グローバルフォーラム
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「グローバルPMへの窓」(第118回)
IPMA30回記念アスタナ世界大会:ユーラシアに懸けた夢実る

グローバルPMアナリスト  田中 弘 [プロフィール] :10月号

 9月も激しい1ヶ月であった。第1週にプロジェクトマネジメントの世界大会で基調講演を含めて7つの役割を無事果たし、一週おいて、岡山県立大学で、大学院共通科目として4日間の「プロジェクトマネジメント実践論」集中講義を英語で18セッション(各90分)行い、PM知識を有さず、英語力も日本人大学院生として標準的な学生に具体的なテーマのプロジェクトデザイン演習を課し、4つのグループが全員参加、英語で成果発表を行うまでの典型的なプロジェクベースト・ラー二ング(Project-based Learning: PBL)授業を無事終えた。どちらも難易度が大変高かったので、筆者にとっても忘れられない月となった。
 
 プロジェクトマネジメントの世界大会がどのようなものか、カザフスタン国アスタナ市で9月5日から7日まで開催されたIPMA(International Project Management Association) の30回記念大会を舞台に紹介する。
 
大会会場
 大会会場は、カザフスタン国立ナザルバエフ大学である。大学で世界大会議開催というと予算節減と考えがちであるが、その逆で、田中がこれまで出席した36回の世界大会で、最高の素晴らしい会場であった。ナザルバエフ大学は大統領の名前を戴いており、大統領(ご自身大学財団を有しており4つの大学のオーナー)の強い思い入れで、2010年に、世界トップクラスのリサーチと高等教育をカザフスタンの地で行うというビジョンを以て開学した総合大学で、学長は元世界銀行副総裁の勝 茂夫氏が務める。ファカルティ―の8割は高額報酬で招聘した外国籍研究者・教員である。設備は大学の範疇を超えており、大会参加の各国の教授達から溜息がでた。
 大学の正面エントランスの近くに1500名収容のメインホール、500名収容の中ホールが2つ、300名収容の小ホールが2つ、ボールルーム(多目的会場)が2つ配置され 、ホールは全て劇場型、音響効果対応である。
 
基調パネルセッション
 初日に、4つの基調パネル討議セッションが設けられた。大会のテーマである“Breakthrough Competence for Managing Changes”をProject Excellence, Basic Economy, High Technology, Governmentsの4つのストリームに分けて討論する目的で、筆者は、Basic Economyセッションのリードモダレータ(主席議長)を仰せつかった。モダレータは3人体制で行い、相棒は、ベルリン先端科学技術大学のYvonne Schoper教授と、カザフスタンの気鋭の戦略コンサルタント Darmen Sadavakasov博士だ。
 今大会期間中に合計7件の役割があったが、この基調パネルの準備には、大変な時間を費やした(というより浪費した)。90分のパネルで、パネリストが最終的に6名となった。当初田中が提案した、複数国からの大会参加予定者から高いビジョンを有するパネリストを指名する、という現実的な案に主催者が難色を示し、参加者獲得の面から、カザフスタンでインパクトがありそうな合計8名が大会本部から推薦されたが、彼らに打診の結果1名のみ受諾、あとは、返事が全く無しか辞退で(10分のスピーチのために大会に参加すること自体があり得ないことだ)、直前になりようやく4名のスピーカーを集めてきて、なんとか所定の6名(カザフスタン国営産業機構変革担当役員、カザフスタン投資局副会長、カザフスタン国営ユナイテッドケミカル会長、ウクライナ鉄鋼公社チーフエンジニア、IPMA副会長スイス、韓国IPMA会長)と大物を揃えてパネルはできた。しかし、せっかく2か月前からパネル討議の趣旨書や発表の内容・持ち時間のガイドラインを用意したがこれを読んだスピーカーは1名のみで、完全に現場合わせのパネルとなった。
 本来パネルはこのような自然の運営でホールからの意見を抽出、パネルとしてのビジョンを形成するのがよいが、今回のスピーカーでは、カザフススタン国営産業機構の変革担当役員が世界的にもトップクラスの素晴らしいビジョンを展開してくれて盛り上がった。大会戦略上は、このパネルは準基調講演の位置づけで、大物をできるだけ多く登壇させ、部下を大会に参加さるということなので、これでよしとしたい。
 
基調パネル:ブレークスルーにつき議論白熱 パネル:総括を行うSchoperベルリン科技大教授
基調パネル:ブレークスルーにつき議論白熱 パネル:総括を行うSchoperベルリン科技大教授

