PM研究・研修部会
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白いスーツの紳士の話

井場 隆史 : 8月号

パーティー会場は和やかな雰囲気に包まれていました。
IT関連会社のセミナーのあと、会場をパーティールームに移してのネットワーキング懇親会。それぞれグラスを手に久しぶりの再会を喜ぶ人々、初対面の挨拶をする人々などの喧騒が会場にあふれていました。
そこに悠然とひとりの初老の紳士があらわれたのです。
まだ入梅前だというのに、本格的な夏も顔負けの猛烈な暑さと湿気が街をジリジリと覆う、そんな気候にぴったりの上下ホワイトの涼しげなスーツは、ダークスーツ姿が多い中でひときわ異彩を放っていて、会場のだれもがちょっとだけ会話をとめてチラッとその紳士に一瞥をくれ、またもとの会話に戻っていきました。
「あの方は当社の中では有名なお客さんなんですよ」
横にいたIT関連会社の営業マンが耳元でささやくと私からすっと離れ、紳士のもとに近寄っていきました。
お互いに旧知だったのであろう彼らはにこやかに再会の挨拶をすると、二言三言言葉を交わしながらこちらを振り返り軽く会釈をしました。私が笑顔を返すと、紳士はホワイトのスーツの内ポケットに右手を差し込みながら、こちらに歩み寄ってこられました。差し出された名刺は縦書きで、Tさんという名前の横に、某大手企業グループの要職の肩書きが記されていました。こちらからご挨拶すべきだったかな、と、なんだか申し訳ないような気持ちになりながら、私は名刺を差し出したのでした。
差障りの無い会話もそこそこに、セミナーを主催したIT関連会社との関係について語り始めた紳士の表情は終始和やかでしたが、当時のプロジェクトの様子になると、次第に話に熱がこもってきました。
現在の某企業グループにおける大規模コンピューターシステムの礎となる仕組みを構築するプロジェクトを牽引してきたこと、当時としては考えられない規模の開発だったこと、並み居る反対派をねじふせたこと、プロジェクトでは「鬼軍曹」だったこと、などなど。
「よー!久しぶり!」
そんな声をかけながら、セミナーを主催したIT関連会社の役員の方々も、ちょっと失敬とばかりに招待客との会話の輪から離れ、紳士の周りに集まってきて、人の輪が徐々に大きくなってきました。
「本当にあのプロジェクトは厳しかった!」
当時のプロジェクトメンバーが口々に言うところによると、くだんの紳士は相当な豪腕の持ち主で、それゆえ要求も厳しかったのだけれども、メンバーに対して情熱と強い意志で接し続け、プロジェクトを成功に導いたのでした。それだけに、プロジェクトが成功したときの喜びもひとしおで、いまでもこうして昔話に花が咲くのだそう。
いまやみなさん要職につかれ、それぞれ違う仕事に日々邁進されている中、ひととき久しぶりの再会を懐かしむ姿に、なにか羨ましい気分に浸りながら私も会話の隅っこでうなずいていたのでした。

将棋の藤井聡太四段が快進撃を続けています。
どうやら彼には違う世界が見えているらしいのですが、その源流が人工知能(AI)にあることは様々な報道から知ることができます。
現在は「第三次AIブーム」という時代に突入しているようで、確かに、自動運転技術は着実に進歩していますし、機械翻訳は違和感が無いレベルに滑らかな日本語ですし、音声アシストスピーカーではAmazonやGoogleがしのぎを削っていますし、そんな、一昔前まではちょっと遠い世界かな、とおもっていたテクノロジーが私たちの暮らしのまわりに浸透し始めているのを実感する今日この頃です。
「第三次AIブーム」は機械学習から発展した深層学習(ディープラーニング)というブレークスルーが背景にあるとものの本には書いてあるのですが、AIそのものの仕組みや本質はともかく、藤井四段のようにアレルギーなくそれらを自然に受け入れ、上手に活用して、そして強くなるという世代が生まれてきている点が、驚きに値する出来事なのだと感じます。
将棋の電王戦もすでに初回から7年を経過。その間さまざまなAIが切磋琢磨し、生まれては消えしてきているようですが、はてさて、最高級のAI同士が戦ったら結果的に千日手にならないのかしら、などといらぬ心配をしてみたりしています。
それはともかく、将棋の世界での進歩に象徴されるようにAIの利用領域は、過去の大量の経験データから学習し、情報を識別し、結果を予測し、そして計画どおり実行し、あらたな状態に直面した場合、また反復的に学習と予測を繰り返す、という段階にすでに突入しているようです。
だとすると、われわれプロジェクトマネジメントの世界、これはAIの得意技なのかしら。
PMBOK®のプロセスを習得するくらいわけなさそうだ、過去の膨大な経験値を学習させることでスコープを与えればたちどころにネットワーク図くらい作ってくれそうなもんだ、恐怖心のないAIのことだから光速の寄せで大胆にプロジェクトを進めてくれるにちがいない。そんなことを考えて調べてみたら、なんと、すでにそういったものが出始めているらしく、AIがアクティビティをチケット化してくれて、メンバーに割り当ててくれるそうな。ちょっとでもサボろうものなら、ケータイに督促メールを寄越してくるのでしょうか。まさに「1984」を彷彿とさせる無味乾燥な世界。プロジェクトの成功率は100%近くになるのでしょうけれど、果たして未来のリーダーたちはそれを「プロジェクト」と呼んでいるのでしょうか。

パーティーはそろそろお開きに近づいてきて、ひとり、またひとりと招待客が会場をあとにしていました。紳士を囲む人の輪は話が尽きない様子で、徹夜で資料を作った話、大失敗をどうやってリカバリーしたのかといった話、紳士の「やんちゃ」ぶりの話、そして最後に成功したときの喜びの話が次々と披露されていました。そして私も何杯目かのグラスをチビチビとやりながら、あたかも自分がそのプロジェクトにいたかのような気分に浸っていたのです。
Mr.AIが冷たくタスクを割り振るよりも、鬼軍曹のもとで汗びっしょりになって苦労して、そして、当時のメンバーと再会して昔話に花を咲かせる、やっぱりそんなプロジェクトがいいなぁ。
ふと、紳士が私に向かってこうつぶやきました。
「みんな戦友なんだよ。」とても印象的な言葉でした。

以上

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