グローバルフォーラム
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「グローバルPMへの窓」(第123回)
セネガル:ナレッジエコノミーへの夢

グローバルPMアナリスト  田中 弘 [プロフィール] :5月号

 社会人学生の指導や、海外マネジャーの来日研修をやっていると、その国のお土産を貰うことがある。最近の傑作は、ロシアの天然石を継ぎ合わせたパッチワークの壁かけ(下の写真左)、エジプトの世界最初の紙であるパピルスを手作りで復活し描いたツタンカーメンやクレオパトラの絵、これは夜照明を消すとツタンカーメンがライトアップする(写真中)、そしてメキシコの最高級蒸留酒44度のメスクラ(右)で、このメスクラは、虫の残骸を含んだ特別の岩塩をちびちび舐めながら楽しむ。

パッチワークの壁かけ(左)、ツタンカーメンの絵(中)、メキシコのメスクラ(右)

 先月号のセネガルでの活動の続報をお届けしたい。
 ダカールには予定より2日多く、15日滞在し、日本には一日遅れで帰国した。フランスでは国鉄(SNCF)のストに端を発し、ストが交通系全体に広がり、フラッグ・キャリアのエールフランスも全便の25%を対象に運航ストを続けているが、運悪く、筆者のダカールからパリへの便がスト対象となり欠航した。パリから東京への別途購入のANA便に間に合わせるよう代替便を必死で探したが、パリおよび隣のブラッセル行きフライトは満席で、結局当該便スト解除まで2日待たされAF便でパリに戻った。これで特割チケットのANA便は変更不可であったのでチケットの買い直しとなった。国際線の特割運賃にはどれだけお世話になったかわからないが、フライトの変更がきかない故に常に日程に余裕を見て予約をしていたが、たまには、代償を払わされる。
 ダカールでの宿泊は、渡航1回目ホテル、2~5回目アパート、6~7回目は副学長夫人の実家、と変遷し、それなりに別の楽しみがあったが、今回はついに大学院の自分のオフィスに寝泊りすることになった。まだ寺小屋クラスである大学院は、もともとセネガル通信公社の幹部用の住宅を転用したものであるので、基本的には住むことに問題はないが、さすがにもう、ベッドは備えてなくて、壁際に元家具の側板を置き、床にビニールのゴザとマットレスを敷いて居住区を作った。ただし、腰と膝周りに蓄積疲労がある身には多少きつかった。

研究室兼居住区 研究室兼居住区
研究室兼居住区

 先住者は、セキュリティーガード兼オフィス用務スタッフ2名、博士課程生1名で、洗濯や、必要品の調達、3度の食事の買い出しは、すべて彼等がやってくれる。ダカール市内の移動は時間がかかるし(渋滞も多い)、食事も個人の家で皆と一緒に食べるのは気も使うのに比べ、このスタイルはリラックスできるし、一日中セネガル人と一緒に生活している実感がある。
 近場のセネガル風カフェで買ってきてくれた昼食・夕食は美味であるが、30食中7割が地鶏のローストと玉ねぎのデミグラスソース煮であった。今回は荷物を軽くする目的で最小のスーツケースで2週間過ごしてこれば全く問題なかったが、その分、麺類や固形スープ類(セネガル人はスープを飲まないのでレストランにもない)を持参しなかったのは迂闊だった。
 ダカール滞在時は日本の5月の気候であり、ブーゲンビリアが咲いて、カメレオンが棲み、庭のテラスにデスクを置いて、インドネシアの駐在員をしていた頃馴染んでいた天井のヤモリを観察しながら、午後から常に4~5名は居る博士課程生の指導を時々やる、また指定日には教室でゼミを行う、というコロニアル風スタイルは心地よかった。
 セネガルで教えだしてから5年目に入り、遅まきながら、プロジェクト学で、博士仮認定まで至った学生も出たし、筆者が繰り返し教えてきた社会科学博士研究の方法論を踏まえた研究が進んだ学生も数名いる。学生達はセネガル社会に影響力を持つ人たちであるので、研究テーマに関する実地知識は豊富であるし、インタビューやアンケート調査では立派な数を集められるが、社会科学の研究方法に従った研究デザインをするところがよく分かって貰えなかった。ある有意性のあるテーマについて、自分の論法(セネガルではレトリック)と価値判断で分析をするのではなく、先行研究のリビューと科学的な方法で、データに語らせて問題の因果関係を証明する、ということは、仕事の達人にはなかなか理解しがたい(日本の大学院の学生も同じようだ)。
 今回の渡航では、わが大学院のプロモーションにも大きく貢献できた。まず、旧知の高等教育・科学・イノベーション省の高等教育局長を表敬訪問したことから、アフリカの名門ダカール大学の科学技術校校長 (Dean) を紹介され、同校の注力領域として環境科学研究科が挙がり、同研究科の教授6名とわが大学院側4名で2回の討議の結果、修士課程での教育提携につき仮合意に至った。アフリカ諸国は、気候変動で最大の影響を受けるとされており、同研究科は、フィールド調査を含めて、大変充実した修士教育カリキュラムを実施しているが、ここにプログラム & プロジェクトマネジメント論を加えようという話である。筆者は、P2Mと気候変動対応を結びつけて教えていることから、個人的にも高い興味を持つ案件となる。
 滞在の終盤に、高等教育・科学・イノベーション大臣Professor Mary Teuw Nianeから面談のお招きを受けた。セネガルにはプラン・セネガル・イマルジャン(Rising Senegal Plan)という大統領プログラムがあり、プログラムのまず一つ目が“セネガル人材の高度化によるナレッジ経済実現”であるので、大臣は重責を担っておられる。通常の大臣接見は20分程度であるが、今回の会談は90分に及んだ。田中の世界での活動歴、外国政府アドバイザー経験、セネガル高等教育への貢献、プラン・セネガル・イマルジャンへの敬意(セネガルに最初に来た時からプレス等にこのことを述べている)など紹介の後、同省が手掛ける素晴らしいプログラム2件の紹介も含め、セネガルのナレッジエコノミーへの道について、大臣自ら丁寧な説明をいただいた。ダカールの郊外にCité de Ssavoir (City of Knowledge) という未来志向のサイエンス・先端教育パークが建設されている。
高等教育・科学・イノベーション大臣との会談  世界有数の数学国フランスの数学博士であり、前職は大学院教授であったTeuw Niane大臣の素晴らしい知見、セネガルの発展にはナレッジエコノミーしかないと常々説いてきた筆者の心を見抜いたような、進行中の未来先導プロジェクトのプレゼンテーションに大変感動した訪問であった。
 セネガル政府や大学ではフランス語8割、英語2割の会話となる。大臣を含めプロフェッサーの話すフランス語
高等教育・科学・イノベーション大臣との会談
 であると、人によるが、7割か8割は言っていることがわかる。当方の口上もその時限定のスイッチが入り、5分間くらいは続けられる。かくしてセネガルとの縁は続きそうである。 ♥♥♥

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