PMプロの知恵コーナー
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「エンタテイメント論」(145)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :4月号

エンタテイメント論


第 2 部 エンタテイメント論の本質

6 創造
●筆者への「個人的相談」
B-3 中小企業に勤務する人物からの個人的相談

 自分は中小企業に勤める管理職社員である。定年は数年後である。管理者としてやるべき事以上の事をやっていると自負している。会社はいろいろな深刻な問題を抱え、「今のまま」では「近い将来」は「ヤバイ」と「冷静且つ深刻に認識」している。今、何を考え、如何に行動すべきか? また定年後、どうするべきか? 教えて欲しい。

出典:専門相談
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●前号からの続き
 前号で筆者への個人的相談の内容を書き切れなかった。そのため本号で「つづき」を書いた。また前号で「本人が経営のプロか? 経営のアマチャーか?」を峻別する方法の1つとして「ある質問」をした。その質問とは「自社で新しい商品、製品、サービスを開発する事と新しい事業を開発する事(新規事業)と何が違うのか?」であった。本号で質問への回答を書く積りであった。

 しかし本号の前半で「つづき」を書く事で相当の紙面を費やした。そのため次号でその回答を書く事に延期した。その答えを考え、書いた読者には申し訳けない。次号まで待って欲しい。しかし考えも、書きもしなかた読者は、是非、この際、考え、書いて欲しい。自分自身の為になるからだ。

●現役完全引退と趣味(道楽)
 筆者に今回相談に来た人物は、数年後に定年を迎え、その後、再就職しない場合は、現役完全引退し、年金と貯金等で悠々自適の生活をする。そのため「定年後、どうするべきか? 教えて欲しい」と尋ねた。筆者は「再就職や起業をしても、趣味を楽しんではどうか」と答えた。彼は「楽しみたい道楽があるので、それを身に付け、楽しむ」と元気に、明るく答えた。

 なお筆者が趣味に「道楽」と書き加えたのは、自分の楽しみを「趣味」と言わず、趣味ほど高尚ではなく、「道楽」であると言う人物が多いためである。

出典 色々な趣味(道楽) https://www.iconfinder.com/icons/2306705/hobbies 出典 色々な趣味(道楽) https://www.iconfinder.com/icons/2306705/hobbies 出典 色々な趣味(道楽) https://www.iconfinder.com/icons/2306705/hobbies
出典 色々な趣味(道楽) https://www.iconfinder.com/icons/2306705/hobbies

 さて「100年時代、如何に働き、如何に生活するか?」に関して、殆どの政治家、学者、評論家、ジャーナリスト等は、定年後の再就職の方法、起業のやり方、年金と貯金等による利殖の仕方など「経済的課題」の達成ばかりを議論している。更に「貯蓄額は最低2000万円が必要だ」との事を前提とした議論までしている。確かに経済的課題の達成は重要である。

 長寿化した日本の100年時代を前提とすると、現役完全引退後、死ぬまでの期間は、約30年~40年になる。この期間は、本人が学校を卒業し、社会人になり、一人立ちし、そして現役完全引退するまでの期間とほぼ同じ長さである。現役完全引退後、死ぬまで、如何に「遣り甲斐」を見付け、如何に「生き甲斐」を感じて生きていくか? まさしく「第2の人生論」が問われている。しかし経済的課題ばかり議論している上記の人物達は、現役バリバリで、経済的課題以上に重要な「第2の人生論」を認識せず、議論しない。残念である。

 定年退職した人物は、再就職、起業、年金と貯金等に依る現役完全引退などをする。しかしもし年金や貯蓄等で生活する事に強い不安を覚える人物は、どの様な事をしてでも、どの様な職でも再就職する。しかしその様な人物も、いずれは現役完全引退の生活を過ごす事になる。

 現役完全引退で「毎日が日曜日」になった人物は、体の不調で家庭介護を受けたり、入院などしない限り、身に付けた又はこれから身に付ける「趣味(道楽)」で楽しもうと新たな行動を始める。それもしない人物は、何らかの作業や社会奉仕的な作業などをする。更にそれもしない人物は、毎日テレビをダラダラと見て過ごしたり、涼しい又は暖かい図書館で新聞や雑誌を見て暇をつぶす。人様々である。

