1965年6月12日、筆者は新日本製鐵チャーターの鉄鉱石運搬船「邦雲丸」で、南米チリ中部のコキンボ(Coquimbo) 港に降り立った。中南米研究に携わっていた筆者には、早朝5時、突如目の前に迫るアンデス山脈の末峰を背景にカモメ舞うコキンボ港はあまりに美しくそれから1年間の南米放浪の旅の強烈なページ1となった。
1966年4月12日に同じチリ中部のチャニャラルから帰国の旅について以来、今日までとうとう中南米に足を踏み終えることはなかった。ある種望郷の念で時々チリのフォークソング(フォルクローレ)“Si vas para Chile”という曲を口ずさんでいた、「チリ―に行くなら、昔私が愛した人が住んでいた町に寄って、私は元気にしていると伝えておくれ」という歌詞である。チリにもう一度行きたいというのは今日まで一生懸命働いている一つの理由となっている。
11月19日から、恒例の一般財団法人海外産業人材育成協会(AOTS)主催PMAJ受託の低炭素化社会に資する海外管理者P2M研修(PPTP研修)を北千住のAOTS東京研修センターで実施した。参加者名簿を見ていてびっくりしたのは、なんとコキンボを本拠とするチリの鉄鉱石鉱山企業のプロジェクト部長がいるではないか。ということは53年前に私がチリ往復をした鉄鉱石運搬タンカーの積み荷を輸出している企業だ。この Roberto Lopez 氏は無事コースに参加し、感激の対面を果たした。かくして、筆者のチリ友好のバトンはピンポイントで、11月19日に繋がれた。次は、筆者がこのバトンを持ってチリを再訪する番だ。