PMプロの知恵コーナー
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ゼネラルなプロ (91) (実践編 - 48)

向後 忠明 [プロフィール] :5月号

 先月号まではC社の企業再生について話をしてきました。その話を総括すると以下のようになります。
 当初の顧客であるC社の要求は「お菓子の製造機械がリースアップするので新しい機械に変えたい」といったものでした。
 リース会社としては単純にその要求に従い、リース案件として機械の変更にかかわる必要な作業だけをすれば済んだ話でした。
 このケースは顧客要件も明確であり、機械を新しく更新しリースするといった単純な仕事でした。しかし、筆者はC社の社長の話を聞いて、どうもこの会社には他にやらなければならないことがあるのではと感じました。
 そこで、この案件を単なる機械の更新プロジェクトということではなく、事業再生案件としてとらえ、この会社の真の問題を探ることにしました。そして、この会社の社長の同意を得て、この会社を取り巻く外部及び内部環境を調査分析しました。その結果、いろいろな問題があることがわかりました。
 すなわち、製造機械の更改だけではなく店舗展開、マーケッティング、人事そして製造等々にかかわる問題の解決も必要となっていることがわかりました。そして、C社の社員と共にその問題解決に向かって動き、なすべき施策を作成し、実行に移していくことになったわけです。
 具体的には下記のような問題です。
機械が古くなったので変更すれば生産量が上がり販売量も増加するといった固定概念
C社のトップの現状認識の甘さと自社の製品へのこだわり
顧客の嗜好考査を含めたマーケッティング4P思考の欠如
そのため何をどうしたらよいのかといった大きな変化への対応力の欠如
販売拠点の顧客目線での配置とお菓子の店としての古臭いイメージ
 等々、そしてこれらの問題を解決してからC社の求める製造機械の更新の話をしていくようにしようと考えていました。
 結果として、各種問題も解決され、売り上げも上がりC社にとって良い結果が得られることになり、筆者たちの企業再生に関する作業は成功したことになります。

 しかし、当社のリース会社としての各種事情で本案件のリース契約を果たすことはできませんでした。
 もっと単純にリース会社としてC社の要求する機械の更新だけをやっていればよかったのに、何故、余計なことまでして受注機会を逸してしまったのか?
 その理由は、筆者は新規ビジネスとして企業再生ビジネスを考えていたので単なる機械の更新だけではせっかくのチャンスを逃すと思ったからでした。そのため、この機会を捉えて独断でこの会社の調査を行ってから求めに応ずることにしました。すなわち、筆者はこの案件を機械の更新といった視点からではなく、C社の総体としてどこに問題があるかを多面的に観察してから作業に入ることにしました。
 しかし、結果としてはこの案件は受注することができませんでした。
 それでも筆者としてはこの仕事を通じて学ぶものがたくさんあり、自分がこれからのプロジェクトマネジメントに必要な顧客視点での交渉や顧客要求の探索においての考え方を学んだということで満足しています。
 同時に企業再生ビジネスといった新規事業を立ち上げるための方法を学ぶことができ次への案件発掘の基礎とすることができたと思いました。

 さて、話は元に戻しますが、C社の仕事を終えてから少しして、社長から新たな仕事の話が来ました。
 しかし、この頃の筆者は「この会社の業務のやり方は銀行と同じような四角四面でどうしようもない」との疑問を持ち、新たな案件の発掘を行っても、すべて却下されるのではと疑心暗鬼になっていました。

 そのような時に社長から声がかかり社長室に行きました。すなわち、
 「C社の件は申し訳ない」と謝りながら「新しい技術を利用した新規事業を行う会社を立ち上げたいと思っているが君に手伝ってほしい」ということでした。

 その内容は以下のようなことでした。
 社長の友達の会社の社長(A社)から
「最近、アメリカのさるベンチャーが開発したLEDによる動画を利用したビル壁面を使用した宣伝媒体が建設された。多くの宣伝媒体はかなり高いビルの上にあり、その媒体の光源は蛍光灯等であり、かつスイッチ方式での単純な点滅による情報発信である。
 一般的な蛍光灯を光源とした広告塔などは目立つように高所に設置されているため寿命の短い蛍光灯の交換などの保守、点検、交換などが容易でなく、コストもかかる。
 それに比べこの技術は蛍光灯の代わりに寿命の長いLEDを利用すれば保守や交換回数も少なく、コスト的にも有利である。またスイッチ方式よりこのLEDタイプのほうはコンピュータプログラムで宣伝内容も自由に選べたり変更したりすることができる。そのため、今後の事業として有望である。」
 と話があったということでした。
 そして、このビジネスの展開を大手のポンプメーカ及びこの話を持ってきた友達と会社を作り、このシステムの展開を図りたいとのことでした。「君にこの会社設立の音頭を取って関係会社との会社設立のための動きをして欲しい」ということでした。
 筆者としては起業にかかわる仕事は初めてであり、何をどこからどうしたらよいのかわかりませんでした。
 一方、これから進めようとしていた企業再生ビジネスをどうしたものかと考えたが、この話はほかの人に任せ、社長案件でもありこちらの仕事に専任することにしました。