論文発表
 IPMAの世界大会は、アカデミック(学者・博士課程生)向けトラックと、実務家のトラックを並行配置しており、アカデミックは学術論文提出が大会発表の条件となる。一方プロフェッショナルはパワーポイント・スライドのみで発表できる。採用された学術論文は、米国IEEEのディジタル・ジャーナルに掲載されるため、査読は、ピア・リビュー(複数学者による審査)で行うが、夏休みの時期で、大会プログラム委員による査読ははかどらず、最終的にはプログラム委員長のセルゲイ・ブシュイェブ教授と田中の2名で、2日連続の半徹夜で、フル・リビューを行い、51編の採用学術論文を決めた。
 
 今回大会の論文からは、西欧の論文には大きな変化はないが、中国とロシアからの論文に飛躍を認めた。中国の論文は、プロジェクトの構想化・選択フェーズの科学的なアプローチに素晴らしい研究成果があり、ロシアの論文のいくつかは、これまで主流であった、数理解析をプロジェクトマネジメントに持ち込んだ論文ではなく、現代ロシア社会の問題や、明日へのPMの課題に、プロジェクト科学的にメスを入れた社会科学的論文に優れていた。
 田中のフランス大学院の教え子であったロシアと中国の博士も、彼らの博士論文を基に、田中と共著で論文応募を行い、採用された。ロシアの博士は、大会のためのフライト前日にビールス性インフルエンザに罹ってしまい、奥さんにも感染して大会参加はキャンセルとなり、田中が代わりにトラック発表を行った。中国の学生は公務で大会参加が不可となり、こちらは、ポスターセッションで、これも田中が代行して発表を行った。ポスターセッションは純粋学会の大会であると、発表の半分以上がポスター発表であるので、活気があるが、今大会は実務家の参加が7割であるので、ポスターを見に来る人は学者の若手くらいで、手持ち無沙汰であった。
 IPMA大会の各発表セッションは通常15分であるが、今回は主催者が発表者数を欲張ったため10分であり、大変目まぐるしい。大会は参加者が学ぶ場ではなく、発表者が大会参加の費用を所属先に負担してもらうために発表権を得るためとも考えることができる。また、アカデミックは、大会で採用された論文は科学ジャーナルに載り、それが即学術実績となるので、こちらが大事であり、大会発表はついでとなる。
 
基調講演
 大会3日目にクロージング基調講演を実施した。ニュデリー世界大会(2005)、ギリシャ・クレタ島世界大会(2013年)についで3度目の基調講演となり、IPMA世界大会で3回基調講演を行った例は、歴代の会長を含めてもないようだ(現在は隔年開催であるのでこの記録は破られることはないであろう)。
 演題は、“Growing Paradigm of Project Management - A New Frontier of Mega Energy Projects, Program Management in the Government and Projectized Social Projects” とし、筆者が2004年にフランスの世界セミナーに寄稿し、その後2011年のIPMA年次ジャーナルに更新版を掲載した”Changing Landscape of Project Management” と題する論文の延長線上で、この10年間で、プロジェクトマネジメントがどのようにその価値と適用分野を拡大したかを、大規模石油・天然ガスプロジェクト、政府のプログラムマネジメント、そして、社会開発のプロジェクトマネジメントで、筆者の関係してきた事例を引き合いに出しながら説いた。
 
クロージング基調講演:会場は超一流(中ホール) 基調講演:タナカ節の入り
クロージング基調講演:会場は超一流(中ホール) 基調講演:タナカ節の入り

 大会に入ってから、パネル議長、トラック議長、論文発表2件、おまけで、ウクライナで開催中の千名規模のIT国際大会へのスカイプ経由のショート基調講演、と出ずっぱりで、一方、夜のソーシャルプログラムも3日続けて4時間の素晴らしいおもてなしで、しかも前夜は大会の華ガラ・ディナーであり、肉体的な疲労はピークに達しており、頭も半分寝ている状態であったが、基調講演の蓋を開けたら無事自分を乗せることができ、近年稀なパフォーマンスがでた。他の基調講演は概念的な話か、単一事例のみの話が多いなか、話者が世界の多くのほとんどの地域をカバーする自分の世界を持っており、概念と実例を組み合わせて話せるので、オーディエンスに分かりやすく、受けが良い。
 無事大役を終わって振り返ると、役にたったのは、これまで30回に及ぶ国際大会での基調講演経験、ユンケル皇帝液プレミアム、IPMA大会を楽しむ心、そして、なにより、筆者のことが大好きなロシア、ウクライナそしてカザフスタンからの200名の参加者、西ヨーロッパのIPMAの友人達の心の応援があり、アウェイではなく、全くホームの感覚でプレイできたことだ。
 
