PMプロの知恵コーナー
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「エンタテイメント論」(108)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :3月号

エンタテイメント論


第 2 部 エンタテイメント論の本質

6 創造
⑧優れた発想は、発想対象に関する「知識、経験、情報の量(インプット)」に比例して生まれる。無から有は生じない。


●魚PJT
 淡水魚水族館の基本コンセプトを発想するため、あらゆる情報網を駆使し、世界中の「淡水魚水族館」を調査し、参考になるものがないかを調べた。

 米国テネシー州チャタヌーガの淡水魚園なども県職員に調査させた。しかし結局、優れた発想に繋がるものは発見できなかったが、それでも筆者は、いろいろな資料を調べた。

 そして「地球大陸移動と淡水魚移住」を見付けた。「これだ!」とアイデアが浮かんだ。この発見は、今にして振り返ると「偶然」でなかったのではと思う。多くの情報の「量」がもたらせた結果であろう。「無から有は生まれない」

●昭和PJT
 昭和村の基本コンセプトを発想するため、日本中、あらゆる似た施設を探した。県内外の多くの県職員や企業の方々に協力を願い、あらゆる知識、経験知、自治体や民営の公園情報などを集めた。それらの情報は、昭和村の設計をする時、建設をする時、運営をする時に役立った。

 計画地の形と岐阜県の類似性の発見は、今にして振り返ると「偶然」でなかったのではと思う。多くの情報の「量」がもたらせた結果であろう。「無から有は生まれない」

●小、中、高、大学、大学院の学びは、社会に役立つか?
 学校での「学び」は、世の中に役立たない! 受験勉強での学びは無意味! 創造的教育が必要!など昔も、今も声高に叫ばれている。これらの主張には一理ある。

 しかしその主張は正しいだろうか? 学校で学んだ習得要素を分析して考察する「要素還元法」でなく、もっと広い視野からの「システム・ダイナミックス法」と「夢工学式発想法」の観点から判断すると、学校での「学び」の全ては、世の中で何らかの形で必ず役に立つと考える。記憶競争である受験勉強で得た知識も、その他で得た知識も、何もかも我々の脳に蓄積されている。簡単には取り出せない。しかし発想の過程で取り出せる。発想の観点から無意味な知識は一切無いと考える。

 さて「創造性を豊かにする学校教育」が必要と主張する人物が最近特に多い。しかしその様に主張する人物は、そもそも創造活動を自ら行い、夢を実現させ、成功をさせた実経験を持っているのか?疑わしい。また彼らは、「創造教育とは、現在行われている学校教育や大学教育の内容を基盤に、創造性開発教育をすべきである」ことを認識しているか?疑わしい。

 もし当該人物が夢実現者ならば、軽はずみに「創造性教育」など口にしないはずだ。何故なら創造教育ほど難しく、厄介なものはないからだ。手短な例で言えば、筆者が夢工学式発想法を理解して貰うために、どれだけの多くの期間と紙面を割き説明しているか。ちょっと考えれば分かるはず。

 更に試験問題を自ら作ったことがない評論家、ジャーナリストなどが試験戦争、試験地獄と批判し、騒いでいる。しかしそれらの試験問題の内容を精査すれば、それなりの目的やコンテンツなどが試験に織り込まれている。試験制度に問題があるとしても、学ぶ学生は真剣である。少しでも知識を増やす機会が試験制度で与えられているのだ。如何なることでも知識は無駄にはならない。極めて役立つ。試験制度を改善する余地は沢山ある。しかし最初から制度変更を大前提として批判するのは間違いである。その内容を「何度も、何度も、そして何度も」精査して改善するべきだ。

出典:学生達 Armscoop com
出典:学生達 Armscoop com

 しかし日本の大学教育に関しては極めて重大な問題が存在する。紙面の制約から全てを指摘できないが、本稿に関係に深い一部分だけを指摘したい。

●日本の大学と大学院での問題
 それは、①科学系、工学系の教授は一応別にして、文系の教授の教える内容に「科学性の追及」が欠落しているか、極めて不足している事である。②学ぶ側の学生が、あまりにも本を読まないことである。

