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「きぼう」日本実験棟開発を振り返って (16)
―東北大震災で「きぼう」と「こうのとり」大被害―

宇宙航空研究開発機構客員/PMマイスター 長谷川 義幸 [プロフィール] :3月号

 毎年この時期(3月11日)になると、「きぼう」とISS無人貨物船「こうのとり」のミッション中に発生した東北地方太平洋沖地震で筑波宇宙センターも被害を受けたため、チームメンバーが率先して行い、「こうのとり」のISS離脱・大気圏突入を無事終わらせたことを思い出します。「こうのとり」は、当初、2010年9月に打ち上げられる予定だったスペースシャトルが何度かの打上げ延期されたため、2011年2月に打上げられることになりました。スペースシャトルで運んだ荷物の梱包材がでるため、「こうのとり」に積み込んで廃棄する必要があったのです。このため、スペースシャトルより後にISSから離脱するようにNASAから要請されたので当初の40日間のISS滞在が2か月間になりました。

 2012年1月22日、種子島宇宙センターから打上げられ、27日にISSにドッキングしました。ミッションは順調でした。ところが、3月11日に大地震が発生しました。筆者は、東京駅近くの事務所で筑波とビデオ会議をやっていましたが、会議の途中、突然地響きとともに床を突き上げるような揺れとビルの横揺れが始まりました。「テーブルの下に潜り込め!」との筑波からの音声を最後に通信がきれ、以降地震の揺れは長く続き、メールも電話も不通、都内の交通機関はほぼすべて止まり筆者は明け方までオフィースでTVを見ながら過ごすことになりました。 地震のためにコンピュータルームのラックが転倒
・「きぼう」と「こうのとり」運用はNASAへ依頼
 翌朝、一部電車が動くことになり、自宅に戻り被害の確認及び家族と筑波との連絡対応をしていました。その間、筑波宇宙センターでは、地震のためにコンピュータルームのラックが転倒したり(右図上)、コンピュータの記憶装置がおかしくなったり、ケーブル配線を支える天井ラダーが天井からはずれケーブルが垂れ下がる事態が起きていました(右図下)。さらに、日米間の太平洋海底ケーブルが1本を残してすべて切断されたことから、「きぼう」も「こうのとり」の運用管制も
ケーブル配線を支える天井ラダーが天井からはずれケーブルが垂れ下がる事態
一時中止、NASAと緊急協議中でした。筆者は、地震の翌日バスを乗り継いで筑波に行き、上司とともに出社している職員を集めて、職員と支援会社の方々の安否確認、各プロジェクトと事業毎の影響状況の洗い出しと対応の指示をした後、担当者と一緒に現場確認と上層部への報告などをやっていました。当面の対応として、ジョンソン宇宙センターに臨時管制室を設置し、筑波から技術者を派遣、「きぼう」などの制御指示(コマンド)送信をNASAに依頼して監視制御の運用継続をすることとなりました。ちなみに、クリーンルームも、宇宙飛行士訓練設備もダメージを受けたのですが、幸い宇宙飛行士の訓練予定がなかったため大きな支障はありませんでした。

・復旧を急ぐ
 「こうのとり」のISSからの離脱とその後の制御は筑波からしか実施できないので、設備の復旧を急ぐとともに臨時に香港経由の太平洋海底ケーブルで西海岸まで接続するルートで臨時のネットワークを設定しました。ISSからの離脱の延期もNASAから提案がありましたが、計画通り実行したいとの「こうのとり」運用チームの執念が強かったので3月22日には、「きぼう」(右図上)と「こうのとり」(右図中)の筑波での運用を再開しました。「こうのとり」に使用済みの実験装置や衣料品などISSで発生した廃棄物を載せて、ISSを離脱しました。大きな余震が続く中、運用に支障がないか冷や冷やしていましたが、「こうのとり」運用チームは、冷静に対応していました。当初の計画軌道に戻すための複雑な軌道制御を何回も実施したのち、地球の大気圏に再突入させ(右図下)すべてのミッションを計画通り完璧に完了させました。約1週間程度の短い期間で、設備やネットワークを復旧させ通常運用に復帰、
「きぼう」の筑波での運用を再開
地球の大気圏に再突入
ミッションを当初の計画通りに行った日本の対応は、NASAはじめISS参加機関の関係者から驚きと計画通りに実施する日本人らしさを称賛するメッセージを何通ももらいました。

・想定外ハザードへの対応システムを整備
保管室を船内実験室の本来とりつけるポートに移設する  「きぼう」と「こうのとり」の運用は、筑波宇宙センターで行い、NASAのヒューストンは、必要最低限のモニター機能だけ装備することで国際合意してISS地上システムを設計していました。設計当初から、地震や台風・ハリケーンなどの自然災害への危機管理を日米間で検討し最低限のバックアップシステムや複数のネットワークの分散化を実施していましたが、想定外の地震の規模(マグニチュード8.9)でしたので、「こうのとり」の軌道制御や姿勢制御、ランデブー制御、地球大気圏突入計算などのシステムのバックアップまでは対応していませんでした。ISSは、あらゆる状態に対応するようにハザード解析を実施していたのですが、自然災害の発生頻度が低いものと捉えて対応が十分でなかったのです。例え発生確率が低くても、発生したら甚大な被害をもたらすハザードにはより深い対応を施すべきでした。このため、災害対策をとるべく専門チームで検討を重ねた結果、筑波宇宙センター内で震災の被害も受けなかった鉄筋コンクリートの建物に、「きぼう」と「こうのとり」の運用バックアップセンターを設けることにしました。
 3月11日が近づくと、筑波の宇宙ステーション運用棟のあちこちでケーブルが垂れ下がり、沢山のラックが倒れ、天井や壁の破片が落ちて床に散乱している状態の中、ヘルメットと懐中電灯をつけて足元に気をつけながら内部点検をした日々を思い出します。ハザードの確率は非常に低くても、大地震は、起きるときは起きて甚大な災害ももたらするのだから、ちゃんとした対策を計画当初からすべきだったと現役を離れた今でも冷汗三斗の思いに捉われますが、その一方で苦難を乗り越えたから辿りついた状態だろうとも思っています。“何とかなって良かった!”

参考資料 :
( 1 ) ”Japanese quake disrupts space station operation” ,Space Flight Now,March11,2011
( 2 ) 「茨城の宇宙機構施設が損傷「きぼう」一部管制できず」、朝日新聞、2011年3月16日
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