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「日本再生“アベノミクス”を成功させるために何が必要か」 (50)
高齢化社会の地域コミュニティを考えよう (26)

東京P2M研究会 渡辺 貢成: 5月号

Z. Iさんは日本的ムラ社会では“ビジョン”を口にすると、ムラ社会の住人から、ほら吹きと見られ、個人の信用が失墜するからビジョンを口にしないと言っていた。ところが先月号の結論では、ビジョンがないと長期展望を必要とするプロジェクトは成功しないと強調するようになった。これには何か理由があるのかな?
I. ありました。公園プロジェクトのSTEP1は町で一番大きな公園の改修工事で、花壇のない公園の半分を花壇化しました。完成時の花苗の植え付けは、50名強の地元住民が参加し、2時間程度で終了しました。これら住民はプロジェクト責任者からの呼びかけで参加したボランティアで、作業そのものを喜んでいる風景を見て、このプロジェクトの成功を確信しました。しかし、私が更に喜ばしく感じたのは、この町の住民に地域貢献への精神が大きいことでした。
 しかし、公園の花壇化には新たな課題が発生しています。人口減の町は予算の縮小が余儀なくされる点です。そこでSTEP2(公園の持続的維持管理のステップ)では、住民が従来の発想を変え、縮減する予算に見合った発想こそが改革のビジョンと考えました。それが日本的ムラ社会から新しいコミュニティ社会へ切り替わる時だという点です。この点を考慮し、30年度の公園予算に、花苗予算を町、再生協議会、住民で3等分する案を提出しました。これは従来にない発想で、住民自らが予算縮小額の1/3を請け負う提案です。
Z. それは殊勝なことだな。何か反応はあったのかな。
I. STEP1プロジェクトの実質的実践者からクレームがつきました。自分は住民の負担を軽減するために、増大する予算の分担を町と、再生協議会で補うとする約束を取りつけた。この自分の努力を無視して1/3を住民が負担すると約束した再生協議会はおかしいというものでした。私の発想とは異なるが、仕方なく住民負担をなくし、再生協議会と町で半々負担という結論にしました。
 残念ながら実力ある実質責任者は私のSTEP2への発想に反対で、STEP1の終了をもって、リタイアすることになりました。
 中央公園花壇化の実質責任者の行動は日本的ムラ社会の人々に大いに貢献したことになります。しかし、人口縮減の現実から見ると、本年度は“アベノミックス”の予算はありますが、次年度からはなくなります。本年度住民1/3にしておけば、来年度は自動的に住民1/2の方向に進みます。このような事態になると、住民は花苗を買うのではなく、種から花をつくるという発想に変わるかもしれません。すると、町中が同じ花が咲くのではなく、住民の努力によって別の花を愛でるという成果を生むことができます。実質責任者の発想は、単に一回勝ったというにすぎません。“アベノミックス”を成功させるには、企業と組むか、新しいアイデアで収益を上げるという実質的な収益が求められているからです。それでなければ住民が予算減少をカバーする何らかの行動が必要です。
 本ケースで私は敢えて、住民が予算減の一部を何らかの形で負担するという行動が時代に合った方策だと考えています。ただし、負担というのは金を出すということではありません。肉体的な作業の実施もその一つです。私が本当に実施したかったのは、今の環境にあったビジョンを出すことでした。そして大勢の人々が、最初の提案を受けて、成功する方法を考え、行動をとってもらうことでした。
 実はこのアイデアはこれまで公式に発表していません。幹部の顔色をみながらそろそろ提案すべきだと考え、先月号にビジョンを提案しました。
Z. Iさんの発想はSTEP2を実現する時に提案するというタイミング戦略だったわけだな。でも、タイミング戦略が失敗したのではないのかね?
I. 世の中には時流というものがあります。失敗したように見えますが、突然機会がやってきました。
 話は変わりますが、先週小学校のコミュニティスクール活動部会で、「我が町のこども自然塾」というコミュニティが実施している活動報告がありました。これをまずご報告します。
“子ども自然塾の活動報告”
子ども達が自然を体で感じながら、好奇心や創造性を伸ばし、「伸び伸びと遊ぶことができる遊びの環境をつくりたい」と考え、有志が集まり、2015年7月に会を設立し、東大果樹園跡地において、遊びの企画をしている塾。現在の会員数43名。
活動内容
・「冒険遊びの場」5回                         参加者 783名
・「昆虫観察会」 2回 95名
・「子ども椅子を作ろう」 12名
・「さとっこ」(0歳~3歳児向け)16回 642名
・「放課後自然塾」(小学生向け) 14回 540名
参加者合計   2072名
“子どもたちの遊ぶ環境”:
以前は子どもたちが地域の中で、仲間と共に生き生きと遊ぶことができた。
自分の時間は自分で決めて、やりたいことをして遊んでいた。
「考える」、「工夫する」「思い通りにいかない」「気持ちを察する」「仲間と共感する」「危険を回避する」・・・など様々な力を自然に身に着けて成長してきた。
「遊ぶことの力」が「生きていく力」になっていた。1960年~80年

