図書紹介
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応仁の乱 ――戦国時代を生んだ大乱――
(呉座勇一著、(株)中央公論新社、2017年3月5日発行、第13刷、302ページ、900円+税)

デニマルさん : 8月号

今回紹介する本は、題名や内容が地味な割には今年度上半期で38万部も売れている話題のベストセラーである。新聞広告に「けっこう学術的なこんな本が良く売れることに不思議に感じるが同時に、多くの読者を持つに値する本だとも思う」(大澤真幸・社会学者)とコメントしてあった。出版社の編集部では「皆さん名前は知っていると思うが、詳しくは分からない点が多い。この本は、時代の前後を含めて一冊で分かり易くなっている。地味なテーマなので、売れるとは思っていなかった。」と言う。だから宣伝には「地味すぎる大乱」とか「スター不在」「勝者なし」「ズルズル11年」等の分かり易いコピーを使った。その結果、「以外に単純なことが分かっていない点が、読者の気持ちにマッチしたのではないか。」と分析している。著者の呉座氏は日本史学者で、国際日本文化研究センター助教授である。主に中世史を専門に研究され、「戦争の日本中世史」で角川財団学芸賞を受賞している。この本を書くにあたり、乱の発端を作った畠山義就(よしひろ)に強い印象を持ったという。

応仁の乱とは?           ――何の戦いで、勝者は誰か――
昔日本史を勉強した頃に、「1467(人の世むなし)年、応仁の乱」と覚えた方も多いと思う。応仁の乱は室町時代の後期に、全国の守護大名が東軍(細川氏、赤松氏、京極氏他)と西軍(山名氏、六角氏、大内氏他)に分かれて、総勢約30万人もの兵士が、京都を主戦場にして11年も争いを続けた日本最大級の戦である。この位はおおよそ思い出せるが、何が原因で戦が始まり、最終的に勝者は誰かとなると答えが怪しくなる。それ程複雑な戦だった。

応仁の乱が終って?         ――戦国時代の始まりとは――
将軍家の家督争い(足利義尚と足利義視)に、幕府の主導権争い(細川勝元と山名宗全)が絡みあい、それに京都を中心として全国の守護大名が系列化された。この戦の最中に、相方の大将が亡くなり世代交代もしている。その後継者、細川政元と山名政豊は和睦に動き、9代将軍足利義尚の名で守護職を纏めた大内政弘が京都から撤収し、西軍は事実上解体された。その結果、京都に焼け野原だけを残して11年間の応仁の乱が形の上では終結した。

応仁の乱以降が問題?         ――日本の歴史の転換点とは――
しかし応仁の乱後に、細川政元が日野富子(足利義政の妻、足利義尚の母)と組んで将軍の首をすげ替えるクーデターを起こした。これが「明応の政変」(1493年)である。著者は「この政変で幕府の権威が失墜して統治体制が崩壊したので、戦国時代の始まりではないか」という。応仁の乱は、侍だけでなく民衆を巻き込み、下剋上が広がった社会構造に変わるキッカケとなり、以降の日本社会全体へ大きな影響を与えた戦であったと結んでいる。

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