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「日本再生“アベノミクス”を成功させるために何が必要か」 (57)
高齢化社会の地域コミュニティを考えよう (33)

東京P2M研究会 渡辺 貢成: 12月号

Z. Iさん!
先月号では次のことをIさんは提案した。
再生協議会が主導権を取り、子育に関連する機関(企業・組織)を集めて、コンソーシウムをつくる。コンソーシウムは子育てに必要な役割と機能を持っている現実の機関を協議会はとりまとめて、これをプログラム・マネジメントで処理する。次にコンソーシウムの関連各機関はそこで子育てに関連する得意分野を明確にし、役割分担を決める。
再生協議会はコンソーシウムという協力関係のある組織を統括するが、これまでに子育てを実施していながら、社会的には多くの課題を抱えている。例えば“保育園の入園待ち”という厳しい現実、女性にも残業を求める企業の慣習で子育て中は共働きが困難という課題がある。そこでコンソーシウムはすべての課題を各機関から提案させ、問題点の課題化という作業を試みる。
ここでプラットフォーム・マネジメントという手法を取ることで、各機能組織に最適な業務をさせることで、これらの課題解消を達成させ、そのことで全体のコストの低減を図る努力を実現する。
また、最適でなくても、同種の業者が行っている仕事を整理することで、ダブリという現象を整理することでコストの削減ができ、このプラットフォーム戦略は大きな意味で「価値創出」に貢献できる。
Iさんの発想は以上と考えていいかな?

I. 基本的にはその通りです。しかし、それはPMAJが実施した場合のことです。
PMAJ会員にはコンピテンシー(実践力)という理論と実践をまぜ合わせた力量を持つ、“PMR”という資格を付与された人々が大勢います。彼等ならこの提案に飛びついてくるでしょう。

