PMプロの知恵コーナー
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ゼネラルなプロ (114) (事例PFI 事業)

向後 忠明 [プロフィール] :4月号

 先月号では、事業の体制、人材配置、役割分担、業者選定と話をしてきました。
 このプロジェクトは事業体制ができる前から波乱万丈であったことは先に述べた通りです。
 それでも何とか事業を進める体制ができました。しかし、日本、オーストラリア、インドネシアといった3か国の混成部隊であり、文化も習慣も異なる陣容からなる組織でありいつ何が起こるかわからない不安もありました。
 その上、日本側のN社は海外におけるプロジェクトの経験もなく、プロジェクトマネジメントに長けた人材はそれほど多くいません。
 特に建設部隊は多くの国の業者を下請けとして利用するのでコミュニケーション上の問題も危惧されました。
 このような状況の中で建設部隊の統括をN社出身の社員がトップ(PD:Project Director)として任命されました。N社はこの重要な事業を何とか成功させなければとの思いから、PDはN社としても優秀な人材を選抜することでこの任務を託しました。
 一方、派遣される他のN社のほとんどの社員は海外での建設プロジェクトの経験がありません。その為、PDをはじめ派遣社員全員に、現地派遣前にPM研修及び海外勤務のあり方などの説明を行いました。
 それでも心配であったため、前月号の組織図でも示したようにPDに対しては海外プロジェクトに精通したプロジェトマネジメントアドバイザー(PMA:Project Management  Advisor )をつけました。
 PMAはエンジニアリング会社から移籍したKさんですが、この人の役割は日本側において本プロジェクトへの支援をすることで、現地からの毎月のレポートを分析し、必要に応じて問題があればコメントすることでした。
 このような状況と前提に立って建設部隊の組織体制を確立し実作業に入りました。

 なお、本題に入る前にこの事業の特徴を説明すると、中部ジャワ地区を対象としたN社以外に下記に示すように他に4つの事業エリアを他のコンソーシアムが分担しています。これはインドネシア政府側がお互いに競わせ、コンソーシアムの能力を測り、将来の電気通信事業を託せるグループを判断することを考えていたようです。

① スマトラ地区 :当初、N社が華僑と組んで事前審査に参加し、不合格になった地域です。ここはフランステレコムが受注しました。
② 西ジャワ地区 :ここはアメリカのUSウエストという会社です。
③ カリマンタン地区 :イギリスのケーブル・アンド・ワイヤレス(Cable & Wireless)という電気通信事業者(C&W)
④ 東部諸島地区 :シンガポールテレコム

 このようにそれぞれの国の電気通信の雄であるコンソーシアムグループを発奮させ、頑張らせることを意図した事業です。
 当然、N社もこれまでのインドネシアでの実績(専門家の派遣やODAコンサル実績)もあることからほかのグループを意識してこの事業をぜひとも成功させねばと考えていました。一方、本事業の規模は銀行団融資を含め約8憶2千万ドルであり、このような大きな金額の事業でしたのでN社グループにとっても絶対成功しなければならないプロジェクトと考えていました。

 さて、いよいよ実質作業に入ることになるのですが、第一番は現地調査や設計業務から仕事が始まります。
 当初の設計業務は日本側(N社)にとっては以前からのインドネシアにおけるODA の仕事や専門家の派遣により多くのインドネシア電気通信に関する知見があったので手慣れたものがあり、Kの作業は順調に進んでいきました。
 しかし、その後の調達関係の業務になってくるといろいろと問題が発生してきました。

 この調達に関連したインドネシアからの報告によると“N社のプロジェクト担当者がSPCに派遣されてすぐに感じたこと”ということで以下のように紹介されていました。
 “派遣されてまず感じたことは、この時すでにT社(オーストラリア)とN社の対決が発生していて、業者選定、ジョイント契約の解釈等で何かにつけ双方が争っていた”ということです。そして、表面上は穏やかに交わす笑顔と語り口、そして外交辞令的なコミュニケーションをとっていたが内実は激しいい火花が散っていたようです。
 その後もこの対決構図が業者との契約締結後の施工管理の段階に至っても存続しているように感じたようです。

 この時はまだPMAのKさんはその報告書や電話による確認ではオーストラリア(T社)そしてN社の人達が背負っている文化、価値観、職業観といった要素の相違によるものと思い、いずれお互い分かり合えるようになるだろうと見ていました。
 また、この食い違いの大きな要素はN社が日本を代表し、T社が非日本を代表するといった異文化の違いであり、いずれ時間が解決する問題だと思っていました。
 一方では、このように最初から国柄の違いが、業務遂行に影響が続くようであれば、いずれプロジェクト実行に暗い影となって出てくるのではとの思いもありました。
 しかし、PMAのKさんはこの時期はまだ現地に駐在せず、事業には直接参加していませんでした。組織図上は建設部門の責任者(PD)のPMAとして逐一インドネシア側からの報告を見て業務遂行上での問題把握やその解決策のアドバイスをPDに対して行っていました。すなわち、インドネシアの状況観察を第3者的立場から見ていたわけですが、事業を囲む外部環境の変化もあり、時が経つにつれ、思っていたようにいろいろな問題が浮かび上がってきました。
 まずは業者選定にかかわる入札時の問題でした。入札に関しては評価までの手順に間違いが無いよう、また不正をただすため、入札手順書を作成して、入札、評価等を行いました。
 しかし、ここでも日本人スタッフの調達知識やコミュニケーション能力の不足、そしてコンソーシアム内における各企業の出費比率の大小などの理由から各所から頭ごなしの要求が出てきて入札結果への影響も発生してきました。
 例えば、
インドネシア政府や顧客から特定の交換機メーカ導入の強要
オーストラリア(T 社)側から契約方式の単価契約から一括契約への変更。
その理由は日本企業が単価契約には不慣れなことから一括契約を主張したためである。
オーストラリア(T 社)側の恣意的な入札評価により日本企業への不利な評価。
その為、請け負う業者の決定まで二転三転して時間がかかった。このことが実際の現場工事開始にも影響を与えることになった。

