理事長コーナー
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「専門家」を活かすプロジェクトマネジャー

PMAJ理事長 光藤 昭男 [プロフィール] :12月号

 築地卸売市場の豊洲への移転が迷走している。建物が完成した後で、豊洲敷地内の有害物質に対する重要な対策に関し、「『専門家会議』の汚染対策提言書」が覆され、他の工法で建設されたことが判明した。更に、主要建物の地下からは有害物質が発見された。都民の食をあずかる卸売市場として問題である。東京オリンピックとは独立した事業であるが、オリンピックが東京に決まったことで、現築地卸売市場の敷地を通過する主要幹線道路建設も絡み、豊洲移転事業の制約条件が一層厳しくなっている。大筋では移転を前提に進んでいるようだが、先行きは不確実性が高い。

 そもそも、1935年に開設された築地卸売市場は、その老朽化と取引量の拡大による手狭感により移転事業が決定された(築地市場HP:「築地歴史年表」より)。食を直接取引する市場であるためその安全性は当然ながら優先度が高い。このように市場移転事業の前提となる理念・ビジョンがはっきりしているので、ステークホールダとの良好なコミュニケーションが行えてさえいれば問題が起こり難い公共事業だ。都民への情報公開も基本的な要件だ。

 さて、プロジェクトの遂行は、深い知識と広い経験をもつ「専門家」、更には、この規模のプロジェクトを成功裏に実施した経験と実績のあるプロジェクトマネジャー(プロマネ)の両輪によりバランス良く決断され、実行されることが大原則だ。すなわち、プロジェクトの成功には、「専門家」の持つ科学・技術の知見とプロマネのマネジメント能力の双方がともに必要だ。マスコミやネットの情報からでは、移転事業がこの大原則に則って遂行されたことが読み取れない。さらに、肝心なこのプロジェクトのプロマネの顔が見えない。これらが事業迷走の原因だ。

 東京都は、「都中央卸売市場の歴代トップ4人を含む計18人の減給処分を公表した」。歴代のトップとは、「都関係者によれば処分の最も重いのは、盛り土をしない決定に関わった当時の市場長らが対象」(朝日デジタル(2016.11.25))とある。平成23年の“土壌汚染対策工事の発注仕様書”の決裁者である当時の市場長は、「中身を読まないまま押印した。盛り土をしないという内容とは思わなかった」(産経ニュース(2016.9.21))と述べている。「担当部署のトップが重要事項を把握しないまま、工事の発注を指示していたことになり、都の管理態勢の不備が問われそうだ」と続く。このプロジェクトのトップが市場長だったことが判る。そして、そのトップが重要事項を知らずにプロジェクトを実行していたという事だ。片方の車輪であるプロジェクト遂行の観点から、プロジェクトリーダーとして重大な過誤であったと云える。

 もう片方の車輪である「専門家」の体制はどうであったか。都は豊洲市場建設に向け、土壌汚染対策を協議する「専門家会議」と工法を検討する「技術会議」の二つの専門家の会議体制を設けていた。土壌汚染という複合分野の専門家を集めた会議とその施策を具体的な建造物にするという技術者を集めた会議の設置は、高い水準の専門家を集め、独立性が保たれ、かつお互いのコミュニケーションが充分であれば、優れた選択と云える。その提案内容が全体構想の中で適切だと判断されれば、進捗状況に合わせタイミング良く施策へ反映されなければならない。

 2001年豊洲の土壌には環境基準を大幅に上回るヒ素、シアン、ベンゼンなどの汚染物質が含まれていることを当時の土地所有者のガス会社は公表している。当初、ガス会社は東京都への譲渡に難色を示したが、紆余曲折の結果、都による買収が決まった。その後有害物質を含む土壌の盛土工事が行われたが、2007年、「専門家会議」は、環境基準の1,000倍に当たる高濃度の有害物質ベンゼンが検出されたと報告している。(豊洲@Wikipedia)「専門家会議」は、土壌汚染対策として、翌2008年に「用地の表土を削り取った上で4.5メートルの盛り土をする汚染対策を提言した」(日経新聞(2016.9.14))。しかし、この提言は陽の目を見ることなくコンクリート製の地下空洞部分を設ける現案が採択された。結果として「2つの『有識者会議』の機能を生かさなかった疑いが強い」(同日経新聞記事)ことになった。

 司馬遼太郎は、「坂の上の雲 五」にて準主人公の「児玉源太郎」にこう語らせている。「児玉は過去に何度も経験したが、専門家に聞くと、十中八九、『それはできません』という答えを受けた。かれらの思考範囲が、いかに狭いかを、児玉は痛感していた。児玉はかつて参謀本部で、『諸君はきのうの専門家であるかもしれん。しかしあすの専門家でない』と、どなったことがある。専門知識とは、ゆらい保守的なものであった」。従い、この状況で「専門家」を活かすのはマネジメントとしての軍人将校だ。「専門家」は、守備範囲が狭いが深く、かつ保守的であるが、それが故に信頼できるし、「専門家」は居無くてはならない。その「専門家」の能力を生かすも殺すも、マネジメントの「専門家」次第だと司馬遼太郎は述べている。豊洲卸売市場移転プロジェクトでは、「専門家」は居たが、プロマネは実質不在だ。両輪のバランスの良い関係が成り立たなくては、プロジェクトは成功しない。

 地元紙「築地新聞」は、今年の7月号の記事でこう掲載している。「今年(2016年)11月7日に“築地市場”として親しまれてきた都中央卸売市場が豊洲に移転します。しかし80年以上続いた築地市場の歴史が終わるわけではありません。食のプロや一般客に親しまれてきた場外市場の店舗は、そのまま築地の地で商いを続けていきます。さらに10月には食の新スポット『築地魚河岸』がオープン」と中央卸売市場が移転する予定の築地は、将来とも築地の繁栄に期待を寄せることがこの記事から覗える。それだけに先行き不透明感が払拭されないのは誠に残念である。ちなみに、その記事の最後に、市場移転後に残る築地の「基本理念」の記載がある。「食のプロに支持され、一般客・観光客にも親しまれる、食のまち『築地』のにぎわいの拠点となる施設」を明解に掲げている。

 各種「専門家」を束ね特定の目的・目標を効果的・効率的に達成するスペシャリストがプロマネであり、それを実現する方法論がプロジェクトマネジメントである。各種「専門家」の参画なしにはプロジェクトは成り立たない。「専門家」の能力・特性・得手不得手を理解して活用するのはプロマネの仕事だ。この豊洲移転の顛末は、P2M適用のケース事例として次世代のプロマネ研修の材料として残したい。

以 上

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