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シニア・プロジェクト(パーソナル・プロジェクト)
そのⅠ.ユーラシア大陸の西端を極める

プラネット株式会社 シニアコンサルタント 中 憲治 [プロフィール] :7月号

パーソナル・プロジェクトとして、65歳を納期に定めた「アラ還プロジェクト」を終え、2014年から「シニア・プロジェクト」を開始した。このシニア・プロジェクトは納期を70歳までに達成すること。そして、70歳の誕生日での富士登山を以って完了と目標を設定している。しかし、具体的な目標を設定した「アラ還プロジェクト」と違い、「シニア・プロジェクト」の具体的な目標は、70歳での富士登山のみ。それ以外は具体的目標としては設定せず、テーマを「端を極める」としているだけである。
テーマを「端を極める」とした理由は、これまで、マラソン大会を決める時も、「端を極める」をテーマとしてきた。例えば、2014年1月の「石垣島マラソン」は日本の最南端(最西端も兼ねている)で行われるフルマラソンであり、これは必ずカバーして置くことを目標としていた。2018年9月には最北端の地「宗谷岬」で第1回のマラソン大会が開かれるとの情報があり、これに参加することを「シニア・プロジェクト」の具体的目標としている。もっとも、富士登山も国内で最高峰の山であり、これも「端を極める」のテーマに該当している。すなわち、「シニア・プロジェクト」は最初からテーマだけ設定し、テーマに該当するものが見つかった時は具体的目標設定とする、そんな緩やかなプロジェクトである。「アラ還プロジェクト」は最初に具体的目標を設定し、目標達成に全力で挑むといったものであった。「シニア・プロジェクト」は体力の低下も考慮し、楽しみながら目標達成を目指す。しかし継続性を重視し、テーマだけは今までの取り組みの中でのストーリーを継続することにおいたのである。
「シニア・プロジェクト」は遂行途中でありこれは中間報告であるが、これまでの経過を数回にわたりオンラインジャーナルに投稿していきたい。
その第1回は、「ユーラシア大陸の最西端を極める」である。
ポルトガルのロカ岬。ポルトガルの首都リスボンの約20㎞西、北緯38度47分・西経9度30分に位置するこの岬は、ユーラシア大陸の最西端に位置している。ポルトガルを具体的目標に設定した理由は、ロカ岬を訪ねる事の他に、鉄砲(種子島)の伝来など日本の近代化に大きく影響し、それをもたらした大航海時代を切り開いたポルトガルの国に関心を持ったこと、そして何よりもフランシスコ・ザビエルのアジアへの布教活動の出発地点となったリスボンのテージョ川の港を見てみたいと考えたことである。
大航海時代を切り開いた人物である「エンリケ航海王子」、リスボンのテージョ川、そしてフランシスコ・ザビエルについては、次回に述べることにする。
ロカ岬には、ポルトガル中世の詩人カモンイスの詩が刻まれた塔が立っている。“ここに地尽き、海はじまる”

ロカ岬 カモンイスの詩の塔
 ロカ岬  カモンイスの詩の塔

ロカ岬は高さ約144mの断崖絶壁で、その先は大西洋に落ち込んでいる。昔この岬に立った人は、大西洋の先はどこかで大きく落ち込んでおり、地球の果てとなっていると想像していたとされている。これを確かめようとし、大西洋に果敢に挑戦したのがポルトガルの大航海時代であり、これがスペインとの競争においてヨーロッパにおける世界発見へとつながっていく。
大航海時代が生まれた理由の一つに、マルコポーロの「東方見聞録」があるとされている。マルコポーロのアジアへの旅は、1271年~1295年の24年間に及び、その後「東方見聞録」が記されたとされている。ポルトガルでは、大航海時代を切り開いた「エンリケ航海王子」の兄が、1400年代前半イタリア・ベネチュアへの留学時に「東方見聞録」に接し、ポルトガルに帰国後ポルトガル語に翻訳、これを弟であるエンリケ航海王子に読み聞かせたと伝えられている。これがエンリケ航海王子のアジアを目指すという壮大なプロジェクト魂を生み出したのではないだろうかと想像される。この地に立ち、当時の人々の思いに心を馳せると同時に、このような思いが、ヴァスコ・ダ・ガマのアフリカ喜望峰からインド航路の発見、種子島の伝来、フランシスコ・ザビエルの来日などに繋がっていく一連の大プロジェクトの始まりを想像でき、感激もひとしおであった。
次回以降、エンリケ航海王子、フランシスコ・ザビエルについて書いてみたい。

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