PMプロの知恵コーナー
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ゼネラルなプロ (80) (実践編 - 37)

向後 忠明 [プロフィール] :6月号

 「いよいよ長い海外生活もこれで終わり」と、気持ちを切り替え、会社に久しぶりに出社し、これからの話をしに行きました。この会社とはNC社であり、N本社が分割された4社のうちの1社であり、全国長距離通信、特殊付加電話サービス、インターネットサービス・プロバイダーそして国際通信等を事業とする会社でした。
 筆者はNI社が解散されたため、このNC社に来ることになったようですが、スリランカに赴任するときは分割会社の一つであった東日本N社からの派遣でした。そのようなこともあり、筆者は事情もわからないままこの会社に来ました。

 そして、NI社の発足当初関係したNC社の常務に挨拶することになりました。ところが会って挨拶をするなり彼から「君が以前インドネシアで仕事をしていたプロジェクトがまだ完結していないので、現地から来てほしいと話が来ている」という話がでました。
 「もうインドネシアには筆者のやる仕事はないはず」と思いましたが、今頃になって「何故なのか?」と思いました。本件についていつごろの話かと常務に聞いたところ「君が帰国する約一カ月前である」とのことでした。
 確かにまだ筆者がスリランカにいて帰国準備をしていた頃そのような話があり、その頃はまだどちらになるのかはっきりしていない模様でした。念のため帰国する時の荷物をインドネシア用と日本用に分けて送る準備をしていました。しかし、帰国日直前になりインドネシアの事業に変化が出たようで「待った」がかかりました。
 その理由は、インドネシアの事業について各投資家の間で話が行われ、この事業を第三者に譲渡することになったようでした。
 この事実を常務に話をしたところ、彼も詳しい話は聞いていなかったようで、結局はこの話はそこで終りになりました。
 この行き違いは、この常務はNC社の人であり、インドネシアの事業は東日本N社の管轄であり、あまり両社での分割後の意思疎通ができていなかったようです。
 もし、インドネシア事業がそのまま続いていたら、再度のインドネシア赴任となって、筆者の所属はどちらの会社かわからないまま股裂き状態になるところでした。
 そもそも筆者はこれまでN社が分割される前の国際事業を事業の中心とするNI社に所属し、そこから、必要に応じて各投資会社にN本社の依頼で派遣されていたような立場でした。
 NC社は筆者の所属していたNI社を発展的に解消し、分割前のN本社の国際関係部門とNI社が合体して電気通信事業以外の情報関連事業を国際展開する会社として設立されたものです。
 そして筆者はNC社のITソリューション事業部というところに行くことになりました。立場はよくわかりませんでしたが当面担当なしの部長として仕事をすることになりました。
 このITソリューション事業はNC社の重要な事業部ということでしたが、金融、公共、製造業、一般企業向け交換機、サービス業等々多くの部門があり、かなり幅広い分野に及んだ事業展開をしている事業部でした。
 常務に指定された職場へ出かけていったら、筆者の知らない人たちばかりでした。最もここにいる人たちは分割前のN社の社員がほとんどであり、他の会社に入社したような感じでした。当然、配属されたその場所の人たちも筆者を知らないのも当然であり、「突然、年をとったどこかの親父が来た!」とみんな怪訝な顔をするばかりでした。
 筆者のことの事前説明のないままでの配属だったので、座る席も決まっていない状況でした。筆者は全く知らない人たちの海に飛び込んだような戸惑いがありました。その時、担当課長が筆者の所にきて誰からの指示を受けたのか知りませんが、「今ISO 9001の2000年バージョンを取得するので筆者にその仕事を手伝ってほしい」ということでそのグループの末席に席を用意してくれました。
 全くの新入社員的扱いでしたが、この会社のほとんどの社員が昔は公務員であったことを考えると腹も立ちませんでした。
 早速、ISO 9001に関連する仕事の内容についてその担当課長から説明を受けましたが、筆者はすでにNI 社にてISO9001の旧バージョンの資格取得の仕事をしていたので2000年バージョンの理解は容易でした。
 そして、席についてしばらくすると、このグループの長である担当部長がやってきて、「ISO関連の書類の作成をするように!」と担当範囲を決めてくれ、それに従い静かに仕事をこなしていきました。
 それから一カ月間は退屈な仕事であったが、新入社員のような気持ちで毎日のルーチン業務をそつなくこなしていました。

