図書紹介
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土の記 (上)
(高村薫著、(株)新潮社、2018年3月30日発行、第2刷、248ページ、1,500円+税)

デニマルさん : 9月号

今回紹介する本は、現在最も話題性に富んでいる。一つは、この本が昨年末から今年にかけて三つもの賞を受賞した点にある。三つの賞は、第70回野間文芸賞(2017年11月10日発表)と第44回大佛次郎(2017年12月17日発表)と第59回毎日芸術賞(2018年1月1日発表)であった。先ず野間文芸賞(野間文化財団主催)だが、1941年に野間文芸賞と野間文芸奨励賞が創設された。当初はその業績に応じて作家個人に贈られていたが、現在では基本的に中堅以上の作家の小説・評論作品に対して贈呈されているが、純文学の小説家・評論家を対象としている。次に、大佛次郎賞(朝日新聞社主催)は、1973年に創設され、その形式の如何を問わず優れた散文作品に贈られている。毎日芸術賞(毎日新聞社主催)は、文学、演劇、音楽、美術、映画等全ての分野で功績があった人に与えられる賞で1959年に創設された。対象範囲が広いので1998年から新たに、演出家に与えられる千田是也賞が設けられた。以上の三つ賞は、純文学作品を対象に選ばれている。そして著者の作品だが、「黄金を抱いて翔べ」(1990年、日本推理サスペンス大賞)や「リヴィエラを撃て」(1992年、日本冒険小説協会大賞)や「マークスの山」(第109回直木賞)等々、筆者は永年サスペンス分野のファンとして高村作品を読み続けている。今回の作品と過去を対比して見ると底流で一致している様にも思えるが、自然と人間の関係がより不均衡になってきたのか。

自然と農作業の営み           ――棚田で繋がる山村――
主人公・伊佐夫は、電機メーカーを定年退職して田畑を耕し、棚田で稲を耕作する72歳の前期高齢者だ。妻は交通事故で植物人間となり、16年間介護を続けたが他界した。その交通事故は、妻が乗ったバイクとトラックの事故だった。村では妻が時々男と密会していた噂がある。事故は偶然だったのか故意によるものか不明だが、妻の死の実感も乏しく、記憶がまだらボケで真相究明に程遠い。大学時代に学んだ地質学の知識と経験を生かしての農作業だが、近所では理科の実験の延長かと揶揄されている。しかし、様々な稲の育て方を試しながら農作業中に出会う蛙や鯰といった生物たちのとの営みを観察する生活である。

農業は自然と人の営み          ――人と自然が創る稲作――
この物語の舞台は、奈良県大宇陀(室生寺、八咫烏神社等で有名)にある集落である。稲作は、田圃の水入れから田植え、水抜き、除草から稲刈り作業等、村全体の共同作業である。それに降雨や日照時間や気温等の自然現象を相手に、余り変化の少ない生活の中から稲の生育の細かな観察が続く。著者は「穂ばらみ期を迎えた稲たちの、そして紡垂形の薄黄色の種籾」等と細やかな情景描写で綴っている。まさにここで展開される物語は、自然と人間が繰り広げる稲作の地道な個人と集落の人間模様である。天候に一喜一憂しながら自然と共存している。その田畑も先祖伝来の土地で、水や太陽と同じ自然の恵みである。


土の記 (下)
(高村薫著、(株)新潮社、2018年3月30日発行、第2刷、251ページ、1,500円+税))

しかし、著者は「晴子情歌」(2002年)から「新リア王」(2006年、親鸞賞)以降、『太陽を曳く馬』(2010年、読売文学賞)辺りから、全く方向を違えた純文学方面の作品に傾注している。それはそれでいいのだが、どんな経緯で作風が変わったのか興味があった。その辺のことを、野間文芸賞授賞の挨拶で「当初はエンタテインメント小説を書いておりましたが、97年頃に勝手にエンタテインメントの列車から降りて純文学の列車に乗り換えてしまいました。(途中略)小説らしさという発想を持たない私は、身体感覚と言語感覚だけを信じて、一行一行、高さや幅や厚みを眺めながら言葉のレンガを積み上げていくことしか出来ません。小説の一行一行、その小説空間を生きる登場人物の呼吸の一つ一つ、移動する足の一歩一歩、流れる時間の一時一時であり、主人公の物思いのひとかけらひとかけらです。それらがどうにかこうにか繋がって『土の記』という小さな世界が立ち上がっていきました。(途中略)生きることの喜びに満ち、生命が滴っているようなそんな世界を見たい。そう思ったのは、二度の大震災を経て作家自身がそのように変容したからだと思っています。しかもちょうどうまい具合に、そうした変容が比較的自然に感じられる年齢に差し掛かっていたことを思うと、私はやはり運の強い作家なのかもしれません。」と述べている。今回紹介の本は、自然環境に生かされている人間の営みを深く掘下げた純文学である。

農業と自然災害-1           ――東日本大震災と農作業――
先の著者の授賞挨拶にある二度の大震災とは、阪神淡路と東日本大震災である。この本の舞台である奈良県と東日本大震災地とは、遠く離れている。しかし、物語の展開は地盤である「土」を通じて一つに繋がっている。それは物語前半の山村での緩やかな日常の農作業にも生と死、現実と幻想が混在して、時間も空間を超越して一つの世界に融合している。主人公が水田に迷い込んだ鯰に執着する点や、棚田の近くの山を襲う雨から崩れ掛かった斜面の描写から一見静かな田舎生活が、足元から崩壊していく「土」の変化を強く感じる。

農業と自然災害-2           ――台風がもたらしたもの――
この本には、現在日本が抱えている身近なことがさり気なく書かれてある。高齢化した農業、身近な交通事故、寝たきりの病人や家族の介護、子供の離婚や孫の生き方、振興宗教のトラブル、借金と夜逃げ、静かな山村での殺人事件、大震災と放射能汚染の風評、大雨による地滑り災害等、奈良の辺境の地に限らない。著者は、「震災の経験から生きている喜び、ただそれだけの事を書きたかった。それは命の方から言葉を紡ぐような力が出てきた」と語り、この本の最後は台風の話で閉め括られるが、この詳細は読んでのお楽しみである。

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