グローバルフォーラム
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「グローバルPMへの窓」(第120回)
ヨーロッパとのプロジェクト研究交流: ホーム&アウェイ

グローバルPMアナリスト  田中 弘 [プロフィール] :2月号

 1月は海外出初め式が恒例であるが、今年は、出初め式の前に、フランスから盟友を迎えて、東京・横浜・京都と回っての日仏交流が実現し、その後、ウィーンでの欧州プロジェクト学者との交流となった。
 今年も正月からエンジンがフル回転できたことは、プロ野球選手が、開幕試合でホームランと三塁打をいきなり打ったような気分であるが、その“選手”はあと1、2年で引退と予想されている。
 1月11日、フランスSKEMA Business School の前プロジェクトマネジメント学部長兼研究科長 Laurence Lecouvre (ロランス・ルクーブル)教授が、フランスと米国でコンセプトカー創作企業のオナーであるご主人の東京出張に同行し初来日した。ご主人はトヨタのレクサスのコンセプトカーも手がけており、20回目の来日とのこと。 ロランスは、以前から日本に来たいと強い希望があって、筆者が訪日実現を約束していたが、3年越しに実現した。
 ご主人の仕事の1日を除いては、筆者がホストをつとめ、慶応義塾大学大学院ビジネススクール(横浜日吉キャンパス)での特別セミナー “Creative Design and Agile Management”を実施した後、筆者の妻も加わり京都ツアーを堪能した。
 今年は日仏交流160年目であり、もともと、最初の交流拠点であり、日本で唯一「フランス月間」を毎年持っている横浜市で、彼女の来日の本分である、大学院でのレクチャーが実現したことを共に大変喜んでいる。セミナーにはご主人も加わり、普段はまずビジネススクールで聞けないコンセプトカー(自動車メーカーがオート・ショウ等で発表する未来先導型のモデルカー)ビルダーから貴重な証言を聞けた。

ロランス・ルクブル教授の慶應ビジネススクール講義  アジャイル方法は元々ITのシステム開発プロジェクトから始まったが、ヨーロッパでは顧客と、システム製品のコンセプトや基本デザインを段階的に共有する必要がある製造業企業にも活用が広がっている。
 筆者の大事なアカデミック・パートナーであり、できるだけのもてなしをしたが、お二人とも日本を楽しんでくれた。
 しかし、とんだハプニングが起こった。ニースに住んでいる夫妻は、パリ経由エールフランス機で来たが、夫妻のスーツケースがパリ空港で搭載漏れ、しかもロランスの方は二日連続の搭載漏れというAFの大失態があり、服装に何より拘るフランス人女性プロフェッサーのコスチュームが、慶應での授業に間に合わなかったのである。彼女は2日連続で衣類の買い出しに走り、筆者はカバンを慶應大学で受けとるまで、AF成田との間に入り追跡をやっていた。
 フランス人には、服装のコーディネーションの妙を褒めるのが礼儀であることをよく知っている慶應の中国人MBA女子学生が、先生、コーディネーションが素晴らしいですねと云ったら、ありがとうございます、これは日本製ですと返し、学生はキョトンとしていた。

 このイベントが終わって二日後、今度は筆者がウィーンを訪れた。この十年の慣わしになっている、1月はヨーロッパへ、が今年も続いた。プロジェクトマネジメント学者の歴代トップであるProfessor Rodney Turner (ロドニー・ターナー)の65才誕生日を祝い、 3月に中締め引退を表明しているので、ウィーン経済大学大学院教授のProfessor Martina Hueumann(マルティナ・ホイマン)外二名の弟子の教授が幹事となり、Rodney Turner Colloquiumと称する1日学術会議が催された。
 会には、幹事の召集により、ヨーロッパから (+中国、カナダ、南ア) 今は一流から中堅学者となっている弟子達や、ターナー教授が元IPMA(国際PM 協会連盟)会長であることから、何名かのIPMA長老が参集した。筆者は、弟子ではないが、25年来のお付き合いがあり、近年は、フランス大学院の研究科長として、筆者の博士学生10数名も含めて大変お世話になったので、おっとり刀で駆け付けた。
 皆自費参加で、如何にターナー教授が大きな存在であったかを物語る。教授は筆者より9才年下であり、この後を世界的に仕切れる学者はいないので、世界のプロジェクト研究界の秩序を守るために、完全引退は避けるように、強くお勧めした。
 大会では、いくつか深い意味を有する発言が大御所からあった。
IPMAは、Project Management ではなく、Project Organizingと言うようにコンセプトを変えている(R. Wagner 会長)
PMではなくProject-based Leadershipに変えたし、シドニー大学では、大学院専攻科の名称をSchool of Project Studiesに変えた(Lynn Crawford教授)
等々である。
 これは、かつて、あれほどもてはやされたProject Management と言う言葉に、今は閉塞感が出てきており、時代が求めるマネジメントからの疎外感を食い止めたいという、権威筋の意思表明と理解すべきである。

R.ターナー教授記念講演 ウィーン経済大学マネジメントスクール
R.ターナー教授記念講演 ウィーン経済大学マネジメントスクール

 会場のウィーン経済・ビジネス大学は、経済・ビジネス大学としてはヨーロッパ最大規模とのことで、2013年に新設した大変ユニークなキャンパスに世界からの学生が学んでいる(日本人学生はいないようだ)。マネジメントスクール(大学院ビジネススクール)では、他のヨーロッパのビジネススクールと同様に、コアのMBA科目に加えて7つの専攻分野(プロジェクトマネジメントもその一つ)から一分野を選び、修士論文も5か月かけて仕上げるようになっている。
 ウィーンは、ウクライナ往復をしていた頃何度か空港を通り、一度は空港ホテルに宿泊したが、市内は初めてであった。世界的に名高い観光地であるが、確かに、超一流の観光資源を有し、交通インフラに優れ(地下鉄は世界一と思う)、EUの中では物価が安い。しかし、交通機関や市中の表示やアナウンスに英語がほとんどないのは、今どき、驚きであった。それと、地下鉄の中で、やたらとロシア語が聞こえて、ここは、東欧諸国だけではなく、ロシアとウクライナの、西欧との出入り口であることが分かった。ソ連を創ったレーニンや、トロッキー、その他のユダヤ系ロシア人達は、当初ウィーンを拠点としていたことに思いを馳せれば、この繋がりは興味深い。
 ヨーロッパの観光客と言えば中国人であるが、ウィーンでは、韓国人の若い女性かカップルが闊歩していた。中国人が少なかったのは、春節前であることも関係しているのか。日本人は影が薄く、ホテルの100近くあるケーブルTVチャンネルに日本語だけは無かった。
 2月は、日本で授業があり、3月は前半に東京で2週間の海外経営者・管理者研修があり、月末には、セネガルに行く。 ♥♥♥

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