PMプロの知恵コーナー
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「エンタテイメント論」(135)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :6月号

エンタテイメント論


第 2 部 エンタテイメント論の本質

6 創造
●前号で主張したこと
 前号では、①AI技術の進化による今後の「懸念像」と「期待像」の世界を夫々概略した。その上で②懸念像か、期待像か、どちらの世界になるかは、我々自身の意志と行動が決すること、③我々とは、全ての人々の中で、特に経済、産業、事業に直接関わる企業の社長、役員、管理者、一般社員を意味すること、④社長と管理者は「期待像」を実現させる自覚と行動を持つべきであることを主張した。

 更にPMAJの「在り方」として、PMとP2Mだけを活動基盤と技術基盤にするのではなく、AI技術を核とする「デジタル・トランスフォーメーション(DX)」に対処できる「新しい何か?」をその基盤にするべきだと主張した。

 その「新しい何か?」とは、例えば、仮称「新・事業プロジェクト創造(New Project Creation=NPC)」の活動を云う。それは①世の中に役立つ「新しい価値」を生み出したいと云う「夢」を基に、「新しいアイデア(コンセプト)」を考案する、②それを膨らませて新事業プロジェクトを企画、計画、建設、実現、成功までの「創造の仕組み」を構築する、③その仕組みを具現化する「活動基盤」を確立する、④その仕組みで成功させる「創造力」を育成する、⑤その人材を支援する等である。

  出典:デジタル・トランスフォーメーション(DX)を皆で克服しよう。
depositphotos.com/950/-we-can-do-it-cool. 出典:デジタル・トランスフォーメーション(DX)を皆で克服しよう。
depositphotos.com/950/-we-can-do-it-cool.  
出典:デジタル・トランスフォーメーション(DX)を皆で克服しよう。
depositphotos.com/950/-we-can-do-it-cool.

●本号で主張したいこと
 前号の巻末で「個人」に対して「創造的な経営プロと仕事プロ」になることを薦めた。その様なプロが一人でも多く育てば、「新しい価値」を創造する「企業」の人材基盤が形成される。その様な基盤形成で創造的企業が生まれれば、「新しい事業」が形成される。その様な新しい事業が一つでも多く蓄積されれば、「新しい産業」が形成される。その様な産業が一つでも多く蓄積されれば、「新しい経済」が形成される。この「形成と累積」によって初めて、危機に直面した日本の事業、産業、経済を再生させることが可能となる。これ以外の現実的な道はない。従ってそれらの原点は、個人一人一人が「創造的な経営プロと仕事プロ」に挑戦し、プロになることである。

 一個人として、一企業として、そろそろ「覚悟(意思決定)」を決め、「挑戦(行動)」しようではないか。その覚悟と挑戦こそが、自分自身のためになるのだ。それだけではない、家族のためにも、会社のためにも、社会のためにも、日本のためにも、そして世界のためにもなるのである。

●自己変身と自社変身
 読者は、今後、懸念像と期待像のどちらの世界を予想するか? 筆者は、どちらかの世界ではなく、懸念される世界と期待される世界が混合した世界を予想する。

 いずれにしろ、懸念される世界を予想する場合は、その予想が現実化されるまでに、その懸念される問題を解決しておかなければ、会社は潰れ、自分は職を失うのだ。又は期待される世界を予想する場合は、その予想が現実化されるまでに、その期待される課題に応えられる様にしておかなければ、会社は発展せず、自分は成長しないのだ。

 「与えられた職務」を遂行することは重要な事である。しかし「与えられる職務」を創り出すことはもっと重要である。「創造的な経営プロと仕事プロ」になると云う「自己変身」を達成させることは、本当に「シンドイ」ことであろうか? 社長(役員)や管理者(一般社員)の立場で「創造的な企業」に発展させると云う「自社変身」を達成させることは、本当に「シンドイ」ことであろうか?

  出典:自己変身
developer.ibm./sites/transformation 出典:自己変身
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sites/transformation

●自己変身と自社変身のための「世界一プロジェクト」
 個人としての自己変身、企業としての自社変身を達成する事は、実行すれば分かる。「シンドイが大変楽しい」のである。具体的イメージを示せば、理解されるかもしれない。

 個人として、企業として実現させたいイメージは、どんなに小さな事でも、どんなに大きい事でもOKである。とにかく「何か?」を仮説し、決意し、挑戦するのである。その決意の「意思決定」とその挑戦の「行動」が個人としての自分を変身させ、企業としての自社を変身させるのである。

 ちなみに「夢工学」は、「夢が実現し、成功している具体的な状況と具体的な効果を仮説せよ」と求める。前者を「状況仮説」と、後者を「効果仮説」と云う。夢工学は、「仮説設定強制実現法」でもある(この事は本稿で解説済)。

