図書紹介
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熱源
(川越宗一著、(株)文藝春秋、2020年01月25日発行、第5刷、426ページ、1,800円+税)

デニマルさん : 5月号

今回紹介する本は、今年1月に発表された第162回直木賞を受賞している。その受賞後「近年まれにみる大きなスケールの小説世界」(浅田次郎氏)、「日本とロシアという二つの帝国に翻弄され、同胞と引き裂かれた二人の男。遠く離れた地で生まれた彼らの人生が国境の島で交錯し、読み手の心に静かな熱を生む」(文藝春秋)等と評判が凄かった。そして2020年本屋大賞にもノミネートされていたが、残念ながらダブル受賞とはならなかった。今年は「流浪の月」(凪良(なぎら)ゆう著、東京創元社)が選ばれ、筆者の予想と期待はまた外れてしまった。さて本題に戻ろう。先ず紹介の本に書かれた大きなスケールの内容だが、歴史的には日露戦争(1904年2月から1905年9月)から太平洋戦争敗戦後のソ連軍千島列島侵攻(1945年9月)までの41年間を綴っている。それも地理的には、北海道を中心とした日本からロシア(サンクトペテルベルグからウラジオストーク)、更に南極大陸までにストーリィが展開されている。この本は、「アイヌ物語(山辺安之助著、金田一京助編)」をベースにして歴史上に名の有る人とも交わりながら物語が展開されるフィクションであると著者は言う。その詳細は読んでのお楽しみであるが、南極探検に関する内容をチョットご紹介してみよう。日本が南極大陸を目指したのは1910年(明治43年)11月であった。この隊長が広瀬中尉で、南極探検船・開南丸には隊長以下30名近い隊員とカラフト犬30数頭が南極を目指した。その隊員の中に犬橇の操縦とカラフト犬の飼育の為に2名のアイヌ人が入っていた。その人物がこの物語の主人公である。1912年2月、広瀬隊は極点近くに到達して日章旗を掲げたが、日本の南極探検隊はイギリス隊やノルエー隊に先を越されて世界初の到達とはならなかった。この極点近くを大和雪原と命名したことや南極を離れる時6頭のカラフト犬だけを連れ帰った事には触れてない。しかし、南極から帰国後の一向は、日本中で大歓迎を受けたことが記してある。この話だけでも一冊の本となるストーリィの展開である。さて著者を紹介すると、1978年大阪府生まれの元サラリーマンでバンド活動もしていた。40歳過ぎに作家になったという異色の経歴の持ち主である。2018年「天地に燦たり」で第25回松本清張賞を受賞して作家デビュー。2019年に今回の「熱源」で直木賞を受賞した。その受賞式では「栄えある賞をいただき、本当にありがとうございました。本作の時代を生きた全ての人々に感謝し、またぼくを支えてくれた皆様、刊行や流通に携わってくれた方々にも、この場を借りてお礼申し上げます。そして代理人のぼくはこれから本人に成り変わって、より面白い作品を書けるよう、精進して参ります」と変わった挨拶をしている。この異色な経歴の著者が、二つの祖国の文化を背負って壮絶に生きた男達の人生を熱く書いている。日本と世界の近代史を身近に感じさせるヒューマンドキュメントの小説である。

熱源(カラフト編)          ――アイヌを貫く――
この本の主人公はカラフト(現在のサハリン)生まれのアイヌ人、ヤヨマネクフ(日本名は山辺安之助)である。先に紹介の「アイヌ物語」の著者でもあり、アイヌの歴史の語り部でもある。カラフトは日露戦争後、色々な経緯でロシア領のままだった頃、ヤヨマネクフは北海道に移住した。北海道でのアイヌは少数部落で多くの差別を受ける。居住地域や日常の生活や職業だけでなく学校教育にも及んでいる。だからアイヌ人の将来を考えて「アイヌを救うものは、決してなまやさしい慈善などではない。宗教でもない。善政でもない。ただ教育だ」と言って土人学校の設立に熱いエネルギーを投じた。成人となって結婚するも妻や多くの友人を天然痘の流行り病で失っている。その妻キサラスイは、アイヌ文化の象徴でもあるトンコリ(五弦琴)の名手でもあった。この琴の音色は巻末でも聞くことになるが、これは主人公のアイヌ文化への熱き想いと妻への愛でもある。その後ヤヨマネクフは、生まれ故郷であるカラフトに戻った。しかしカラフトは昔のアイヌ村ではなくロシア村と化していた。

熱源(ロシア編)           ――ポーランドを貫く――
この本には、もう一人「熱い外国人」が登場している。実在したブロニスワフ・ピウスツキというポーランド人だ。彼はロシアのサンクトペテルブルク大学生の頃、皇帝暗殺計画に関与したことを理由に、サハリンに流刑された。そこで先住民のギリヤークがロシア人から迫害されているのを助けながら、ギリヤーク言語の研究を始めた。刑期も満了して、現地のアイヌ人と結婚し子供もいた。彼も現地の人々に教育の機会を与えたいという情熱で、識字学校を設立する活動をしていた。このサハリンでアイヌの文化を否定されたアイヌ人のヤヨマネクフと、母語を奪われたポーランド人のブロニスワフが出会ったのだ。この二人は、自分たちがここで出来る事は夫々の母国語や文化を守り通す信念と誇りを貫く「熱」を見つけ活動を続ける事になる。それが寄宿学校設立の資金集めから開校へのエネルギーとなった。

熱源(北海道編)            ――アイヌ文化を貫く――
この小説のベースとなった「アイヌ物語」だが、主人公が物語を書くのには編集担当である金田一京助氏が大きく関わっている。金田一氏と言えば国語学者で有名だが、アイヌ語の研究者としても知られている。二人の出会いは、主人公がサハリンのアイヌ村総代、金田一氏はアイヌ語の調査・研究中の学生であった。彼は「この旅で、生涯を賭するに足る事業に出会えた。アイヌ語の優秀性を解き明かし、もっと人類の深淵に少しでも迫りたい」と将来を語っている。その後も二人の交流は続き、先の「アイヌ物語」の作成・編集に繋がっていく。そして南極探検の帰国後、歓迎報告会で大隈重信伯爵とも出会っている。そこで主人公が「俺たちは。ただそこで生きているって事に卑下する必要はないし、見直して貰おうってのも卑下と同じだと思いましてね。俺たちは胸を張って生きていればいい。一人の人間だって中々死なないんだから、滅びるって事も中々ない。今はそう思ってます。」とアイヌ人の生き様を誇ったが、「わたしの考えとは、少し違うようだな」と伯爵は面白そうに答えた。これはアイヌに生きる人間と明治を支えた政治家がお互いの熱き信念を確認する様であった。

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