 この時は以前にエンジニアリング会社からNI社に出向し、その会社で壁を前にした席で仕事もなく、毎日を過ごした時期を思い出しました。
 最近、転職がIT会社の人に多いようですが、最初はどんなに期待されて入社しても実際の職場に入るとこれまで述べた状態になり、その後の目に見える活躍がない限り見限られるということがよくわかります。ましてや、自らの現状逃避を理由に転職する人などは言うまでもないでしょう。

 そのようなくだらないことを考えていたある日、NI社の解散直前に社長をしていた人がこのグループにやってきました。懐かしく彼の所に挨拶のため席を立って出かけていきました。
 彼はソリューション事業部の企画部長であり、このISOグループを管轄しているTOPということでした。
 彼は私の現在のこのグループでの職務や職責の現状を知ってビックリし、まず「何故、君はこのようなところにいるのか!」から始まりました。
 そして、彼からグループの全員に、これまでの筆者がやってきたことの説明を始めました。そして、筆者がこれまで仕事をしていた席から「ここに席を変えて座るように!」と企画部長の席を筆者に空けてくれました。
 彼は、NC本社ビルのソリューション事業部長のそばにも執務室があるので筆者に譲ったのだと思います。
 これには一緒に仕事をしていた社員たちもビックリしたようです。これまでいろいろと指示をしていた人たちも急にこれまでとは違った扱いを筆者にするようになりました。
 これまであまり自分の過去のことをしゃべる必要もないと思い、静かに与えられた仕事をやっていました。何故かというと、新しい職場の環境にも慣れていない時にあまり出しゃばる言動や行動をすると後々の仕事に影響もあると考えたからです。
 企画部長の話があってからはISOの書類つくりから離れることになり、もう一人いる担当部長と共に、事業部内の関係各部にISOを啓蒙する仕事をすることになりました。そして、グループ内の各部にISO担当者を配置しISO 基準に沿った仕事の進め方を周知する作業に入りました。
 以前、筆者がNI社で行ったISO認証取得の作業に比べ、仕事の内容はさほど変わりはなかったが、対象とする部門の数が圧倒的に多く、この基準に沿った手順を各部で同じように統一させることは大変でした。
 その後、取得のための各種作業を行い、いよいよそのための審査員がやってきて、事業部長はじめ、各部の部長へのヒアリングそして実際の作業手順の確認などが行われました。
 筆者はすでに以前経験したこともあり、あまり心配はしていませんでしたが担当者はかなり緊張していた様です。
 この認証は無事取得できました。
 これで何とか筆者の責任を果たした安堵感と、一つのプロジェクトが完了したような感覚を味わいました。
 しかし、取得後のフォローアップ作業がISO取得目的の本当の仕事であり、その体制作りに着手したところ、今度は我々の職場が日比谷公園前の旧N本社社屋のあるビルに移動することになりました。
 その理由はこれまでの別館での作業ではソリューション事業部全体のISO基準に沿ってのモニタリング作業ができないということが理由でした。
 ここでの主な作業は基準にそぐわない手順やプロジェクトでの失敗の原因のリストアップ、その是正処置に関する指導と原因調査、そしてその周知でした。この仕事を通して分かったことで気になったことは顧客に提出する資料類でした。提案書として記述する内容があまりにも稚拙なものばかりでした。そのためには提案書の発出前の審査が必要と考えるようになりました。その結果、提案書を提出する前にその内容を審査するための審査会を開くことになりました。その審査会とは各部から提出される提案書に対してヒアリングを行い、問題の発見とその是正を行うことが目的です。筆者がプロジェクトマネジメント及びISO 9001の審査手順を良く知っているということから、この審査を主に筆者に任されることになりました。同時に事業部長主催の部長会にも出席を求められ、朝早くからその会に出て各部の状況の説明など聞いたりしていました。
 このような仕事をしている内にこの事業部での仕事の内容も良くわかってきました。
 そして、ソリューション事業と言いながら各部の仕事がタコツボ的であり、各部間の連携もなくこじんまりしたプロジェクトをやっていることがわかりました。
