PMプロの知恵コーナー
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「エンタテイメント論」(112)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :7月号

エンタテイメント論


第 2 部 エンタテイメント論の本質

6 創造
発想阻害排除法①-1
①優れた発想は、発想を阻害する「固定概念」や「先入観」を排除する事で生まれる。
●下記の「魚PJT」と「昭和PJT」とは
 発想阻害排除法の説明を始めるに際して、改めて説明したい。下記の「魚PJT」は、岐阜バーチャル&リアル世界淡水魚水族館プロジェクトを、「昭和PJT」は、岐阜昭和村プロジェクトを夫々意味する。夫々が完成した時も、現在も、大勢の人々が訪れる岐阜県の重要な観光スポットである。

 筆者は岐阜県理事の官僚時代、梶原 拓・岐阜県前知事から魚PJTに関して、「川勝さん、日本のどこにもない様な水族館を作って欲しい」、昭和PJTに関して、「大正村は岐阜県にあるが、昭和村な岐阜県にも日本のどこにもない。是非ユニークな昭和村を作って欲しい」と要請された。

岐阜バーチャル&リアル世界淡水魚水族館プロジェクト

岐阜・昭和村プロジェクト

 この2つのプロジェクトで何を作らねばならないかは明確であった。しかし本当に作るとなると、どの様に作ればよいか? 最初から下記の固定概念や先入観のために悩み出した。

●魚PJT
 最大の問題は「淡水魚」である事だった。淡水魚は海水魚に比べて体が小さく、色もカラフルではない、魅力、迫力に欠ける。淡水魚はダメと云う固定概念や先入観がある。そのため日本の水族館は海水魚が中心である。

 筆者も最初はその様に考え、ダメだと何度も思った。しかし岐阜県には海がない。鮎が重要なシンボル魚である。従って何としても「淡水魚」の水族館を作る考えを貫き、その固定概念や先入観と戦う事にした。

 さて淡水魚でもピラニア、肺魚(肺も機能を持った魚)、大ナマズなどは迫力がある。最初、これを展示すればよいと考えた。しかし単に展示するだけなら、多くの水族館が珍しいものを展示する方法と同じである。

 その頃、日本の多くの水族館は、展示水槽をびっくりする程巨大化し、膨大な投資額と運営費を負担して規模の競争に走っていた。この水族館事業に於ける「規模拡大競争」は、後から次々と水族館事業に参入する異業種の企業によって更に加速された。この辺の事情は今も基本的には変わらない。規模拡大競争は結局、共倒れを招く。

 筆者は、水族館を「魚の展示場」と考えず、自然の一部を何らかの「考え方」で「切り出し」、その空間に観客を導くと云う方法がないかと考えた。水族館を離れ、全く別の事を考える様にしたことで、固定的、先入的なモノゴトの捉え方から脱出できた様に感じた。その時、地球の大陸大移動と魚の大移動が繋がっている事、この事を水族館に導入する事も思い付いた。この内容は以前の号で説明したのでこれ以上の説明は割愛する。

出典:大陸大移動 earthdrift.jpg com
出典:大陸大移動 earthdrift.jpg com

 筆者は、岐阜県の正規の官僚になる前、(株)セガでジョイポリスを作った経験や新日本製鐵で日本初のユニバーサル・スタジオ・ツアーのプロジェクトを開発した経験から「エンタテイメント」を水族館に導入する事を最初から考えていた。

 そのため日本の多くの水族館でどの様な「エンタテイメント」の要素を展示やイベントを導入しているか調べた。しかし驚いたことに、どこの水族館もエンタテイメント(面白さ、楽しさ、怖さ)への発想は似たり寄ったりで、「エンタテイメントの本質」を理解し、導入した水族館は皆無であった。

 言い換えれば、どこの水族館も「水族館はこの様にあるべきだ」と云う固定概念や先入観に縛り付けられている事が分かった。皮肉な事に固定概念や先入観を打破するべきは、筆者が取り組んだ水族館ではなく、日本の他の多くの水族館であった。この事は現在も当てはまる。

●昭和PJT
 昭和村を如何に作るかで本当に悩んだ。この悩みとその解決策は、以前の号で説明済である。
しかし本号での固定概念と先入観の打破の事を説明するため、再度、同じ説明をしたい。

 さて昭和村である以上、昭和の最大の出来事は、太平洋戦争である。これを抜きにした「昭和村」はあり得ないという固定概念や先入観でガンジガラメになっていた。しかし岐阜県で作る昭和村に太平洋戦争の悲劇の歴史と惨状の実態を持ち込む訳にいかない。

 しかし「太平洋戦争」の事が、叩いても壊れない頑強な「固定概念」と振り払っても、振り払っても粘着して剥がれない「先入観」として頭の中を完全に支配した。そして理事室の壁にある「開発予定地の地図」を眺めて、来る日も、来る日も「ため息」ばかりついていた。筆者の秘書から、心配そうに「川勝理事、大丈夫ですか?」と何度も聞かれた事を今も鮮明に覚えている。それほど悩んだからだろう

出典:真珠湾攻撃で開始した太平洋戦争 britannica.com/Pearl-Harbor-attack
出典:真珠湾攻撃で開始した太平洋戦争
britannica.com/Pearl-Harbor-attack

 外部の設計会社や企画会社などに何度も相談した。しかし参考になる意見やアイデアは得られず、悩みは益々深まった。筆者は知事、副知事ぐ県三役の理事の地位にいたので、部局長以下、数千人の職員を筆者の部下として協力して貰える立場にいた。

 しかし彼等は公務員としての長年のプロ経験を持っている。しかしこの種の仕事では全くのアマチャーである。筆者がそもそも彼等に参考になる意見やアイデアを求めること自体間違っている。しかしそれでも彼等と議論した。彼等は本当に良く、筆者に協力してくれた。今も感謝している。

 計画地を何度も、何度も視察し、新しいコンセプトを探した。計画地自体を根底から見直す事も視野に入れた。そして南北に長い「計画地の地図」がいつも頭の中にあった。

 ある日、理事室で時々する「うたたね」から目覚めた筆者は、目の前の理事室の壁に貼ってある「岐阜県の地図」を見た。その瞬間、両者が重なって見えた。次の瞬間、悩んでいろいろ考えてきた事自体が固定観念や先入観そのものであった事に気付いた。

 計画地は南北に細長い形である。岐阜県の形と全く同じではないがよく似ている。従って岐阜県の長い歴史の中のある時期を捉え(太平洋戦争の時期を外す)、岐阜県丸ごと空間的に計画地に、はめ込むと云う時空の「基本コンサプト」を思付いた。本当に嬉しかったと云うより、安堵した。悩みの太平洋戦争の事が既に頭に中から消えていた。何故、固定概念と先入感が消えたか? 悩み、悩んだために消えたか? 次号以降で明らかにしたい。

つづく

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