しかし、多くの「日本的ムラ社会」の人々は、島国であることが原因だと思いますが、国外という怖い競争相手がいることに鈍感です。日本は島国ですが、人口規模がグローバル社会で生きていけるだけの人数と人材がそろっていました。しかし、人口減少という現象が進むと、競争力の低下を止めることが困難になります。しかし、環境がそろえば、人口の減少を少しでも和らげる方法を見つけることもできます。私たちはそれを狙っています。
その目標があるので頑張っているわけです。
Z. 何か心配事があるのかな。
I. 私が心配しているのは日本社会の【ホンネとタテマエ】との使い分けが、日本社会の大きな特徴であり、使い方によっては欠点となります。
2000年以降IT経営という言葉が日本社会を吹き荒れました。企業はIT経営を実施させるために、社員教育を行いました。その代表が“ITコーディネータ”という資格試験でした。50万円もする資格試験を大勢の社員に受講させました。その結果多くのITコーディネータが誕生しました。しかし、即戦力にはなりませんでした。
Z. 理由は何かね。
I. 簡単な話です。日本社会は終身雇用であったため、企業は時間をかけて新入社員を教育することを考えていました。そのため日本企業はマニュアルを作りませんでした。理由は自分の仕事を通じて、自分なりの創意工夫をする習慣を求めました。これが日本の製造業を世界一に引き上げました。
一方欧米の社会では転職が日常茶飯事に行われています。そのため欧米社会は転職した社員の生産性を高めるためにマニュアルを用意し、転職社員を即日(1週間以内に)仕事を覚えることが求めています。そのため米国の製造業はマニュアルでつくれる程度の品質の製品を大量に売りさばく策をとりました。米国の企業は品質を高めるとコストがあがるという発想で、低価格・大量生産を実施していました。
この方式は「高性能を求めた日本方式」に対し、米国民好みの大型で格安品を大量に作ることでより売り上げを伸ばし、利益を上げていました。ところがオイルショックに見舞われた時にガソリンを浪費しない車が評価され、日本車がバカ売れしました。この時米国人は偉大なことを発見しました。トヨタの車を買った人はガソリン浪費問題より、1年間乗り回しても全く故障しない車に遭遇しその素晴らしさに感激し、トヨタ車に切り替えた米国人が増え、大型車時代から中型車の時代に代わりました。
これらの時代は1990年までで、売り上げのピークに達しました。1995年にはインターネットが普及したため、ITがその後の経営に寄与することに米国は気が付き、日本の製造業打破のためIT経営を実施する時代となりました。この時代の米国はマニュアルをコンピュータに覚えこませることで、業務の生産性を10倍以上に達成させました。
Z. 日本でもデジタル経営を実施していると聞いているが、どこが違うのかな。
I. 2000年頃からIT経営が盛んになりました。これまで日本の企業はマニュアルなしで、それぞれの個人が工夫を凝らしながら改善、改善で業務を進めてきました。そのため、個人の活性化は図れましたが、標準化作業が進展しませんでした。一方欧米の経営はトップダウンであり、個人の業務も標準化されているため、IT経営を容易に達成させました。
日本の経営者は過去の実績を重視し、すべてを稟議で(アナログ方式)で処理していました。日本の経営者は現場の絶えざる努力によって業績を上げていましたが、IT経営となって、経営者は自分が何を下々に命令すればいいかハタと困りました。経営者は創意工夫をしたことも、経営ビジョンを出すこともなく過ごしてきたのでITをどのように企業運営に寄与させるかわかりませんでした。顧客との接待、政府官僚との接触が重要な仕事だったわけです。そこで役所の下部機関であるIPA(情報処理推進機構)は、IT経営は社長が経営ビジョンを提示することだと指示しました。しかし調整能力で生き延びてきたCEOは技術的なことは苦手でした。そこで米国を見習いCIOという役職をつくり、代行させました。代行させられた役員は社長という権限がないので、ビジョンを出せず、すべてがITエンジニアにゆだねる結果となりました。それがITコーディネータ資格制度の発足理由です。日本企業は米国のIT経営のビジネスモデルを導入し、IT経営の形を整えましたが、経営運営の標準化ができていない企業はその標準モデルを使うことができませんでした。しかし、企業の報告によると、CIOを経営に参加させ、IT経営がスムーズに進んでいると報告していました。しかし、現実は高い金を出して購入したITソフトを使わず、従来からのアナログソフトに戻しました。従って日本では各企業にCIOをおいて、すべてが機能しているとの報告をしたが、ホンネはできなかった内容の書類を発見しました。
これに対し米本国のIBMは本業であるコンピュータのハードは売れないとわかり、経営をハード思考からソフト思考に変えました。そして社長自らが新しい技術が経営に与えるメリット、デメリットを調べ、新しいビジョンを出して、会社の方向転換に成功させました。IBMではIT経営を実践するためCEO(経営管理室)とCIO(IT経営管理室)が対等に話し合える形で同数のスタッフを採用し、日々研鑽していると言っていました。日本企業は形だけのCIOを一人つくり、これに責任を押し付けてきました。IT経営という新しい経営を進めるには世界の情勢からどのような戦略を立て、変化の激しい時代をどのように想定し、成果を上げるかトライ&エラー方式で日々の変化を取り入れる努力が必要です。それができことで、コンピュータが自らの業績や成果を自ら報告することで経営を正しく修正できました。
そこで気が付いたのは『ホンネとタテマエの日本的法則』です。公にはタテマエとして成果を上げた報告を出しながら、業務を支配する作業マニュアルがインプットされていない日本では、多くの企業ではホンネとしてアナログ経営が残されています。
Z. なぜ、このようなことを話すのか、聞かせてほしい。
I. 先週再生協議会の会長と会って、来年度以降の話を聞きました。結果的には私が提案した第三次計画については実行しないというのです。理由を聞くと、この町には大きすぎる提案だと要求を却下されました。私が本当に提案したのは第三次計画の事例ではなく、第二次計画を実施している間に世間では成功している事例を集めて研究し、計画のレベルを上げて欲しいと願っている提案をしたのです。提案するのに具体的な例がないと話にならないので第三次案を提供しました。この案はあなたが考えるほど大きな計画ではありませんと説明しました。
Z. その答えはどうだったのかな。
I. ホンネが出てきました。町が再生協議会で狙っているのは、人数の多い自治会などを動かすことを考えている。我々には自治会を動かす力はないと本音を吐きました。
Z. それでは全く前進していないではないか。
I. 恐れていた結果が出てきました。
Z. それではあなた方はお払い箱かな。
I. そうかも知れません。
Z. それで対策はないのかな。
I. 実は協議会を追われた、若手の人材がいまして、彼が町議会に立候補するという。
そこで後援会長に、顔の利く人材を祭り上げ、私もその一翼を担うことにしました。
後援会に集められた人材は顔の広い人ばかりでした。おかげさまで私の顔も広がりました。
Z. しかし、新人候補は厳しいからね!大丈夫かな。
I. わかりませんが、いろいろ考えて努力してきました。
この町では私は新顔です。どこの馬の骨ともわからない存在だったので、いろいろと自重してきました。
ここで後援会の各位にお願いしました。再生協議会の現状です。過去5年間の“アベノミックス”への調査研究資料を見せて説明しました。私の提案は絵空事ではないよと。
Z. それは頼もしい成果を得たといえるな。
I. 後援会長とは別に町では知識人材として評価されている人物から、新人を議会に送り込むなら、政策研究会をつくろうという提案が出ました。
Z. それはいいことだな。しかし、まず選挙に勝つことだな。選挙に勝ったら、飽きずに継続させないと力にはならないから気を付けることだな。
I. 先週の日曜日に選挙が行われました。驚いたことに4位当選でした。
多くの人々から、どうやってそんなに多くの票がとれたのか不思議がられました。
Z. それはおめでとう!いよいよ何かが動き出したのかもしれない。これからは更に賢く、齟齬のない戦略を実行することだと思う。
I. エンジニアリング系のビジネスの世界ではプロジェクトマネジャーは全責任を抱えて仕事をまとめます。それには金と権力が必要になります。しかし、この再生協議会では、何もできない新人として見られてきました。まず下済みの仕事を熱心に実行しました。老人会の新米会長になり、会のロートルにいびられても、ハイハイと言うこと聞き、逆らわずに行動しました。知らない小さな仕事も大変重要なものがありました。何かができるかということより、信頼がおけるということが最大の評価だと思います。若手町会議員に政策のアイデアをもたせ、意見が通るようなやり方を考えたいと思っています。
色々なご意見ありがとうございました。
Z. いやいや、これからが本番で大変だと思うよ。体に気を付けて頑張ってください。
I. ご同様に!ご健康にご配慮願います。

以上

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