PMプロの知恵コーナー
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ゼネラルなプロ (79) (実践編 - 36)

向後 忠明 [プロフィール] :5月号

 前回はCEO の部屋に新しく赴任してくるCEO について話を聞きに行くことで終りました。

 CEOの部屋に行き新しく赴任してくるCEO は誰かと尋ねたところ、筆者が15年ほど前(1989年頃)インドネシアでJICAの仕事をしていた時に紹介されたジャカルタ事務所で次長をしていた人でした。N社にはなかなかいない活発な人で「ブルドーザ」と言われ、かなりの活動家であったと記憶しています。
 今のCEO はどちらかというと静かな人で筆者の仕事にはあまり立ち入らなかったので比較的自由に動くことができました。
 こんどのCEOはなかなか癖もあり、これまでのCEOのようにはいかないとの感触を持ちました。
 この頃の筆者の役割はかなり膨らみ、担当する部門も電気通信運用部門、営業部門、財務部門を除けばほとんどCAO の所掌となっています。
 今のCEO は主に電気通信運用部門と営業部門を、そして財務はCFOがその部門を見ていました。この時、CEO 及びCFO には日本から派遣の社員がその配下でそれぞれの役務をサポートしていました。一方、筆者のCAOとしての管轄所掌分野は各地の電話通信局や支社も含まれ、かなり広範囲であり、そのワークロードもかなりなものでした。
 しかし、サポートしてくれる日本人スタッフもいなくて、部下はすべてスリランカ人です。そのため、スリランカ人の部下に筆者の仕事をなるべく任せるようにして、いずれCAOの職務を誰かに移管しようと思っていました。
 それを今度来る新CEOに期待し、筆者はその気持ちをCEOに話をしました。

 しかし、そうはいっても人は時代の経過によって以前のインドネシアの時とは異なった考え方や行動をするものです。今度来る新任CEOの昔のイメージであまりあてにしたりするとがっかりしたり、また誤解を招いたりすることもあります。何故なら若いころはある程度遠慮なく思ったことを言ったりできるがこの年齢と立場になるといろいろと利害関係が出てきます。特に立場によって組織を取り巻く環境や自分を取り巻く内的・外的環境を分析・判断する組織認識力や、どのような行動を起こすべきかといった勘所というものが必要となります。
 このことはすでに労働組合との関係修復のためにとった行動で組織力学上、力がある管理職組合をまず味方に入れることで全体を多面的に観察し、CAO としてできる範囲での空手部創設といったアイデアで協調関係を築くことができたという経験からもわかります。

 このような話をCEO の部屋で雑談的に話をしましたが、CAOの職務の移管についてはSLT全体の経営に係る所掌部分や運営全体を考え、CAOだけの問題ではないとCEO に言われ部屋を出ました。

 そして、それから1カ月ほどして新しいCEO が赴任してきました。
 この新CEO で3代目でしたが、彼はこのSLT の 業務に関しては日本サイドで支援部隊のトップとして動いていたようです。そのため、会社(SLT)の内情についてはよく把握していたようで前回の2代目CEO と比較し、彼に対する会社の現状説明はそれほど多くする必要はありませんでした。

 筆者に関連するもので彼が一番興味を持ったことは人事統括部長の銃撃事件のことでした。この人事統括部長(以降B さんと言う)は何故今もまだシンガポールにいるのかということでした。
 2代目CEO からは業務引継ぎ時にこの件について詳しく聞いていなかったようでした。そのため、本件に一番詳しい筆者に問い合わせてきたのだと思います。
 この頃になると彼のシンガポールへの逃避行は約1年になります。新CEOは そろそろこちらに帰していいのではとのことでしたが、筆者は時期尚早と説明しました。この国の殺し屋の契約はその結果を果たすまではやめないと警察や軍にも言われていたことなどを彼に説明しました。彼は納得していない様子でしたが、話はそこで終わりました。

 この頃のSLTの経営状態は大きな問題もなく、株主総会での報告でも会社の成績は順調であり、以前に比べトラブルも少なく、民営化という意味では成功しているようでした。
 筆者の最大の仕事であった労働問題、社員のモラル向上、セキュリティーの強化、建設の進捗、人事制度の改革そして就業規則やその改善等々のCAO としての仕事もトラブルもなく進められるようになっていました。
 このように仕事をうまくやってこられたのは、何かが起きる前に手を打ってきたことが功を奏したのだと考えています。会社経営においてもプロジェクトマネジメントにおいても直感的に「何かがおかしい」と感じた時は必ず後で大きな問題やトラブルが発生します。この勘所で手を打つことが重要です。
 Bさんのシンガポール滞在のことでの新CEO と話をした時に感じたことがそれでした。それは「このことは後で大きな問題となる」のではといった直感でした。

