グローバルフォーラム
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「グローバルPMへの窓」(第114回)
3年半ぶりのロシア

グローバルPMアナリスト  田中 弘 [プロフィール] :6月号

 今月の主題は3年半ぶりに訪れたロシアPM紀行であるが、その前に富山調査旅行について書きたい。
 教鞭をとっていて、最近地域振興やサステイナブル、エコ社会についてのテーマを扱う事が多くなり、3月に北海道稚内、4月に岡山県備前市に見学に行ったのに続き、5月連休明けに富山県に出向いた。富山市はサステイナブル・エコシティとしての積極的な取り組みを行っており、世界的にも積極的に発信しているため評価が高く、世界5大サステイナブルシティに数えられている。今年は、3月のフィリピン向け経営者セミナーに続きこれからも地球温暖化対策(Global Warming Adaptation)をテーマにした海外向け研修を実施し、また世界PM大会で関連トラックの議長を務めることになっており、身近な例の見学に出向いたものである。
 この小調査では富山市、砺波市、高岡市を訪れた。富山市は、老齢化社会日本の都市で取り組むべき《コンパクトシティー》、つまり、大都市のサテライトタウンや地方の中都市において、市の中央に行政サービスやアメニティーを集中させ、周辺集落から市中央部への交通アクセスに工夫をこらすコンセプトを見に行った。
 砺波市は江戸時代からサステイナブル集落のモデルである散居村の存在で有名であり、この伝統的なライフコンセプトを垣間見て、また世界的に有名なチューリップの季節で、百花繚乱を楽しんだ。高岡は銅と鋳物工芸の町であり、金屋町という工芸街を散策した。

富山駅新幹線下のセントラム・ターミナル

富山駅新幹線下のセントラム・ターミナル
セントラム路線図
セントラム路線図

 実地検分の中心は、セントラム(Centram)と称するヨーロッパ由来の低床型?高加速市電(LRT)であり、センタトラム3系統全路線と、先行して設置された、旧富山港に行く同型LRポートラムに乗ってみた。LRTのターミナルでは、フィーダー・バス(feeder bus)という連絡バスと接続し奥の町からのアクセスが確保されている。
 富山港は江戸時代に北前船の交易で賑わったが、現在は、ロシア、韓国、中国への輸出港となっている。輸出額の67%がロシア向けであり、極東ロシアのウラディオストックと定期航路が月7便もある。

アエロフロート長距離線機内 5月22日成田発モスクワ 行きアエロフロートSU263便は、筆者の見果てぬ夢を乗せてモスクワ・ シェレメチェボ空港に着陸した。 ウクライナ対ロシア紛争が長引き、もうロシアに来ることはないであろうかと思っていたが、フランスの大学院で指導を行い、ロシア国籍者として初めて戦略・プロジェクト & プログラムマネジメント専攻Ph.D.を授与されたレオニド・シャフィロフ氏(元地方銀行頭取・集会議員で、現在マイクロファイナンス機構の代表)の招待で、南ロシアのロストフ・ナ・ドヌ (Rostov-on-Don) を訪問し、交流を行うことになった。 アエロフロート利用は今回で3往復目であるが、ビジネスクラスは初めてである。往路は、旧ソ連のイリューシンを使用していたのは1990年代までで、今はエアバス330-300またはボーイング777-300機材を使用し、座席は一世代前の仕様であるが、食事やワインは日系エアラインより質が高い。胃のサイズが異なるロシア人に合わせた、アミューズ、前菜、緑茶のスープ、サラダ、メインのアクアパッツァ、デザートのアイスクリームとエスプレッソと6コース(往路)であるので、適当にスキップしないと日本人シニアの筆者はもたない。

 ロストフ市はモスクワから南に千キロ、フライトで2時間下った、黒海の奥に位置する水深の浅さ世界一のアゾフ海から中央ロシアに至る大河ドン河を50キロほど遡った所にある百万人都市で、古くから、5海(黒海・アゾフ海・カスピ海・白海・バルト海)に通じる交易都市であり、また、アントン・チェーホフ(世界三大劇作家)、ミハイル・ショーロフ(ノーベル賞作家)、アレクサンドル・ソルジェニーツィン(ノーベル賞作家)等数々の文化人を輩出している。
 筆者は対ロシア紛争が起こった2013年の12月までは、ウクライナ側の、黒海沿岸にあるオデッサ、ニコライェフ、ルハンスクの大学に何度も通い、クリミア半島でも学術フォーラムを開催したことがあるが、国境から70キロにあるロシア側のロストフに来られるとは思ってもみなかった。ロストフには大変興味があったので夢がかなったことになる。

