おらおらでひとりいぐも
(若竹千佐子著、(株)河出書房新社、2018年1月10日発行、第6刷、164ページ、1,200円+税)
デニマルさん : 4月号
今回紹介する本は、第158回芥川賞(2017年下半期)の受賞作品である。ここで芥川賞を取り上げたのは、3年前の「火花」(又吉直樹著)と2003年の「蹴りたい背中」(綿矢りさ著)である。筆者の読書傾向は純文学というより、一般大衆向けの直木賞や本屋大賞等々の話題性の高い方に向いている。ここでの出筆も関係して多方面の本を物色しているが、今回は話題性に重きを置いて選んでみた。そのポイントは、本の題名が東北弁であることと、著者が63歳の主婦で芥川賞史上2番目の年長者の受賞に惹かれた。因みに史上最年長者は、黒田夏子氏が第148回(2013年)の作品「abさんご」で受賞(75歳9か月)している。さて今回の著者であるが、岩手県遠野市生れ、結婚後30歳で上京し都心近郊の住宅地で子育てをしながら本を愛読していた。55歳の時、夫が脳梗塞で死去。その悲しみに暮れる中、息子から小説講座を勧められ、主婦の傍ら本の執筆を始め2017年に第54回文藝賞を受賞している。著者は受賞インタビューで、「老い」をテーマに小説を書きたかったと語っている。女として妻・母親の役割を終えた現在、自由な立場で生きたい。更に、「老いとは何か」等々、お婆さんの哲学を勉強して書いてみたいと話す。人生百年の高齢社会である。「おらおらでひとりいぐ(生きる)も」は、今の時代にマッチした本なのかも知れない。
玄冬小説の誕生 ――青春小説に対極する小説――
この本の宣伝オビ文に「玄冬小説の誕生!」と書かれてある。そして、歳をとるのも悪くないと思える小説のことと注釈がなされ、青春小説の対極ともある。これは出版社の宣伝用造語の様だ。この玄冬は、中国の五行説から青春・朱夏・白秋・玄冬と人生のライフサイクルを表し、60歳代後半以降の高齢期や老年期を意味する言葉である。この玄冬の「玄」は「黒い」という意味から、単純な黒ではなく「幽玄」や「玄妙」という様な「黒光りしている、深みのある黒」を期待したい。それは未知への予兆を感じる世界へと繋がるのか。
東北弁と標準語 ――東北弁で語られた物語――
本の題名もだが、本文にも頻繁に東北弁が出て来る。著者は、この東北弁と標準語を巧みに使い分けている。それは第三者が標準語で状況や背景を描写し、そこに主人公が東北弁で過去の記憶やエピソードを語る多重構造になっている。だから、この小説は舞台で演じられている様にテンポが良く歯切れがいいストーリィ展開となっている。この芥川賞の選考委員が口を揃えて「非常に言葉に活気、勢いがある」と評価されている。その結果、老境を描いているのに力強さや明るさ、若々しさを感じる。愈々、玄冬小説の幕開けである。
柔毛突起が意味するもの ――内なる自分のユラギか――
著者は文中に、柔毛突起という表現を度々使っている。東京では標準語の生活であったが、頭も身体の中も東北弁で一杯だった。それは小腸の中の無数の柔毛突起の様に感じたという。小腸の蠕動運動で、柔毛突起はふわふわ揺れている自分の気持ちを表現している様だ。その柔毛突起は数多くあり、一つとして孤立していない。自分の心に語り掛ける主人公・桃子さんの柔毛突起も無数にある。老いても孤立していないと自問自答し「おらおらでひとりいぐ(逝く)も」となるか。この本は文章の塊ではなく、「語り」の様な小説である。
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