グローバルフォーラム
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「グローバルPMへの窓」(第125回)
コート・ダジュール駆け足旅行

グローバルPMアナリスト  田中 弘 [プロフィール] :7月号

 5月末岡山県立大学に秋の授業の打ち合わせに行った。その際、前泊地の岡山市から瀬戸内海沿い宇野港駅前にある「瀬戸内温泉たまの湯」に行ってみた。瀬戸大橋ができて、JR瀬戸内線が岡山と四国を結ぶまでは、宇野港は四国へのJR宇高連絡船の発着港として一等駅であった。今はどうなっているかに興味があり、宇野港に夕方から行ってみたら、港は、ほぼベネッセが開発したアートの島 直島(香川県)へのフェリーの連絡港となっていたが、看板につられて徒歩5分の瀬戸内温泉を訪ねた。
 たまの湯の名が付いた、湾に面するこの日帰り温泉は、温泉の質も設備も期待以上に良かった。地下1800メートルからくみ出す塩分の強い温泉は、瀬戸内海の塩分ではなく、地下の石灰岩に太古より堆積した塩分が成分とのこと。棚田の湯など7つの露店温泉でくつろいだ後、瀬戸内料理のコースを楽しんで、〆て4100円であった。
 夜で往復の便が悪いので、長居はできなかったが、リラックス施設も大変充実しており、半日過ごすには素晴らしいところを見つけた。

 6月9日から13日まで南フランス コート・ダジュールの一角にあるソフィア・アンティポリス(Sophia Antipolis)を訪問した。ソフィアは、有名なリゾート地ニースとカンヌの中間に位置し標高200メートルの森林地2300ヘクタールを開発して作られサイエンスパークで、世界から1300社以上の企業を誘致し(日本からはトヨタなど)、先端研究に携わる従業員の数は3万人近くに達する。
 ここに何しに行ったかであるが、筆者が客員教員として属するSKEMAビジネススクールのニースSAキャンパスがあり、前のPM学部長であり、本年1月に日本に来てくれたロランス・ラクブル(Laurence Lecouevre)教授の現在の任地がこちらであり、お誘いもあって訪ねて行った。現在、彼女の専門分野であるプロジェクトマーケティング分野のテーマで共同研究を行っており、8月の世界PM学博士セミナーでの発表とその後のジャーナルへの投稿論文の打ち合わせを1日半行った。
 サイエンスパークとはいえ、一つの施設から隣は見えないというすごい環境であるが、車で20分も走ると、コート・ダジュールきってのリゾート アンティーブ(Antibes)というのも素晴らしい。
 
 SKEMAはいわゆるグランゼコールと称する大学院大学であるが、このキャンパスには前身の大学から引き継いだ(学部)大学部門もあり、総学生数が千名に達する。知名度が高い土地柄、世界から応募の学生数が多く、入試はかなり難関とのこと。
 
 ラクブル教授との打ち合わせは、二人とも産業出身、プロジェクトマーケティングに興味を持っている、ここまでは、共通でよいが、彼女はプロジェクトマーケティング論の学理研究のプロで、当方はテーマとコンテンツの提供が主体で、この分野の学理研究はほとんど未踏であるので、調整に時間がかかり、課題をリストアップしてさらにつぶしていくこととなった。

SKEMA大学院カフェテラス BMWスポーツカーで出勤のロランス先生
SKEMA大学院カフェテラス BMWスポーツカーで出勤のロランス先生

 短い滞在であったが、教授ご夫妻には、大変なおもてなしを受けた。高級リゾート地アンティーブ半島一周ドライブと中心街の散策、自宅でのガーデン・ディナー、ご贔屓の隠れ家的レストランでのディナー、等々。フランスもリールから英仏海峡に至るいくつかの町、南西フランスのスペイン国境の町など何回か行ったが、南東部のコート・ダジュールに行けるとは思っていなかった。筆者については65歳過ぎから訪れる海外の都市がかなり増えた。
 
 ミュンヘン経由夜9時過ぎにニースに着いて、翌朝ホテルの窓から空港の駐機場に100メートルほど一列に並ぶプライベートジェットを見て、ここは金持ちのリゾートであるとまず実感を得た。アラブ諸国の王族とロシアの財閥一族で、ニースのリゾート経済は成たっているようで、最近はそれに中国人が入り込んできたとのこと。

山が迫るニースの市街 プロヴァンサルと呼ばれる小路
山が迫るニースの市街 プロヴァンサルと呼ばれる小路

 仕事が終わった後、夕方ニースに戻り旧市街と海岸を散歩したが、海から山の麓までは3キロくらいしかない。海はお世辞にも美しいとは言えない灰色がかった青で、ビーチ幅は狭く石だらけであった。コート・ダジュールはもともとイタリア領で、入り組んだ海岸線に散在する寒漁村と山しかなかったが、19世紀の終わり頃になってヨーロッパの金持ち用に避寒地としてのリゾート開発が一挙に行われ20世紀の入り口には年間40万人がすでに訪れていたとのこと。
 
 短い今回の旅で素晴らしいと感じたのは、高台にある小さな町が瀟洒であるのと、プロヴァンサル(プロバンス風の)と呼ばれる花が溢れる狭い路地であった。
 
 この原稿の最後のところは、FIFAワールドカップの日本対セネガル戦を見ながら書いていたが、2-2の引き分けとなり、セネガルに関係のある筆者にはまず好都合である。筆者の4人の孫には、以前ダカールの空港で買ったセネガルチーム<< Les Lions de la Téranga >> (おもてなし上手のライオン達)の ジャージを配ったが、彼らはそのことを覚えているだろうか。
 
 ヨーロッパへの旅はもう少し続き、7月がロシア、8月がフランスで、それ以降はアディショナルタイムとなるか、どうか、まだ分からない。 ♥♥♥

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