 一方、CAO の業務も研修センターでのプロジェクトマネジメント研修も一巡し、ISO 認証の申請もできる状態となり、CAO の所掌の多くの部分を各部門のスリランカ人に移管することもできるようになり、また新しいCEOも以前のCEO 達と違って幅広く活動していることもあり、「そろそろ日本に帰っても良いのかな・・」と思うようになりました。
 この時ですでにCAOに就任して3年半にもなり、十分職務を果たしたと考え、もうそろそろ帰国しても良いかなと思い、筆者の気持ちを新CEO に伝えました。
 このような気持ちになったもう一つの理由として女房の病気のこともありました。長い間の慣れない、またいろいろな事件に遭遇し、ストレスもたまり不整脈も頻繁に起きるようになっていました。インドネシアを含め通算約6年に及ぶ海外駐在でかなり疲れたのだと思います。

 その結果、本社の考えもあるが「来年の1から2月頃を目途に諸般の事情を見て」との返事をもらいました。帰国までは3カ月ぐらいあったので、徐々に引継ぎを行い、後は女房といろいろ最後のスリランカ生活を楽しむことにしました。
 その後、このことはN本社の常務にも連絡が行ったようで、帰国も本決まりとなりました。

 1997年中ごろから2002年の1月のこれまでのSLT での職務の回想をしてみると「よくもこのような伏魔殿と言っても過言でない会社を静かにすることができたか!」と感慨深いものがありました。

 さていよいよ帰国の年になり、CAO業務を 新CEOに引継ぎ、最後の心配事のBさんのことについての送り事項として再度「絶対にスリランカに戻さないように」と強く要請しておきました。
 そして、最後の日は空手部をはじめSLT 社員達から送別会を開催してもらい、記念品までもらいました。
 SLT 社員の中には、筆者とあまり意見の合わなかったSLT の現地幹部のC統括部長も最後は涙を流しながら別れの挨拶をしてくれました。この時は筆者も非常にうれしく思うと同時に「これまで3年半やって来たことがSLTの人達にも分かってもらえたのだ!」と、この時、初めて確信を持つことができました。

 そして、日本に帰国しましたが、帰国して3カ月もしないうちにスリランカから緊急連絡が入り「Bさんがスリランカに帰国し3日もしない内の殺害された」と連絡が入りました。
 「あれほど新CEO に忠告しておいたのに・・・」と悔やむばかりで、この時はスリランカに向かい手を合わせました。
 筆者はその後もこの事件とのかかわりを一番多く持っていたので、筆者自身が次のターゲットとなるのではとの思いもありスリランカに行きたくてもいけず、今になっても一回も行っていません。

 これまでインドネシアそしてスリランカで会社役員としていろいろ仕事をしてきたが何故ここまでできたかをよく考えてみました。
 その基本はやはりいろいろなプロジェクトの経験で得られた知識や経験からくる直観力そして物事を俯瞰的に捉え、問題発見と情報収集そしてそれを具体化し解決するといった仕事のやり方がその理由のような気がします。
 すなわち、全体最適に物事を捉え、状況分析により率先して場の雰囲気をつかみ、必要なリソース及び体制を整え、迅速に行動に移せるようにすることだと思います。
 これはまさにプログラムマネジメントのスキームモデルからシステムモデルへの移行過程の内容と同じようなことだと思えます。プロジェクトも会社運営も時代背景や状況の中で複雑で不確実な問題を扱うマネジメントということでは同じです。
 これまでのプロジェクトはやることが決まっているのが前提であることが当たり前のように考えられていました。しかし、筆者のこれまでの経験からでは実際は種々の制約や外乱そして暗黙の要求などがあり、これらを認知し対策を練り、解決していくのがプロジェクトマネジャの役割と考えていました。このマネジメントの考え方は会社の社長、役員そして上級管理者の役割と同じと思うようになりました。  昨今の経営者は前の経営を引き継ぎ、大過なく会社運営をすることが重要と考え、大きな変化を望まないケースが多いように感じられます。
 この変革の時代において旧態依然とした経営そしてPDCAを回さない管理をしている企業には将来はないと思います。まさにプログラムマネジメント的思考が今後の経営者や管理者そしてプロジェクトマネジャに必要な能力と言えると思います。

 少し話がそれてしまいましたが、スリランカから帰国し、しばらくぶりの日本の風に当たるため、長い海外駐在に与えられた特権である1カ月の休暇をもらい各地を旅行しました。長く海外にいるとやはり日本という国は安心、安全な国だということをつくづく思った旅行でした。

 次の任務地は東京新橋に本社があるNC社であり、海外業務を主務とするNグループの中核会社です。
 そして久しぶりに電車に乗って出社し、常務の部屋に出かけていきました。

次は次号にて

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