今月のひとこと
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英語と日本語

オンライン編集長 深谷 靖純 [プロフィール] :2月号

1月の末頃に低気圧が悪戯をして東京地区でも雪が降りました。お昼頃から降り出して、大雪警報が出る頃には道路上にも積もり始めました。東京地区のインフラは雪への備えが十分ではなく、雪害対策としては早目の帰宅が有効です。4年前にも20センチ以上の積雪となったことがありましたが、対策が浸透しておらず多くの帰宅困難者を発生させました。今回は、PMAJ事務局も定時前に店仕舞いとするなど早目に帰宅する人が多く、混乱はやや回避されました。それでも、通勤ルートの交通機関には帰宅者が集中し、乗り切れずに駅のホームに取り残される人が多く見られました。お気の毒でした。
今月初めの「新春PMセミナー2018」の天気予報が気になりますが、雪害のないことを祈ります。

誘ってくださる方がいて、ドラッカー学会の「英語でドラッカーを学ぶ会」研究会の10周年記念シンポジウムに参加しました。PMシンポジウムで講演していただいたことがある岩崎夏海さんや例会で講演いただいた藤田勝利さんが「英語」を切り口として、ドラッカーを語りました。ドラッカーに関する講演が多いご両人にとっても、今回は初めての切り口だということで、緊張感も伝わってきて聴き応えのある講演でした。
もう一人、日経新聞の「私の履歴書」にドラッカーが寄稿された際、その翻訳を担当されたという元日経記者である牧野洋さんの講演も痛快でした。牧野さんは、英語と日本語はそもそも構造が違う言語だから、単語を訳して組み直す「直訳」では意味が正しく伝わらないと言い切られました。端的な例として、日本語は主語を表さないが、英語は必ず主語をつけるという点をあげ、英語を日本語に訳す際に主語をそのまま残すと日本語らしくならないだけでなく、意味が伝わらないこともあるのだと説明されました。主語をつけるかつけないかだけでも、文章の構造自体は大きく変わります。構造が異なる以上「ばらばらにしてもう一度組み立て直す(村上春樹の言葉を引用)」作業が必要になるということです。日本語に翻訳され書店に並んでいる書籍の文章と牧野さんが翻訳(意訳)した文章との比較例をいくつか見せていただきましたが、なるほどです。著者が何を訴えようとしているのかが全く違って見えるのです。
恥ずかしい話ですが私毎を暴露しますと、翻訳された文章を読むのが辛くて、中学時代から社会人になって暫くの間、海外ものの小説等翻訳本を読むことを一切止めていました。当時、「翻訳家は人が読めるように書くべきなのにできていない、サービス精神がなってない」等とうそぶいていましたが、ただただ気分が悪くなるために読まなかっただけです。さらには英語の授業で聞かされる直訳日本語も気味が悪く、当然身が入らないものだから落第点ギリギリで学生生活を過ごしていました。気味悪く思う気持ちは変ではなかったのだと、半世紀近くの時を経て証明してもらったようで、嬉しく思った瞬間です。
さらに牧野さんは、翻訳家として正しい表記(人によってキャサリーンとカトリーヌのどちらの呼び方をしているか等)や正しい訳語(専門分野によって定義されている訳語がある)についても手を抜かないで調べているそうです。
そんな話を聞いてしまったら、牧野さんの著作が読みたくなりました。以前、手に取ったもの放り出した「ビジョナリー・カンパニー」の最新刊「ビジョナリー・カンパニー4」を翻訳されたとのことですので、早速、買い求めました。最後まで読みとおせるか、ワクワクしています。

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