 日本の企業は、戦後の焦土化し、荒廃化した国土から立ち上がり、世界一の鉄鋼、世界一の電機、世界一の造船、世界一の製紙などを次々と生み出した。この「奇跡の復興」を成し遂げた日本は、今、どこに消えたのか。

 ちなみに筆者は新日本製鐵の前身であった八幡製鐵と富士製鉄の内、後者の会社に新卒入社し、奇跡の復興の一端に関わった。その後、世紀の大合併による新日本製鐵は世界一の鉄鋼会社に発展した。しかしこの奇跡の復興に関わった「先人達」の多くは、この世に存在しない。この先人達に、日本が「夢」のある国になるための「シンボル・プロジェクト」を提示したい。いろいろ考えられるが、その中の1つとして「世界一プロジェクト」はどうであろうか(下記、順不動)。

世界一高い、地震に強いAIビルの研究・開発・設計・建設・普及プロジェクト
世界一の大規模・AI仕事ロボットの研究・開発・製作・販売プロジェクト
世界一の大規模・AIエンタテインメント・ロボットの研究・開発・製作・販売プロジェクト
世界一の大規模・AI教育ロボットの研究・開発・製作・販売プロジェクト
世界一の大規模・AI再生医療の研究、開発・実用化・普及プロジェクト
世界一の大規模・AI総合医療研究所(医学大学)の創設と運営プロジェクト
世界一の超連結・AI観光バス・貨物バスの研究・開発・製作・販売プロジェクト
世界一の大規模・AI客船・輸送船の研究・開発・製作・販売プロジェクト
世界一の大規模・AI海中走行客船・輸送船の研究・開発・製作・販売プロジェクト
世界一の大規模・AI超ジャンボ旅客機・輸送機の研究・開発・製作・販売プロジェクト
世界一の大規模・AIテーマパークの研究・開発・設計・建設・普及プロジェクト
世界一の大規模・AI超強度・超安価・鉄鋼製品の研究・開発・製作・販売プロジェクト、、など

●世界一プロジェクトの実現と成功は可能か?
 筆者が「世界一プロジェクト」と提示した途端に、多くの人達から以下の様な批判が出るだろう。

そもそも、そんなプロジェクトは「実現不可能」である。
そんなプロジェクトを実現させる「技術」が企業にも、日本にも、この世にもない。
そんなプロジェクトは事業採算性がない。儲かる証明がない限り「カネ」は集まらない。
そんなプロジェクトを実現させるためのインフラが整った「土地」は日本にない。
そんなプロジェクトを実現させる事より、今、困っいる事を「優先」して実行して欲しい。
そんなプロジェクトを企画し、指揮統率できる「ヒト」がいない。またプロジェクト・メンバーも集められない、、、、など

 この「批判」は、「実現不可能」を皮切りに「技術はない」、「カネがない」、「ヒトがいない」など所謂「ナイナイ批判」の様相を帯びる。この様な批判は、多くの企業で「既存事業」の改善や「新規事業」を開発の時、改善提案者や開発提案者が必ず受ける批判と同じだ。100%成功の証明を要求され、証明できないためと全ての廃案になる。馬鹿げている。技術、カネ、ヒトが無いなら世界中を探せば手に入るはず。それでダメなら自分で、自社で、他社と協力して開発すればよいのだ。

●ナイナイ批判と立証責任
 筆者は、「ナイナイ批判」の内容が正しくない、誤っていると頭から決め付けている訳ではない。しかし「ナイナイ批判」をする人物は、その批判をするに際して、自らにも課されている「責任と義務」を忘れてはならないと言いたい。

  出典:被批判者の苦悩 amazonaws.com/media shutterstock_2456188 出典:被批判者の苦悩
  amazonaws.com/media
  shutterstock_2456188

 何故なら「批判するだけなら、子供でも出来る」からだ。日本のメディア登場の学者や評論家は批判し、問題指摘するだけ。特に社長や管理者は、ナイナイ批判するなら、「代替案」を示すべきである。単なる批判は会社の経営や事業運営にとって「百害あって一利無し」である。

 特に「事業性の立証責任」を既存事業の改善者や新規事業の開発者に一方的に押し付ける社長や管理者は「百害の存在」である。社長も、管理者も、改善者と開発者と共に「連帯責任、連帯義務」を負うべきである。

 日本の「事業、産業、経済」が過去30年間で大きく衰退した根本原因の1つは、社長などの上司が「連帯責任、連帯義務」を負わず、部下に証明責任を負わし、「夢」があり、成功の可能性がある「素晴らしい提案」を数多く「闇」に葬らせたためだ。そもそも、この世で成功する100%の証明は不可能である。その観点から「昭和憲法」は、罪の立証責任を国に負わし、「疑わしくは罰せず」と決めた。この真意を多くの人達は理解しているだろうか。特に社長と管理者は理解すべきである(この事は本稿で解説済)。

つづく

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