ロストフ・ナ・ドヌ (Rostov-on-Don) の位置
ロストフ・ナ・ドヌ (Rostov-on-Don) の位置

 交流行事として、南ロシア連邦大学で、経済学部長以下70名の教員、大学院生、学部生に向けた特別講義、ロストフ市のビジネス人・研究者への講演と意見交換会、アゾフ市文化人類学博物館表敬訪問、および、タガンログ市アントン・チェーホフ記念博物館表敬訪問を行った。いずれも大変丁重なおもてなしを受けた。ロストフには3万人の韓国人コミュニティーがあり、また中国人も多いが、日本人はめったに来ないとのこと。
 ロストフ市と、各々40キロ、70キロ西にあるアゾフ市、タガンログ市は風光明媚で、世界の歴史に名を残す文化資産に恵まれ、食事もきわめて美味である。現在のロシアのちょっとしたレストランはフレンチまたはイタリアン系であり、そこに南ロシア伝統のフィッシュ・スープなどが加わって豪華である。ただし、レストランの食事はEUの国並みに高い。同じ質の食事をウクライナのレストランで頼むとロシアの三分の一である。

南ロシア連邦大学の講義 学術交流主催チーム
南ロシア連邦大学の講義 学術交流主催チーム

 今回の交流は、シャフィロフ博士(右写真の田中の左)がプログラムマネジャーで、連邦大学大学院で彼と同じ教授に師事するアンナ・ オガネシャン博士(田中の右)が実行担当プロジェクトマネジャーで無事治めたが、助っ人として、2014年から2年間田中がモスクワ州立文理大学で国際教授を務めていた際の同僚で、今はクリミア州ヤルタ市のアントン・チェーホフ博物館文化部長に転じたグルナラ・シャラボラ博士が駆けつけてくれた。グルナラ女史はP2Mメソドロジーを基に大学の戦略的PMOを運営していた、筆者が最も信頼するP2Mストラテジストである。

 ロストフ訪問後、モスクワに移動し、2日間滞在し、ここでも交流会をもった。モスクワにはフランスSKEMA経営大学院博士課程で、筆者が博論の審査員を務める予定の学生もおり、モスクワ州立大学出身者7名が講演・討論会に来てくれた。モスクワ訪問は2003年のIPMA世界大会に最高運営委員として出席したのを初回に7回目となるが、モスクワの街は来るたびに洗練されており、今や、風格は世界一であると思う。
 モスクワはいつもどんよりとしているが、今回は金曜日から日曜日まで3日とも例外的な晴天が続き、田中先生が美しい天気を持ってきてくれた、と皆におだてられた。
 土曜日夜には、当方よりの急なリクエストにもかかわらず、筆者の20年の盟友であるロシア・プロジェクトマネジメント協会SOVNETアレキサンダー・トブ会長とグリゴギ・ティプス副会長が駆けつけてくれて豪華な夕食会を開いた。新たな盟友シャフィロフ氏を紹介し、25年に亘るSOVNETとの交流の新たなページを開くべく4時間にわたり歓談した。直近では、9月第1週のカザフスタン アスタナ市でのIPMA世界大会が交流の舞台となり、来年には田中がSOVNETの極東ロシアでの何らかの事業に協力することで計画することになった。

SOVNET首脳(右2名)との懇談会 旬のロシアン・シーフード
SOVNET首脳(右2名)との懇談会 旬のロシアン・シーフード

 かくして3年半ぶりのロシア訪問は、筆者のロシアでのアイデンティティーを再確認できて、旅の質としては多分10年間でトップ3(80数回でかけているので、記憶が定かでないが)に入るであろう。
 2008年のPMAJ東京国際大会で、大会会長として「これからはユーラシアのPMの時代である」と宣言してから、若干の蛇行はあるが、趨勢はそのようになっている。ユーララシアに賭けた筆者のビジョンは、行く先々での歓迎と確かなフィードバックにより、高い達成感を得ている。
 ロシアへの再訪を諦めかけていた筆者の背中を強く推してくれたレオニド・シャフィロフ氏に感謝に絶えない。
 6月は中旬にカザフススタン政府と国連開発機構が主催する《Economic Forum Astana 2017》のパネリストとして招かれており、また、大統領府直属の行政大学院での講義が予定されている。  ♥♥♥


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