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瞬間の力

井上 多恵子 [プロフィール] :1月号

 今、私の机の上には、真っ青な色のカバーがついた一冊の本が置かれている。題名は、“THE POWER OF MOMENTS” (瞬間の力)。副題として、”Why Certain Experiences Have Extraordinary Impact”(なぜ特定の体験は特別な影響を及ぼすのか)と書かれている。青いガラスのビンの中で稲妻が光っている図柄が、大きく用いられている。稲妻は、特定の体験によって生じた特別な影響により脳内のシナプスがつながり反応している状態を示しているのだろう。組織開発のコンサルティング会社からもらった本だ。
“THE POWER OF MOMENTS” (瞬間の力)。
 ここ10年を振り反ってみた時、強く記憶に残っている出来事は何だろう。初めての場所への旅や、すごく苦労した末に上手くいった仕事や極上のレストランでの食事のシーンなどが思い出される。これらは日常とは違う特別な時として記憶されている。それ以外は、平凡な日常であまり記憶に残っていなかったりする。この本を読むと、人々の心の動きを理解することで、特別な瞬間を意図的に創り出すことが出来るのだということがわかる。
 特別な瞬間を意図的に創り出す場面や方法が複数紹介されている中で、私が特に共感したのが、相手の良いところを見つけて伝えてあげるということと、人との繋がりを大事にすることだ。自分はダメでできない人だとずっと思っていた人が、ある人に出会い、その人に自分の強みを発見してもらい伝えてもらうことで、自信を持つようになるケースを私自身経験したことがある。自分のできないことが目について自分のことを嫌いになり落ち込んでいた時に、父親が与えてくれたレジュメプロの仕事。それは、転職や留学をしたい人の職務経歴書の作成や面接のサポ―トをするというものだった。文章を書くこと、英語を使うこと、そして何よりも自分が得意なことで人を助けることの喜びを思い出させてくれた。あの瞬間があったからこそ、今の私がいる。こうやってジャーナルに原稿を書いたり、人のキャリア相談にのったりしている私が。自分の強みや良さを誰かに言ってもらえることでどれだけの喜びを得ることができるかを体験したから、私が企画する研修には、可能な限り、そういうワークを入れている。プレゼンテーション力を磨く際も、必ず研修生仲間に一言、良い点を言ってもらっているし、半年間の長期の研修プログラムの場合には、最後に手紙の形で良い点を書いて渡してもらったりもしている。
 人との繋がりの例として、興味深い事例があげられている。教師の家庭訪問時の会話を変えることで、荒れ果てていたアメリカの小学校を復活したというものだ。かつては、45分間の家庭訪問の目的は、両親が子供を支援することを約束した書類にサインをもらうことだった。それをがらっと変えて、両親の子供に対する想いを傾聴する形にした。次のような問いを投げかけて、ひたすら両親の言うことに耳を傾けることに徹する、というものだ。「学校における子供達の経験について、教えてください。あなたの経験について教えてください。」「お子さんの将来についてのあなたの希望と夢について教えてください。」「お子さんがより効果的に学ぶことを助けるために、(教師である)私は何をする必要があるでしょうか。」最初はこの活動に懐疑的だった先生達も、親の反応を見て気持ちが変わっていったと言う。たった45分間の訪問で親の心を動かし、生徒の結果に深い効果を与えることができるということが、調査結果でもわかったという。長い時間接していても変わらなかったものが、たった45分間という枠と、誰にでも実行可能な形をつくることで、膨大な影響を与えることが可能なものになった。
 人との関係性を深めるのに接している時間の長さが関係ないのだとすれば、人にポジティブな影響を与えることができるチャンスは、無限にあることになる。今の私には、個人やグループを指導する機会がたくさんある。果たしてそれらの機会を十分活用しているのだろうか?日々のやり取りを含めて、「自分が話したいこと」に焦点があっているような気がする。もっともっと、「相手の想い」に寄り添うことを意識したい。
 Moments that matter (重要な瞬間)という表現は、別のところでも耳にした。イノベーションを起こすために求められるリーダーシップ力を磨く研修では、Moments that matterにどのような態度をリーダーとして取るのか、ということを学んでもらっている。全ての瞬間に望ましい行動を取れるわけではないことを認めた上で、ある特定の瞬間には、ちゃんと対応しようと呼びかけている。研修を実践に繋げるための手法を学んだ際には、学んだことを職場で発揮してもらいたい場面=勝負時の瞬間を特定する大事さを知った。
 日々を構成する瞬間瞬間をどう扱っていくのか。意図的に扱っていくことで、時間に重みが増し、より記憶に残る日々を過ごせそうな気がしている。

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