ソーシャルプログラム:絢爛豪華な大会おもてなし
 IPMAの世界大会の特徴は、PMIやPMAJの大会と比べて、格違いのソーシャルプログラムにもある。今大会は特に素晴らしく、まず、大会前夜に、VIP30名だけの招待で、アスタナ・オペラ座でのミラノ スカラ座(La Scala)のオペラ公演(ジュゼッペ・ベルディ作曲「ファルスタッフ」全3幕)を堪能した。
アスタナ・オペラ座は3年前に新設されたそうで、ヨーロッパのIPMA首脳によると、設備の豪華さは世界一とのこと。ここで、奇跡的に、スカラ座公演が、開催中のアスタナEXPO(万博)のイタリア・デイに合わせ、ナザルバエフ大統領自らの根強い折衝が実り、実現したとのこと。芸術には大変弱い筆者であるが、ヨーロッパに度々行くと、日本では手が出ないオペラとかバレーの鑑賞に連れていかれることがあり、生きている記念を何度か体験した。今回は、一階バルコニーという最高の席で鑑賞できたが、チケットに書いてある価格をみたら、6千円であり、これは2013年に東京でのスカラ座の同一作公演のS席のなんと十分の一である。
 
 大会初日のウェルカム・ディナーもオペラ座2階ファンクショナルフロアを使用して、カザフスタン・オペラ座専属の弦楽アンサンサンブルの演奏と中央アジア歌曲独奏が1時間あった。大会2日目は恒例のIPMAプロジェクト・エクセレンス賞受賞団体(群)の栄誉を称える大会ガラ・ディナーで、サルタン・サライ(王の本陣)と称するナショナル・レストランで煌びやかに催された。素晴らしいフランスワインとカザフ正統料理のフルコースで、大会前には、翌日午前の基調講演に備えてワインはグラス一杯だけと、仮の決意をしたものの、本決意ではないので、いとも簡単にこれを翻し、ワインは好きなだけ楽しみ、その後のウォッカは心が動いたが、こちらは踏みとどまった。
 このような豪華な大会で、参加費はいくらになるかであるが、平均800ユーロで、西ヨーロッパで開催の世界大会より20%程度安く、アジアで開催する大会より300ユーロほど高い。渡航費を入れると参加には約30万円必要であり、企業がこの種の大会への社員の参加を支持しなくなった昨今は、参加するのは、IPMAの各国協会代表、旧ソ連圏の政府関係者、あるいは、独立リサーチ予算を有する学者など合計400名であった。これは最盛期の半分であるが、対抗馬のPMIの世界大会は参加者が最盛期の三分の一以下であるので、 健闘した部類である。
 
カザフススタン・プロジェクトマネジメント協会(KazPMA)
 IPMA世界大会はホストのナショナルPM協会が実質的に務める。集客責任、運営責任及び収支責任を持ち、収入の何割かを上納金としてIPMAに収める。プログラムは、IPMA傘下協会から委員長指名または自薦により編成したプログラム委員会が担当するが、集客に影響するので、基調講演者の人選、発表トラックの構成および、招待スピーカーの人選は、ホスト協会の意向を十分に汲み取る。
 出身の日本プロジェクトマネジメント協会はIPMAの会員ではなく、筆者が本来、基調講演を含めて7つの役割を世界大会で務めることはあり得ないことであるが、これは今のIPMAのリーダー達にも良く分からない存在感を持っており、旧ソ連の各国、中国、インドの強い支持がある等 “タナカ・ワールド”があることと、KazPMAとの親密な関係があってのことであった。
 KazPMAは2003年に創設されたが、2007年3月に第1回ナショナルPMシンポジウムが開催された際の第一基調講演者が筆者であり、その際ワークショップも実施した。翌年PMAJの第2回グローバルシンポジムを開催した際には、答礼で、会長のProfessor Prof. Kenzhegali Sagadiyev (当時カザフ国会議員序列第2位でカザフスタン科学アカデミー会長)以下12名の方が参加して戴いた。その後の相互友好関係は変わらず、今回も、会長ご自身のご指名により、アスタナ世界大会にお招き戴いた。また、筆頭副会長のSvetlana Murzabekova博士(大統領財団のCFO)とは、義理兄妹の誓いがあり、CEOのMaira Khussainova博士は、筆者に“Hiroshi Partisan, Hiroshi Nomad”の通称を作ってくれた方だ。
 
KazPMA首脳と大会前の勢揃い 大会を仕切ったマイラ女史(右)と
KazPMA首脳と大会前の勢揃い 大会を仕切ったマイラ女史(右)と

 アスタナ世界大会を盛り上げることに貢献できたこと、そして、2000年代にユーラシアに夢を懸けると誓った筆者の思いが高いレベルで叶ったことを確認できたひと時であった。  ♥♥♥


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