八九六四(はちきゅうろくよん) 「天安門事件」は再び起きるか
(安田峰俊著、(株)KADOKAWA、2018年6月30日発行、再版、302ページ、1,700円+税)
デニマルさん : 8月号
今回の本は、副題にもある通り「天安門事件」を巡る真相に迫るインタビューを纏めたものである。この事件が発生したのは1989年で、今から30年前である。その年の1月には昭和天皇が崩御されて元号が平成となった。そして中国では、天安門事件が発生した。更に、11月にはベルリンの壁が崩壊して、翌年東西ドイツが統一された。その後、日本ではバブル経済が崩壊したり、イラクで湾岸戦争が勃発したり、ソビエット連邦が消滅したりと激動の平成時代のスタートであった。それぞれの国の政治や経済が激しく動く中で、30年後の現在でも大きな影を残しているものがある。それが中国の天安門事件だと言われている。現在の中国ではネット上で「8964」の数字が入った決済が出来ないだけでなく、天安門事件について言及することは出来ない。外国語放送(日本のNHK等)で天安門事件のニュースが放映されると、中国の国営テレビは放映が遮断され画面がブラックアウト状態になる程に過敏な反応を現在でも示す。そんな中で著者は、この本を書き上げ日本で出版した。インタビュー形式で取材をして纏めたのだが、その方々の身の安全を護る意味で、氏名等の個人情報やインタビューをした場所にも配慮している。その取材は2011年から7年間で60名以上、内25名を取り上げている。その後、「あの事件はいったい何だったのか。中国国内にいる人達や、フランスやアメリカに亡命した人等々。そこから浮かび上がってくる一つの事実は、確たる思想的背景もなく、目標が共有された運動でもなかった」と書いている。胡耀邦が亡くなったことをきっかけに、何となく若者たちの鬱憤晴らしでハンストにまで至ったが、戦車に鎮圧された。あれ以来、中国は鄧小平による改革解放政策で経済的に大躍進を遂げた。一方貧富の差は拡大し、要人の腐敗は横行し、言論統制は益々強まった。しかし当時よりも生活は格段に豊かになり、北京五輪は大成功し、経済大国となった。そこで天安門事件に関わった人が当時何を考えて行動したのか、そして現在どうなっているかを取材して纏めた本である。この本は、第50回大宅壮一ノンフィクション賞と第5回城山三郎賞を受賞した。著者は受賞インタビューで「政治的には専制体制だが経済は大きく成長し、愛国主義プロパガンダで自国民をまとめ上げる。そんな現代中国の姿は、天安門事件を出発点として生まれました。米中対立の深刻化と中国経済の停滞を迎え、中国の過去30年間の歩みが問われている今こそ、天安門事件の意味を再び考え直す時期が来ているのかも知れません。そうした区切りの時期に、拙著が受賞したことを嬉しく思っています。」と語っている。この本から、天安門事件がもたらした問題を市民目線で本質に迫り、過去と現在を対比し、他国への影響にも触れている現代中国史の参考になる。
八九六四とは ――1989年6月4日の事件――
改めて、この題名の八九六四とは、1989年6月4日に発生した「天安門事件」である。この事件は、1989年4月に中国共産党の改革派指導者だった胡耀邦・元総書記が死去した。追悼する多数の学生や市民が北京の天安門広場に集まり、民主化を求める大規模な運動に発展した。それに対して、鄧小平ら党指導部は運動を「動乱」と判断し、6月3日夜から4日未明にかけて軍隊を投入して運動を制圧した。当局は、その時の死者を319人と発表した。しかし、日本をはじめとする海外メディアは、数千人以上とする説もあるが、中国共産党の報道規制で客観的な数字の把握は困難な状況は現在でも変わりない。そして、この天安門事件を契機に、中国は改革解放政策にカジを切って経済的な大躍進を遂げた。社会ではサイバー化が進み、都市部ではスマホが無ければ生活出来ない程に発展した。更に、全世界の監視カメラの7割が中国に集中する様に、顔認証技術を含む個人情報が集中管理される結果となった。個人の言動や交友関係も含む監視可能な社会となった。そんな状況は、天安門事件を含んだ過去を語り継ぐことが許されない社会で、歴史が忘れ去られる危険がある。だから天安門事件の関係者の記録を書き残す事は色々な意味で必要であると書いている。この本は、中国の歴史上の貴重な証言録であり、読むに価値ある記録でもある。
天安門事件の影響(その1) ――台湾・ヒマワリ学運――
ヒマワリ学生運動とも呼ばれ、2014年3月18日に台湾の馬英九総統が、中国とサービス貿易協定を締結しようと計画していた。これに対して学生と市民らが反対して、立法院を占拠した学生運動から始まった社会運動である。やがて五十万人規模のデモに発展して、政府は、世論の後押しを受けてサービス貿易協定を実施的に棚上げとなった事件である。この本のインタビューで天安門関係者とヒマワリ学運指導者との接点に触れている。お互いに会って言葉を交わした程度だが、天安門事件の総括が活かされたとしか書かれていない。
「台湾は、市民自身が民主化を勝ち取った社会運動の歴史の基礎があったから」という。
天安門事件の影響(その2) ――香港・雨傘運動とデモ――
1997年にイギリスから中国に返還された香港では、毎年六四天安門事件の追悼デモが行われている。だから香港は「天安門の都」とも呼ばれている。そんな背景がある香港で2014年9月に「雨傘革命運動」が起こった。これは2017年に実施される行政長官選挙に関して、中国政府が自由な立候補を阻む選挙制度を決定したため、学生等が反対運動を起こした。それに対して警察が催涙スプレーでデモ隊を排除したが、その時雨傘を開いて対抗したので「雨傘革命」と呼ばれた。このデモは3カ月後に、鎮圧されて終結した。デモに参加した人のインタビューから、天安門事件の関係を探ることは出来なかったと著者は書いている。(筆者・追記:この本が出版された翌年の2019年6月に香港で「逃亡犯条例改正」に反対するデモが百万人規模で展開された。当局は条例案の改正を棚上げしたが、廃案した訳でない。このデモの参加者は、過去の雨傘革命運動の数を大幅に上回る規模であった)
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