理事長コーナー
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批評家、専門家、プロジェクトマネジャー

PMAJ理事長 光藤 昭男 [プロフィール] :5月号

 プロジェクトマネジャーは専門職であることに対して異論のある方は少ないと思う。プロジェクトマネジメントの専門的な知識、経験を、時には、構築した人間関係を活かしてプロジェクトを遂行する。一般的に、それぞれが広く深いほど専門性が活き、結果としてより良い仕事の成果が出ることで好評価につながる。必然的に、その専門性を得るための年月を必要とし、シニアと呼ばれる年代が多くなる。

 世間で事件が起きると、報道TVニュース番組にはしばしば「専門家」が登場する。事件の核心や関連事項に関してコメントする。その多くは大学教授やその分野で長年仕事をしてきた職業人である。いずれもその分野に深い造詣があるマネジメント層であり、時にプロフェッショナルと云われる方々である。司会者の接する態度、話し方からみて、尊敬されている人との印象を持つだろう。彼ら彼女らへ対する日本人の評価は一般的に高いといえる。

 それでは、この方々は「評論家」であるのかと云うと、解釈は難しくなり意見は分かれるようだ。現に、「評論家」をネット検索してみると、尊敬される専門性の高い職というよりも「評論家気取り」、「上から目線」、「行動力のない」という言葉で代表される、どちらかと云うとネガティブなイメージとして発現される。最近のTV番組では、「評論家」よりも「コメンテーター」として登場することが多くなっている。

 番組の司会者も、昔は前面には出ず司会職に特化し、淡々と「司会すること」に徹していたと思う。自己の意見を述べるのはご法度だった。しかし、個性の尊ぶ米国のニュース番組の影響をうけて、次第に司会者自身の持つキャラクタを前面に出すようになった。司会だけでなく自分の考えを述べることが多くなり、名称も「キャスター」と呼ぶようになった。色々な場面のニュースに対応するために経験豊かな元報道記者出身者が多くなり、かえって個性豊かな方が人気を博している。

 「欧米社会では、クリティークというのは相当ランクが高い。“批評家”というものへの評価が確立している。ところが、日本では評論家というと、ほとんど豚の次ぐらいの人種です(笑い)・・・今の世間で、評論家というのは要するに学者以下の人々ということです。取柄は、視聴者や読者に大雑把に語りかける能力ということでしょう。<西部>大雑把な分・・・マスコミでは使いやすい<波頭>」。(西部邁と波頭亮の対談集「知識人の裏切り」、ちくま文庫)

 この「クリティーク」は、“批評(または批判)を意味するクリティークcritiqueの語源は、ギリシア語のクリノkrinō(判断する、裁く)に由来する。A.ラランド(André Lalande:仏元パリ大学教授)の《哲学(用語)辞典》によれば、批評とは、ある一つの原理または事実を評価するために検討することである”(コトバンク-朝日新聞より)。

 さて、さらに対談は続くが、長いので要約する。TVニュース番組特有の必要性から、特定の専門家にコメントを求めると、その専門分野に関連する回答しか得られない。ところが、批評家であれば、大雑把であるがゆえに、その専門的側面だけでなく社会現象、政治現象、経済現象との関連ある周辺話題に話が及び、より広い観点から話題を提供することができる。この事をマスコミが評論家に期待しているからだ。

 プロジェクトマネジメントの「専門家」であるプロジェクトマネジャーにも、この批評家の目が必要である。「批評家」の目を持って事象を判断し、その判断に基づき行動する。そして当初の目的にそって目標を達成する。言い換えると、常にゼネラリストの目を持ち、特定分野に縛られない広い視野から事象を多角的に判断し、プロジェクトのスペシャリストとして行動し成果をだすことだ。それがプロフェッショナル・専門職としてのプロジェクトマネジャーだ。

以 上

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