●趣味(道楽)への誤解と青春時代への回帰
 日本の多くの人達は、「完全引退後は、好きな趣味(道楽)でも覚えて、楽しめばよい」と簡単に考えている。しかしそう考える人物は、趣味(道楽)を「誤解」している。筆者に相談に来た人物も、「好きな趣味を身に付け、楽しみます」と簡単に答えている。彼も誤解している。誤解とは「趣味(道楽)は如何なる種類でも簡単には身に付かないず、簡単には楽しめない」と云う事である。

 現役完全引退者は、好きな趣味(道楽)を身に付けるべく、「音楽教室」、「スポーツ指導教室」などに加入し、若い人々に交じって学び、頑張る。

出典 趣味(道楽)のレッスン http://clipart-library.com/clipart/1783113.htm 出典 趣味(道楽)のレッスン http://clipart-library.com/clipart/1783113.htm 出典 趣味(道楽)のレッスン http://clipart-library.com/clipart/1783113.htm
出典 趣味(道楽)のレッスン http://clipart-library.com/clipart/1783113.htm

 趣味(道楽)を現役時代から身に付け、楽しんできた人物には今後益々それを磨く事に、これから身に付け、楽しみたい人物には、若い頃の青春時代を思い出し、若い人に負けず、今後頑張ってそれを獲得する事に、それぞれ「声援」を送りたい。

 しかし特に「これから身に付けたい人物」は、各種の趣味の教室の「餌食」にならない様に注意して欲しい。例えば、楽器演奏の指導に関しては、現役完全引退者の初心者を相手に高い入会金と受講料を払わせ、チビチビと小出しに、しかも基礎技術の練習から始める。

 基礎は勿論、大事である。しかし楽器演奏の基礎を完全に習得するには長い年月が掛かる。例えばピアノの練習曲にバイエル、ソラチネがある。しかしこれを完璧に弾ける人物は、舞台で活動している本物のプロの演奏家だけである。

 多くの人は楽器演奏の「基礎」は簡単と思っている。しかし逆である。「基礎」ほど難しいモノはない。この事はスポーツの「趣味(道楽)」にも言える。更に経営の基礎、事業の基礎、新規事業の基礎など経営分野でも同じである。多くの会社員はこの基礎をマスターしているか? 筆者の今回の本稿での質問もこの基礎に関する事である。

 しかし問題がある。現役完全引退者は、楽器演奏の基礎練習を何とか経て、人前で曲を演奏出来る様になるまで成長する頃には、病気になったり、死んだりする事である。現職完全引退者には年齢に応じた、将来を見据えた指導が不可欠である。そして即効性、速攻性のある楽器指導が可能なのである。

 はっきり言えば、現役完全引退者が今後、プロ演奏家を目指さない限り、それを前提とした教則本、教則楽譜などによる基礎練習など止め、その時間を「演奏したい曲」の練習に充てることである。「演奏したい曲」をいきなり演奏させる。音が不完全でも、テンポが合わなくても、とにかく演奏させ、その指導を行う。

 演奏したい曲は、本人にとっては一種の「夢」である。その曲のイメージはCDレコードなどで認識されている。好きな曲の為であるから本人は頑張る。その結果、何とか曲がりなりにも演奏が出来る様になる。その瞬間、「夢」の一部が達成される。不完全でも達成感を一刻も早く得させる事である。その結果、更なる「演奏したい好きな曲」を選択し、練習し、「夢」の達成に近ずく。その過程で不完全でも人様の前で演奏できる様になる。失敗し、恥ずかしい思いもする。それでも「好きな曲」の為に頑張る。いつの間にか、本物の「趣味(道楽)」を獲得する。これぞまさに「夢工学式上達法」である。

●能動的趣味(道楽)と受動的趣味(道楽)
 筆者の定義する「趣味(道楽)」は2種類ある。それは「受動的趣味(道楽)」と「能動的趣味(道楽)」である。前者は、金さえ使い、時間さえ割けば、誰でも直ぐに楽しむ事が出来るもの。後者は、金を使い、時間を割いても、直ぐに楽しむ事が出来ないもの。どちらを選ぶかは本人次第である。