 この規模の事業部であればもう少し各部の連携をとって大きな仕事をやってもいいのではないかと思いました。
 NC社の主な事業はインターネットを主とした海外及び全国規模の情報通信会社であり、そのためネットワーク業務に強いがシステム開発に弱点があるように思えました。
 そこで事業部長とも話をしてこの事業部の人達にプロジェクトマンジメントに対してその育成を考えPMBOK®に従った研修とPMP®取得を要請しました。
 また、筆者自身が前から原稿を用意していたプロジェクトマネジメントに関する本をソリューション事業部の社員教育用として出版することを事業部長と相談しました。その本がすでに出版された「ワンランク上のPMを目指して」であり、ソリューション事業部の社員に配布されたものです。
 このように少しでもこの事業部がプロジェクトマネジメントに関し、理解を深め、それに見合うプロジェクトを受注してくればと思っていましたが、残念ながらなかなかそうはいきませんでした。
 この頃になると、事業部内の社員たちもあまりにも種々雑多なプロジェクトばかりが横行し収益につながらないことがわかってきて、プロジェクトの「選択と集中」などと言い出しました。小規模で多量生産を中心とする受注または提案するプロジェクトからもっと効率の良いものに転換すべきと言うことでした。その理由はこの事業部の各部部長の動きは営業が中心であり、各部が競争で受注量の確保に専念し、プロジェクトの大小関係なく採算度外視のものも多くありました。
 社員達は忙しいばかりで書類つくりが主体となり全く効率の悪い業務の進め方でした。事業部長でもない筆者はこの状況を改革したくてもどうしようもないと思っていたところ、しばらくすると、この事業部が解散するような噂が立ち始めました。
 「やはり!!」と思っていたところ「今度新しく営業と分かれたプロジェクトマネジメントを含む技術部隊を中心とする事業部ができる」との噂が立ち始めました。
 「やっと、筆者がこれまで言っていたことが反映された!」と思っていたところ、案の定そこの新しい事業部長から「この部署に来てくれないか!」との話がありました。
 筆者はその申し出に快諾し、そこに行くことにしましたが、条件を付けました。その条件は「筆者はプロジェクトマネジャなどの業務には入りません。あくまでもプロジェクトマネジメントアドバイザーとして各プロジェクトの相談に乗る役割としてください」でした。
 その結果、この事業部に籍を置くことになり、そこではプロジェクトマネジメントアドバイザーとしての役割に徹することにしました。
 この事業部もそれぞれの業界に合わせた部門があり、各部門の担当部長がその部のプロジェクトを仕切る権限を持っていました。
 その結果、プロジェクトによっては各部長のメンツもあり相談は直接事業部長に行くこととなり、筆者にはあまり相談に来ません。
 アドバイザーとしての役割は責任の所在が明確でなく、また各部長の相談する相手は事業部長でした。そのため、筆者の仕事はほとんどないような状態になりました。
 このような状況を見て事業部長は筆者にPMO(プロジェクトマネジメントオフィス)を作るのでPMO長になってほしいといってきました。
 しかし、問題が発生した時での各社員のこれまでの対応は事業部長に相談に行くような状況でした。
 このような状況下では筆者がPMO長を引き受けてもプロパーでもない新参者の筆者に各担当部長は相談に来ないと感じていました。結局、その申し入れを断り、現在のままでいたいと思い断りました。
 これまで一緒にいろいろこの事業部(以降S事業部という)で仕事をしてきたがここの部長連中のプライドの高さとプロパーではない人への上から目線に嫌気がさし始めていました。

 ちょうどそのころ、筆者のNI社 当時の気心の通じた友達数人と新橋の居酒屋で懇親会をやっていた時、NC社の財務部が財務管理システムの更改を検討していて、パッケージ によるシステム構築か、現状システムの更改か、で悩んでいるとの話を聞きました。
 そこのトップもこの懇親会の仲間の一人であったので、この件「翌日あなたの部屋に行くので詳しく話してくれない!」と言って、翌日に彼の部屋に行くことになりました。

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