2000年以降:家で遊ぶ
今は、少子化や社会環境の変化により、子供たちは仲間と群れて遊ぶことや、自然の中で遊ぶことなどの環境が失われている。
大人の決めた時間の中で生活している
自分でやりたいと決めて、自由に遊ぶことができない
    ↓
  遊びの中で育っていた「生きるための力」を今の環境では育たなくなった
僕はこうしたい。私はこれで良い。自己肯定感が持てない子供が増えている

☆自然塾では「遊育」:遊びで育つ根っこの力をつくる
「教育」:大人が教えて育てる。大人に意思がある。マイナスな価値のことはしない。
「遊育」:遊びを通じて、自分の世界を広げ、深めていく。
  子供はもっと育ちたい気持ちがある。それを生かせばどこでも育つ。自分で自分を育てる。子供はやったことがないことばかりで、限界より少し上をやることで集中する。

いろんなことがその子の中で影響し合って、その子の「やってみたい」という世界をつくり上げている。自分が生きているという実感は、遊びの中に存在している。

遊ぶことで、根っこの力が付く
自分で新たなものを生み出す。
集中する。
五感を通じて感じる。
コミュニケーションを取る。ルールは自分たちでつくる。異質なものを受け入れる。

大人の課題
  こどもがやろうとしていることをやめさせていないか?
  生き生きと遊ぶ環境を大人がつくれるか?

まとめ
  子ども自然塾は積極的に活動し、ある程度の成果をあげている。
  この成功を評価している父兄の願いは、特殊な場所でなく、近所の公園でこの種の遊びができないかという提案がある。

Z. 実践的なよい活動をしているね。これが失地回復の妙案になるのかな?
I. 先月号の提案は日本的ムラ社会的活動を離れて、仮想的な活動から始め、仮想的発想の中で花を咲かせるバーチャルな活動でした。その“仮想的発想”の中に住民が入り込み、仮想としての評価を住民がおこないます。大切なのは住民が参加し、その輪の中にのめり込んでいく環境をつくることです。バーチャルな公園ができたら、住民はこれを現実的なものにしたいと考えてくれるのではなかという期待を私は願っています。そして、この場合、見識のある高齢者の存在が、この運動に寄与してもらえることを願っています。
Z. 仮想的な公園というのは、町や住民に負担をかけることなく、感性の高い住民を呼び込む手段としては素晴らしい提案と思う。見識ある高齢者の参加ができるかが、課題だな。
I. その通りです。
 しかし、今回、コミュニティ・スクール部会の活動で、子ども自然塾の親から『近くの公園で「遊育」ができないか』という提案がありました。公園部会はこれまで利用者との接点がありませんでした。子ども塾とのコラボレーションは公園部会として千載一隅のチャンスです。
 この提案の意味するものは、近くの公園で、子供たちの面倒をみてくれる人々がいないか。もしいるなら、時間を決めて子どもの遊びを見守ってもらえると、日常的な環境の中で、「遊育」的活動ができ、子供の成長に大きく貢献できる」ことを期待している。

 千載一遇のチャンスを捉えるなら、STEP3の児童遊園地の花壇化を住民だけで実施する提案をするべきと考えました。しかし、住民の頭を切り替える戦術が必要です。そこで以下のやり方を考えました。
住民から児童遊園地の花壇化のアイデアを募集します。
住民に花壇をつくらせることではなく、公園ごとに見事な花壇を、絵画、マンガ、写真いずれでもよいから、書き上げて展示してもらいます。展覧会に人々が集まり、評価してもらいます。そして優秀な作品に賞を与えます。
この企画が成功すれば、次は公園で実物の花を咲かせます。その方法は公園の周囲に金網を巡らせ、花自身は適当なサイズの花籠に入れ、金網に括り付けます。花籠には製作者の名前を記入させます。この展示会も優秀賞を提供します。花壇は地面に置くより、金網で支えられると立体感があり美しく見えます。
さて、花籠が出そろった時に、公園部会は住民を集めて何らかのイベント行います。テレビからのヒントですが、河童で有名な岩手県の遠野では、住民が何かあるとすぐバーベキューをするそうです。各家にバケツの側面に穴をあけ、バケツの上部にジンギスカン焼きの鋳物製網をのせたもので、内部にろうそく型の火力源を備えた簡易バーベキューセットが各家庭に一つはあるようです。
このようなイベントは住民のあらゆる階層(或いはコミュニティ)が集まる機会であり、交流を図れます。
このような交流が起こると、コミュニティ間で共通イベントが実施され、価値ある成果が生み出される可能性が高くなります。このような関係性を成立させる戦略方式をプラットフォームマネジメントと呼んでいます。
公園がにぎやかになります。この花籠は季節に合わせて、取り換え作業を行います。
この作業が日常化すると、公園だけではなく、各家庭が花壇化への対応の面白さから、自宅の花壇化が進み、この町全体が花の町になるという幸運にめぐまれるかもしれません。
 これが私のビジョンですが、単に今考えた発想です。しかし大切なことは住民の多くが考え、実行することです。もしかするとこの提案は「オトナ自然塾」に変身するかもしれません。もし変身に成功すると、この町はユニークな多くのコミュニティが誕生し、豊かな生活を楽しむ町として、評価されるようになるかもしれません。

以上

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