA) ISSの閉鎖空間での感染症対策は、開発当初から重大なリスク管理の一つでした。「少人数の健康な宇宙飛行士が宇宙で活動し、厳格な健康管理を行う」という前提ですが、基本的な対策は、「地球から有害なウイルスを持ち込まない」です。宇宙で問題が発生したら、あっという間に感染症が宇宙飛行士に拡散してしまいます。その時は、ソユーズで地球に帰還して地上で対処することになります。
このため、「地球から有害なウイルスを持ち込まない」ように、打ち上げ前に、宇宙飛行士は家族から隔離されます。以前は2週間でしたが、新コロナウイルスの影響をうけ、現在は4週間以上隔離されています。打ち上げが近くなると感染症の検査をします。人に伝染さないかどうか、また、カザフスタンにあるバイコヌール射場特有の感染症(ポリオ、破傷風ほか)に感染しないように、事前にワクチンを接種することがあります。筆者も日本人宇宙飛行士打ち上げのため出張する際、いくつかのワクチンを接種しました。さらに、打ち上げ直前には家族の面会も制限され、宇宙飛行士は隔離されます。打ち上げの約2週間前から、宇宙飛行士は、コスモノートホテルというところに缶詰めになります。ホテルの敷地はセキュリティーが厳しく、関係者しかはいれません。宇宙飛行士に面会するにしても、ガラス越しで会う (右写真、(C)JAXA) とか、テーブルをはさんである一定距離を離さなければならないとか、細かな規定があります。接触するロシアの医師が診察して、熱や鼻水、くしゃみなど、また風邪をひいていないかをチェックしてから面会を許可しています。日本人の医者であっても許可がいります。今年4月のソユーズ打ち上げでは、渡航制限のため記者も家族の立ち合いも、出発前の儀式もありませんでした。

2.航空宇宙医学専門医が担当
  宇宙飛行士の健康管理は、フライトサージャン(航空宇宙医学専門医:以下FSという)が行います。パイロットや宇宙飛行士の健康管理の医師ですが、軍隊や民間機のパイロットが多い欧米では比較的良く知られています。宇宙飛行士の募集・選抜段階での医学・心理検査から必要な職員で、医学基準、日常健康管理、年次医学検査、ミッションのアサインされた宇宙飛行士の選任医師としてミッション中の医学運用と緊急時の対応などを行います。特殊な宇宙環境で地上でも特別な訓練をしている方のための労働安全衛生を診る産業医です。

3.飛行中は閉鎖環境、遠隔診察で対応 (1)
 ① 閉鎖環境
  ISS長期滞在クルーの場合、約半年間宇宙船の狭い閉鎖環境の中で、育った文化も母国語も異なる少数の仲間と毎日寝起きし、時に単調な、時に緊張感を強いられる任務を継続するので、日常的にストレスに晒されます。入浴もなく、トイレも狭く、食事のメニューも限定され、娯楽も限られ、飲酒はできません。隔離長期間の閉鎖環境に滞在した場合、初期には、新しい環境と任務への不安や緊張があり、中期には、単調な生活から「抑うつ気分」「意欲低下」「ホームシック」などがみられます。このような状態は不注意やミスを誘発しやすくなるので、地上での訓練で、「コミュニケーション能力」「自分のことは自分で対処する能力」「異文化適応力」「問題解決力」などを養成するため、山岳、寒冷地、海中構造物などの特殊環境の中にチームで滞在させて対処訓練を行っています。

 ② 遠隔診察
  写真の右下がFS、舌をだしているのが飛行士、(C)JAXA)飛行中は、ISS船内の環境を正常に維持するため、定期的に掃除や 微生物モニタリングを行っています。NASAでは、PCRというDNA増幅システムにより微生物検知をすることを目標で調査研究を行っています。(3) また、飛行中のクルーのストレスを適正に評価して、軽減することは任務成功への鍵の一つです。宇宙飛行士がISSに滞在中は、担当のFSがアサインされます。現在、週に1回、15分くらい、TV画面で様子を診ながら、ビデオ遠隔医療相談をして飛行士の微妙な心理的な変化やストレスを評価し、適切な対処法を助言します。(写真の右下がFS、舌をだしているのが飛行士、(C)JAXA))また、飛行士のストレス軽減のため、週に1回の家族や友人との交信、好きな新聞、雑誌(電子的提供)、映画、音楽、書籍などの搭載、IP電話やアマチュア無線の利用などの支援プログラムがあります。ISSクルーは、選ばれた少数の人間だけにしかできない特殊な先端任務をしているというプライドと、世界の注目を浴びている心地よさ、美しい地球の変化する貴重な景色を眺められることで、半年滞在を豊かなものにしていると聞いています。また、ISSのクルーは、各人が地上でメディカルトレーニングを受け、緊急時にある程度対応できるように模擬訓練をしています。例えば、「医師からの遠隔指示で動く訓練では、『先生、ここが赤くはれているが・・・。』という宇宙飛行士からの報告に、医師から『そこの何番目のドアをあけて、中のキットを取り出し、何番目の薬を出して…』という指示がでます。そうした訓練である程度対応します。万が一、ISSの宇宙飛行士が感染症になった場合、他のクルーに伝染る可能性があるので、医療相談の後、各国の宇宙飛行士専属FSと各宇宙機関の代表で電話会議をして情報共有し対処策を相談していきます。(2)

4. まとめ
  日本もISS参加後、宇宙飛行士の健康管理や宇宙医学対応を行うために、医学専門家グループをつくりいろいろな分野の臨床医に働いてもらうことになりました。医学の専門知識がないと、国内的にも国際的にも対応できないのです。我々エンジニアが立ち入ることができない分野でした。グループには、エンジニアも入り、課題を共有するとともに、お医者さん、医学研究者という特殊な方々をマネジメントしていく仕組みを試行錯誤しながらつくってきました。宇宙特有の無重力、宇宙放射線、閉鎖環境などの医学生物学的特殊環境で、筋力低下、免疫力低下、骨密度減少、のほか、感染症や心理的なストレスによる精神心理的不具合が生じます。ISSでは、これに対処する方策を2重3重に立てておくことによりリスクを最小にしています。

参考資料 :
(1) 立花、井上、「宇宙旅行の精神医学・心理学」、最新精神医学、2009.1.25、世論時報社
(2) 「宇宙飛行士を支える医療職!|JAXAフライトサージャンインタビュー」、2014/1/15
(3) 後藤正幸、「宇宙での微生物と感染症」、ABlab,2020.3.14

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