 この時のインドネシア側の企業(I社)の動きは、最初はサイレントパートナーであったがオーストラリア側に比べ言葉のハンディ―や入札手法の不慣れによる日本側の苦戦を見て、これまで味方であったインドネシア側が風見鶏となり、オーストラリア側に立つようになったということでした。
 このようなことが業者入札に限らず、あらゆる業務遂行上において、日本側とオーストラリア側との間で確執が発生していたようです。
 この入札時期での日本側の対応のまずさから、オーストラリア側は建設本部内及びオーストラリア側スタッフが以前にも増し、日本側の仕事にも介入してきたようです。

 このように現場工事が始まっても種々の問題が顕在化してきている現地の状況から察すると、
日本側のリーダシップや業務遂行能力に問題がありSPC内に限らず株主からも不満を抱かせている。
実際の建設本部内の仕事の進捗具合は良くなかったのにも関わらず、その原因究明がなされないままであり、問題分析より達成義務の変更に関する会議ばかりであり、進捗遅れの根本的対策が見られない。
建設のキーとなるオーストラリア側の建設本部内のPMの独善的で日本人スタッフの意見を無視した動き。
建設本部長(PD)の指揮や判断の不作為から上記キーマンであるオーストラリア側PMの本部長に対する不信感と不服従。
上記キーマンの設計部(日本側)とのコミュニケーション不足と現場への指示書や設計図の誤送による混乱
各サイト責任者(APM)間のコミュニケーションギャップ(各サイトの技術的問題が共有されず、同じ問題が各現場から発生)

 このようなことが原因でプロジェクトそのものの推進に大きな影響を及ぼし、予定の工事進捗は殆んどゼロに近い状態となっていました。

 PFI 事業において進捗が遅れるということはすでに前月号でも述べたように事業収益にも大きく影響を与えることになり、大きな問題となります。
 そのため、急遽インドネシアに日本側のPMアドバイザー(PMA)を出張させ問題の発掘とその分析を行うように株主としてN社コミッショナーから依頼がありました。

 この依頼が来る前から、PMAであるKさんはこれまでのSPC内部の問題は典型的な異文化コミュニケーションの欠如と考えていました。
 例えば、日本側のエンジニアーは日本人的発想で仕事を進めていたことが、誤解を招き行き違いが生じたものと考えました。ましてやすべてが英語によるコミュニケーションです。

 一方、欧米系のオーストラリアは自己表現がストレートであり、それに対して日本側が協調性を重視し、なるべく物事を穏便に済ませようとする習慣があります。
 その結果、実際の行動の中でも日本人は会議で話されたことはやってくれると思っているが、オーストラリア側は“聞いたことがない”と(馬鹿にして)自分たちのこれまでのやり方を踏襲したのだと思います。それに対して何も言わない日本人の動向を見て、これまで日本の技術に信頼を置いていたインドネシア人までが様子見の状態となったと思いました。

 異文化コミュニケーションにおいてよく言われていることは言語だけではなく行動や態度にも異文化の認識と対応が要求されます。
 これをアメリカ合衆国の文化人類学者Hall Edwardという学者がコンテキストという概念として発表しました。
 コンテキストには低コンテキストと高コンテキストというものがあります。
 すなわち、低コンテキスト文化でのコミュニケーションは個人で言語による明確なメッセージを構築して、相手に自らの意図を明確に伝達するといったものです。これは欧米系に多いものです。
 高コンテキスト文化では日本や東南アジアに代表されるように、人間関係で情報は広くメンバー間で共有される社会では、単純なメッセージでも深い意味を持ち、特定な行動規範が伝統的に確立されていて、コンテキストに頼る部分が相対的に高く、言語による部分が相対的に低くなっている。
 このようなことを考えると何となく上記に示した日本側とオーストラリア側がうまくいっていないことはコミュニケーションや商習慣的のものだけでなくコンテキストの食い違いが原因のように考えました。

 このようなことを考えながらPMアドバイザーのKさんは現地入りし、問題の現状把握と問題解決の糸口探しを始めました。

 次月号でPMAのKさんは問題解決を“どのようにしていったか”につて話を進めていきたいと思います。

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