グローバルフォーラム
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「グローバルPMへの窓」(第116回)
世界大会の準備にあたり思うこと

グローバルPMアナリスト  田中 弘 [プロフィール] :8月号

 毎年夏は一年で一番忙しいが、今年もそのようで、とても夏休みどころではない。夏休みは、8月後半のフランスでの数日までお預けとなる。
 
 7月は首都圏の大学院で2回の集中講義があり、いま2本目に取り組んでいる。今やっている科目では、米国ペンシルベニア州立大学(通称Penn State)の教授と筆者が3日ずつ、招待教員として、講義を分担している。Penn Stateの教授は日本出身で、圧電分野の世界的権威であるが、60歳を超えて、国防総省・米国海軍のテクノロジーオフィサーも兼務していた頃から Politico engineering という分野を提唱され、自らもMBAを取得し、先端技術と国防・政治・外交・クライシスマネジメント並びに経営学を融合した大変面白い分野を作りあげた。先生の発言は、全て、米国の視点からのそれであり、中国に対しても容赦がないが、履修生50名のうち20名近くが中国出身の二つの日本の大学院の学生であり、彼らの表情を観察していたが、皆熱心に聞いていた。日本に学びに来る大学院生は世界視点で中立な判断を行なえるのであろうか。教員も、組織のしがらみが無くなり、自由にものが言えるようになると迫力がある講義ができるようになると思う。
 
 7月にピッチを上げて取り組んでいたのは、9月第1週にカザフスタンの首都アスタナで開催されるIPMA(世界PM協会連盟)第30回記念世界大会のプログラム委員としての活動で、毎週金曜日夜にSKYPEで2時間強の会議をやりながら、前に進めている。
 
 30回記念の世界大会であると、日本の常識では、1年以上前から周到な準備を進めると考えるが、それは日本だけの常識である。世界大会まで一か月であるが、次のようなことが起こっている。
 
プログラム委員会の始動は6月であった。
世界大会まで1ヶ月に迫っても、まだ、一般発表など、プログラムが確定してない。
集客も大会ターゲットの三分の一程度である。
IPMAの大会にはいわゆる大会を支えるボランティアがおらず、各国協会の会長(ほんどが教授)などがプログラム委員を務めているが、彼らは指定されている学術論文の査読もほとんどやらないで、並び大名的な存在である。
組織委員会はカザフスタンPM協会幹部を主体として別途あるが、10年前の地域国際大会の経験があるメンバーは1名のみで、大会成功に向けた戦略がよく見えない。
ヨーロッパ主導のIPMAであるが7月・8月はバカンスの季節で、最悪の状況でラストスパートに賭けることになっている。
 
 しかし、過去、モスクワ(2003年)、ニューデリー(2005年)、上海(2006年)なども最後の追い込みで盛況な大会を開催しており、なんとかなるであろう。
 
30th IPMA World Congress

 
 筆者は2013年のクロアチア大会でIPMA世界大会から引退したはずであったが、極めて親しい大先生が大会プログラム委員長であるので、今回限定で、助っ人として呼び戻された。我々二人でプロジェクトマネジメント教育の新機軸をいくつか打ち出してきたが、今回の世界大会もその延長である。
 
 IPMAの世界大会は、学会とプロフェショナルの大会を兼ねており、筆者は、プログラム委員長と二人で、全学術論文(60本)の査読を行った。素晴らしい論文が30本近くあった(残念ながらプロジェクトマネジメント学の先端研究では日本はもう完全に蚊帳の外である)。
 
 顧みて、日本プロジェクトマネジメント協会のPMシンポジウムはPM界で世界最高の大会パフォ-マンスを有していると断言できる。ボランティアによるシンポ・プロジェクトチームのプログラム企画力、集客力、運営力とも飛びぬけて良い。この業績こそ、どこかの世界大会で発表すべきである。
 
 暑いそして熱い夏は、この後、岡山県総社市、横浜市、石川県能美市、フランス リール市と続き、道は再びカザフスタン アスタナ市へと続く。  ♥♥♥


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