①日本の経営学の科学性
 前者の実例としては、日本で教えられている「経営学」が科学としてあまり研究されておらず、実務的な実証性も不足している。もっとはっきり言えば、経営、事業などの実務経験が全くない経営学者ばかりが大学で幅を利かせている。彼らの知的生産性の低さも問題である。

 しからば実務経験が無くても、純粋学問として経営学の科学性を追求する事は可能である。しかし日本では経営学が科学的に研究され、学生に分かり易く教えられていない。

 ちなみに「ドラッカー」の名前を知らない日本の教授、学生、サラリーマンは殆どいない。しかし経営学を科学として研究する世界の経営学者は、彼の名前すら知らない人物が沢山いる。何故か? ドラッカーが科学としての経営学者と見做されていないからだろう。

②本を読まない日本の学生
 後者の実例としては、筆者は、日本の多くの大学や海外の大学で客員教授、客員講師などを本職と兼務で行ってきた。その立場で多くの学生諸君の日常に接した。彼らは殆ど本を読まない。知的消費性のレベルで危機的な状況にある。

 筆者は東京大学工学部大学院で「特別講義講師」として、当時、同大学院教授であった杉原幸吉教授(現在、明治大学特任教授、数理錯覚学の権威)と共に「夢工学」を長年教えた。

 しかし東大生や東大院生は、他大学の学生達よりは多いが、それほど多くの本は読んでいない。また新しい事への挑戦心が不足していた事などを散見し、驚いた。由々しき問題である。

出典:東京大学安田講堂 Yasuda_Auditorium.jpg 出典:東京大学安田講堂
Yasuda_Auditorium.jpg

③本を読まない日本の会社員や公務員
 学生時代から本を読まない習慣は、社会人になって忙しくなると益々読まない。現在、出版界は不況業種の典型であるが、本が売れないのは、つまらない本ばかりが原因ではない。そもそも本を読む人の数が激変したことにある。

 この場合の「本」とは、雑誌は含まれていない。日本の本屋で売れているのは、雑誌とマンガばかり。一方「本」は、知的生産の結晶体である。読者がどんな詰まらない内容と思っても、著者は真剣に、自らの名前を公表し、自己責任を負って書いたものだ。優れた発想をするために、「本」を読むことは極めて重要不可欠な事である。国会図書館を除き、どこの図書館も、幾らでも「本」を貸してくれる。これを利用しない手はない。

●無から有は生まれない
 これは古くて、新しい課題である。夢工学式発想法は、「無から有は生まれない」説に立脚している。また小難しい説明で申し訳ないが、本発想法は等価変換理論にも立脚している。

 さて最新の宇宙論では、宇宙は「無」から1秒の計り知れない僅かな時間で誕生した。その瞬間 「有」と云うエネルギーが生まれ、超・超・超高温のビッグバンが起こった。それが徐々に冷やされ、物資が生まれた。その物質が結合して更なる物質を形成し、その繰り返しで現在の宇宙に至る」と説かれている。「無から有は生まれる」のか?

 宇宙は膨張している説が通説である。最終的にどこに行きつくのか? 多くの科学者は日夜必死でこの答えを求めている。また宇宙の誕生以前に何かがあったはず。それは何か? この探求にも取り組んでいる。彼らは、宇宙の誕生以前の「有」を必死で探求している事は、彼らも「無から有は生じない」と云う「在り方(基本的考え方)」を持っているからではないか。

出典:宇宙の誕生とビッグバンとその後の宇宙 Pixabay com
出典:宇宙の誕生とビッグバンとその後の宇宙
Pixabay com

 従って我々は、優れた発想をするため、発想対象に関する「知識、経験、情報の量(インプット)」を少しでも増やす努力をするべきである。何故なら「無から有は生じない」からだ。

つづく

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