今月のひとこと
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 PMに出会った頃 

オンライン編集長 深谷 靖純 [プロフィール] :4月号

 今年の卒業式は規模を縮小してというように聞いていましたが、若い女性の袴姿を幾度か見かけることがありました。卒業記念写真も撮れたのではないかと思います。おめでとうございます。編集子が彼女達の年齢の頃、卒業式には出席したと思うのですがあまり記憶に残っていません。どうやって卒業証書を入手したのかも覚えていません。写しの提出を求められた際に支障がなかったので「不思議なこともあるもんだ」と思った記憶は鮮明に残っています。桜の花に心を奪われて、卒業式周辺の記憶を消してしまったのかもしれません。

 PMAJの書棚にはPM(Project Management)関連の書籍が並んでいます。その1冊を指して「この本の執筆者の中に私も入っているよ」と紹介されたのが「伝説のPM(Project Manager)が教える 私のいち押しプロジェクト」という2011年6月発行(評言社)の書籍です。PMI日本支部、PM学会、さらにPMAJのメンバーが協力して21人のプロマネから貴重な体験談を集めたそうです。PMシンポジウムやPMセミナーで講演された方の名前もズラリと並んでいます。この本を読んでいなかったのは迂闊でした。さっそく目を通し始めています。
 編集子自身は伝説のProject Managerとは程遠く、プロジェクトの周辺をふらふらしているだけでした。資格試験を受験できる程度の勉強はやってきましたが、計画を組み立てて着実に実行していくという基本的な動作が苦手なので、Project Managerには向かないと自覚しています。それでもPMはProject Managerだけのものではないので関わってきましたし、今後も関わっていこうと思っています。
 以前、この欄でご紹介したことがありますが、編集子が本格的なプロジェクトに参加するようになったのは1980年代のことで既に30歳近くになっていました。比較的遅い始まりだったのではないかと思います。そのプロジェクトではガントチャートのようなものでスケジュール管理をしていました。にも拘らずプロジェクトの展開を適確に語れる人が見当たらないのです。先輩達に訊ねると、自分が担当するタスクについては語るのですが、タスクが終了した後にどのように展開していくのかについて曖昧な答しか返ってきません。タスク終了間際に次を検討すればいいといった方が多いように感じました。ビジネスマンとして5年以上経過し、新米の部類とはいえ仕事に取り組む際は結末を見通してからという意識がありましたので、とても異様な世界に感じました。
 先輩方は先を見通していなかったのではなく、現在進行中のタスクと同程度の緻密さで将来のタスクを説明できないために口をつぐんでいただけだと、かなりの時が経ってから分かりました。ただその時は一体どうなっているのだと憤慨していました。プロジェクトを構造的に把握しコントロールしていく必要があるのではないかと漠然と思っていた頃にPMと出会いました。先輩方は「プロジェクト上で行う仕事そのもの」については語れるけれど、PMすなわち「プロジェクト上で行う仕事のマネジメント」については語れなかったのだということが漸く分かりました。
 編集子の若い頃の憤慨から40年近く経っていますが、状況はあまり変わっていないような気がします。マスコミが取り上げるような大きなプロジェクトで「仕事のマネジメント」を意識していないと思われる「その分野の権威」の発言を聴いて「またか」と嘆いているのは編集子だけではないと思うのですが。
以上

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