  出典 能動的又は受動的行動 photos.gograph.com/thumbs/CSP/CSP &com.files.wordpress.com/passive_active.png?w=620&h=410 出典 能動的又は受動的行動 photos.gograph.com/thumbs/CSP/CSP &com.files.wordpress.com/passive_active.png?w=620&h=410
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 「受動的趣味(道楽)」は、国内や海外への旅行、飲み歩き、食べ歩き、映画鑑賞、音楽鑑賞、カラオケ歌唱、読書、芸者遊びなどを云う。「能動的趣味(道楽)」は、研究目的の国内や海外への旅行、プロ並みの鑑識眼と技術習得の為の各種のワイン、日本酒、料理の飲み歩き、食べ歩き、映画脚本や随筆作成の為の映画鑑賞、自作出版や論文作成のための読書、新知識取得の為の大学への入学、真に楽しめる技術習得のためのテニスやゴルフなどのスポーツの習得と競技参加、プロ又はアマとして劇場や音楽ライブハウスでの歌唱出演や楽器演奏出演などを云う。

 「受動的趣味(道楽)」は、楽しく、充実感を味わえ、思い出を重ねられる。しかし楽しさは「一過性」である。「能動的趣味(道楽)」は、楽しく、充実感を味わえ、思い出を重ねられる。また新しい発見や発明に繋がる。少し誇張だが、或る種の「悟り」を得る。この楽しさは「継続性」がある。

●能動的趣味(道楽)と仕事
 「能動的趣味(道楽)」は、厄介なものである。この趣味(道楽)を楽しめる様になるためには、相当の金と時間と労力を投下し、頭と体を使った大変厳しい苦しい地味な苦労の積み重ねが要求される。しかもその技術を現実の世界で駆使し、楽しんだ実績まで積み重ねる事を求められる。

 はっきり言って、「能動的趣味(道楽)」をマスターする事は、「仕事」をマスターする事と酷似している。「苦あれば、楽あり」である。まさにNo cross No crownである。ちなみに、これは周知の通り、「十字架(艱難)なくば、冠(栄光)なし」の意味である。

出典 苦あれば、楽あり、
No cross、No crown http://clipart-library.com/img1/694620.jpg 出典 苦あれば、楽あり、
No cross、No crown http://clipart-library.com/img1/694620.jpg 出典 苦あれば、楽あり、
No cross、No crown
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 上記の切手のウイリアム・ペン(William Penn, 1644-1718)は、自己の命と全財産を掛け、苦難の末、歴史上初めて個人の不可侵の基本的人権を法律に制定させ、近代憲法の精神を確立させた。民主主義の先駆者の彼が説いた言葉がNo cross No crownである。

 しかし筆者は「趣味(道楽)」の話を偉人の彼の主張に重ね合わせる様な大それた意図は全くない。ただ「苦あれば、楽あり」の諺に英語の諺を当て嵌めただけである。

 繰り返しだが、苦難の道はいずれ報われると云う事である。「好きこそモノの上手なれ」である。その趣味(道楽)を本当に好きであれば、「本心、本気、本音」で取り組む。従って「汗と涙と血」を流す事を厭わず、喜んで流す。その結果、趣味(道楽)の体得に成功する(夢工学の教え)。

●兼業プロと専業プロ
 日本の高度成長時期、その後の低成長時期、多くの日本の企業人は、仕事中心の生活を送ってきた。彼らは趣味(道楽)にウツツを抜かす人物を心底では軽視し、蔑視してきた。しかし最近になって趣味(道楽)を重視し、蔑視しなくなった。その原因は、多くの中高年の増加と現役完全引退者の増加に依るのでは?

 筆者が「趣味(道楽)」の事を主張すると、必ずと言っていいほど、多くの企業人は「現役時代、趣味(道楽)を身に付ける時間など全く無かった」と主張する。しかし本当であろうか?