 社長のこの会社設立の目的やその内容は分かりましたが、何はともあれ、一緒に会社を立ち上げるための仲間がいません。
 そこで、本案件に関係する会社の担当者を決めてもらうため代表者に集まってもらい、社長室の会議室で第一回の会議をすることになりました。
 ところが、この会議に集まったのは社長はじめ、ポンプメーカの専務、A社の社長といった会社のトップと筆者の4人だけでした。
 最初の話はこの会社の発足に当たってのきっかけとなったLEDを利用した動画製造用ソフトの特許の取得の可能性とその利用法そして実際使用されている会社に出かけ見学にいく日取りの設定などでした。
 その後は月に2度の会議が定期的に開催され、そこで想定される将来の事業展開、対象とする顧客関係、商品の市場規模、競合相手、出資等々についての話し合いが行われました。
 一方、特許についてはこの案件を持ってきたA社が主体となって進めていました。そのため、技術的な検討にも途中から特許を保持しているアメリカ側の会社もこの会議に招くこともでき、具体的な技術の適用の範囲やその可能性などについても話し合いができました。
 また、この新会社設立に要する資金はポンプ会社が筆頭でそのほかは残りの2社で出資するということも決まりました。
 この時の筆者の役割はこの会議で決まったことを整理し、必要に応じて情報の収集などを行い、その結果を報告することでした。
 そして、新会社の設立方針が決まったところで、今後の具体的会社設立までに必要な手順とそのスケジュールを立てるように筆者に要求されました。
 この時は、会社設立に必要な登記申請書をはじめとした必要書類他、各種書類は事務方にて処理をしてもらい、筆者は主にこのLED技術を利用した受注可能性のあるプロジェクトの発掘とそのスケジュールを担当していました。

 受注予定案件については、当然当社の社長の前歴は日本最大大手の携帯電話会社の副社長でもあったし、ポンプメーカの専務の会社も幅広く企業活動もしているので、当然それぞれの会社から提案があると期待していました。しかし、各社は具体的受注案件の話はお互いにノーアイデアのようで、会社が設立してから考えればよいといったものでした。この時点になって考えを変えて筆者に案件発掘の仕事を振ってきたようです。
 筆者もここにきて引き下がることもできなくなり、新規事業開発室の部下の知り合いである某コンサルタント会社に事情を話して、何とか協力してもらうように動きました。このコンサルは空間デザインを主な仕事として日本各所でコンサルの仕事をしていていくつかの大きなプロジェクト(リゾート開発)の仕事をしていました。ここにLED動画ソフトを採用してもらうべく話をしていたので、一応受注可能案件としてスケジュールに組み込みました。
 一方、当社の社長も動いてくれて、ある大手の計画中の複合ビルのオウナー会社やその他の空間デザイン会社などに一緒に出掛けて、案件への協力などお願いに回りました。
 そのほか、この技術の特徴としての便利さや有利性をうたっていろいろと顧客回りをしました。この頃になると出資会社からも担当が決められ案件発掘などに協力してくれるようになり、その中でも出資比率の一番多いポンプメーカがかなり前向きに動いてくれました。
 しかし、このような営業活動を行っても必ずしもこの案件が実現し、この新会社の収入にすぐに貢献するという確約も何もありません。それでも、受注可能性のある案件として、事業計画の中に入れ込み、この新会社の営業売上として計上したりしました。
 この頃になると筆者もこの新会社の先行きに不安を感じ「何故もう少し時間をかけて案件発掘するといった余裕を持たないで会社設立を急ぐのか」と疑問を感じてきました。
 後になってわかったことですが、当社の社長の任期が残り少ないということがわかりました。その上、新しく社長になる人がいろいろ口出しするようになってきたとのことでした。この新社長は今の社長に比較し、あまり新事業や新しいことに前向きでないことも分かってきました。
 このため、新会社の発足を見切り発車的に進めていたのだろうと推測しました。いずれにしても、筆者は営業活動の結果を示した案件の受注可能スケジュールを作成し、そしてそれに従った事業計画を会議に提出しました。
 その後、会社の事務所設立、そして事業開始となったが、その後はなるべく筆者はこの案件からはなれるようにしました。その理由は、筆者をこの会社に引っ張ってくれた社長への恩義もあったが、新しく来る社長とうまくやっていけないだろうと感じ、社長の交代を機にこの会社を辞める決心をしていたからです。

 今月号はここまで・・・・・・・・・・・・・

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