 若い頃から定年まで、多忙な仕事の隙間で、寸暇を惜しんで、好きな趣味(道楽)をコツコツと磨き、あるレベルまで体得した「身に付けた趣味(道楽)」を持つ人物は、我々の周辺に数多くいる。その人物は、完全引退後、更にその趣味(道楽)を磨き、思い切り、それを楽しんでいる。しかも死ぬまでの約30年~40年間と云う極めて長い期間、それによって「遣り甲斐」や「生き甲斐」を得て、人生を豊かに過ごしている。

 しかも趣味(道楽)の領域を超え、プロになり、それで生計を立てている人物もいる。また本職のまま、それと兼務でプロになっている人物もいる。筆者は、前者を「専業プロ」、後者を「兼職プロ」と造語している。

●筆者の趣味(道楽)
 人様の趣味(道楽)を語るなら、「川勝、お前の趣味(道楽)は何んだ?」と問われるだろう。

 筆者は、大学時代はギター、社会人時代は、フルートとサキソフォン(アルト&テナー)を演奏、その後、ピアノに転向し、現在に至っている。作曲活動は、子供の頃から今も継続中である。また以前はゴルフを趣味(道楽)にしていた。しかし官僚時代、筆者の行動、特にゴルフ・プレーまで新聞や雑誌に書かれたため、誤解や批判を避けるため「好きなゴルフ」を断念し、現在もしていない。

 その結果、筆者の現在の道楽は、「ジャズ演奏活動」と「各種の作曲活動」である。この2つの道楽が高じて「兼業プロ」になっている。

 前者については、今から20数年前、東京都内の某ジャズライブハウスで遊びに行った時、たまたまピアノを弾いた。その場でスカウトされた。それ以来、現在まで「ジャズ・トリオ(ピアノ、ベース、ドラム)+歌手」の編成で毎月一回、夜に出演してきた。この出演に際しては、筆者の所属組織の社長、知事、学長の事前許可を得た。現在は、経営コンサルの仕事の隙間でジャズ演奏活動と下記の作曲活動を続けている。

 後者については、昔から作曲を続け、現在に至っている。TVコマーシャル・ソング、企業イメージソングなどの作曲を請け負ってきた。某音楽会社が筆者のエージェントである。筆者の作曲と作詞(外部に依頼)は、同エージェントを通じて日本著作権協会(JASRAC)の著作権を取得できる。この著作権はプロ演奏活動とプロ作曲活動をしていない人物は取得できない。

出典 ジャズ演奏家 https://images.search.piano-man-vector player470898213D&action 出典 ジャズ演奏家 https://images.search.piano-man-vector player470898213D&action 出典 ジャズ演奏家 https://images.search.piano-man-vector player470898213D&action
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 筆者のジャズトリオ演奏者と歌手の起用は、生活費を稼ぐ「本業」を持つ「兼業プロ」に限定している。音楽活動だけで生活費を稼ぐ「専業プロ」は、筆者が出演要請すれば、喜んで応じてくれる。しかし彼らにはギャラが多いバンドで出演を優先して貰い、ギャラの少ない筆者のバンドで出演要請は差し控えている。

 ちなみにジャズの業界では(他の音楽界も同様)、「プロか?、アマか?」の判断基準は、ギャラを貰うか否か、と共に出演契約(約束)を厳守できるか否かである。その人物の歌唱力や演奏力のレベルの差ではない。多くの人がこの事を「誤解」している。

 ギャラを貰った以上、ドタキャンは如何なる理由があっても絶対にしてはならない。アマチャーはドタキャンをよくやる。ドタキャンを一度でもすれば、「噂」は業界に広まり、二度と出演できなくなる。出演約束を果たせない場合は、事前に代役を絶対に用意する。現在、コロナウイルスが流行しているが、店側がライブ中止を決定しない限り、筆者は今月も、来月も、ずっと先も予定通りに出演する。

 余談であるが、筆者はジャズの歌唱指導とジャズピアノ指導を懇願され、仕事の時間の隙間で行っている。しかし初心者や中級者は何も分からないのだ。その様な人物から指導料を貰う酷い話だ。しかし上級者やプロ級の人物には「裏技」などを教える代わりにがっぽり指導料を頂く。

 更に余談であるが、「専業プロ」は、超有名プロにならない限り、その収入は安定せず、厳しい、貧しい生活を強いられている。これでは日本は芸術の国にはならない。彼らは「労働基準法」の適用もされず、「働き方改革」の対象外である。彼らからは企業人は、恵まれた、天国にいる人物に見えるのである。

 今回は長文になった。最後に一言。現役バリバリの人物、現役引退に近い人物、現役完全引退後の人物、いずれを問わず、「夢工学式上達法」などを活用し、好きな趣味(道楽)を身に付ける事を、身に付いてるなら更に磨く事を、それぞれ強く薦める。自分自身のためになるからだ。
つづく

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