PMプロの知恵コーナー
先号   次号

「エンタテイメント論」(104)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :11月号

エンタテイメント論


第 2 部 エンタテイメント論の本質

6 創造
④優れた発想は、発想の動機(前記)が実現し、成功した状況と効果を「仮説」する事で生まれる。


●魚PJT
(1)(株)セガの協力

 本PJTの水族館が実現し、開園し、その後の追加投資も含め、成功している状況とその効果を計画段階で可能な限り、具体的に描いた。

 淡水魚の科学者や水族館の専門家などの協力を得て、実現し、成功している状況を描くと云う所謂「状況仮説」と、その状況で期待される効果を明らかにすると云う所謂「効果仮説」を完成させた。その結果、膨大な写真、絵、資料がふんだんに詰まった計画書になった。

 魚PJTの推進と実現にセガ社が協力した。セガの開発部隊は筆者がセガ勤務時代の部下や同僚であったので仕事が極めてやり易かった。彼らは、セガから岐阜県理事の公務員(公務員試験合格)になった筆者のために心からの協力をしてくれた。今も彼らに感謝している。またセガ社には足を向けて寝られない。

(2)理性と感性の事業企画書
 地球大陸の移動の一大激変の歴史、太古の祖先の淡水魚と子孫の現在の淡水魚の繋がりなど歴史を絡ませた展示物を地球史、遺伝子学、海洋学など様々な学問的研究と絡ませる。この様な「理性の状況仮説と効果仮説」と、面白さ、楽しさ、怖さなどの「感性の状況仮説と効果仮説」の両方を記述した「計画書」は、筆者を含む開発部隊にとって不可欠な資料となった。

 本プロジェクトの計画が検討される過程で計画の一部またはかなりの部分が修正、追加、削除される場合は、変更内容を迅速に適切に計画書に反映させた。その結果、その内容が開発検討メンバーの共通の設計図になり、情報共有がスムーズになった。

 またこの計画書は知事や県庁幹部職員にとって手に取る様に分かり易くなっていたので、彼らの支援が受け易くなった。更にこの計画書はプロジェクトの実行、即ち、基本設計、詳細基本設計、実施設計、詳細実施設計、そして建設の実行面で大きい効果をもたらしたことは言うまでもない。

 なおこの計画書に、感性を働かせて、分かり易い「進化の図」や「未来の魚類」を描き、模型でも本物性(リアリティー)のある魚を展示する計画を加えた。

出典:魚類の進化 Yahoo Japan
出典:魚類の進化 Yahoo Japan

出典:未来の魚 (株)セガ・エンタープライズ提供
出典:未来の魚 (株)セガ・エンタープライズ提供

●昭和PJT
(1)ウオルト・ディズニー社へのアプローチ

 昭和村の「状況仮説」と「効果仮説」の計画書は、日本語版だけでなく、英語版も作成した。筆者は、昭和村の計画と建設と運営に関してウオルト・ディズニー社の協力を得たいと考えたためである。もし同社の協力を得られれば、計画内容にディズニー色のファンタジーとリアリティーを同時に実現可能となり、日本でも、世界でも通用する全く新しいタイプの施設が出来ると考えたからである。

 この事を知事に相談したところ、即断での了解を得た。しかし問題があった。それは岐阜県がウオルト・ディズニー社に全くコネを持っていなかった事だった。筆者自身が以下の背景理由からコネを持っていなかった。

 筆者は新日本製鐵(株)勤務時代、MCA社と組んで日本初の「ユニバーサル・スタジオ・ツアー・プロジェクト」の総括責任者として、その実現に向けて推進していた。この時、MCA社はウオルト・ディズニー社を目の敵にしており、筆者や新日本製鐵(株)関係者がウオルト・ディズニー社にコンタクトしたり、接近する事を極端に嫌い、その様な行動を取らない様に強く要請された。その結果、筆者はウオルト・ディズニー関係者を誰一人知らない状況であった。

 このプロジェクトは新日本製鐵側の事情で中止された。残念であった。悔しかった。筆者はその後、某ヘッドハンター会社のヘッドハントの結果、(株)セガに転籍し、ジョイポリスを最初に実現させた。その後、岐阜県理事に就任し、本プロジェクトを開発する事になったが、ウオルト・ディズニー社とは一切の関係を持たなかった。

(2)ウオルト・ディズニー社・テーマパーク部門・ジム・コーラ社長と単独会談
 紆余曲折の末、筆者は某氏の紹介でTDKのオリエンタルランド社長に会い、彼の紹介で遂にウオルト・ディズニー本社とコンタクトを取ることができた。その結果、筆者は単身で同社に乗り込み、同社のテーマパーク事業開発の最高責任者のジム・コーラ社長との会談を実現させた。

出典:岐阜県庁 岐阜県庁より 出典:岐阜県庁
岐阜県庁より
出典:ウオルト・ディズニー社 Yahoo Japan Wikipedia
出典:ウオルト・ディズニー社 Yahoo Japan Wikipedia

 筆者は、昭和村PJTの状況仮説と効果仮説の計画書をジム・コーラ社長に提出し、岐阜県に協力して欲しい旨の直談判を行った。そしてウオルト・ディズニー社の力を借りて、日本最初の「昭和村」と云う「伝統的公園」を実現させたいことを強調する一方、同社が岐阜県に協力することは、同社が今後、世界に数え切れないほど存在する「伝統的公園」の建設や活性化のビジネスを手に入れることに繋がる事も力説した。

 同社長と筆者の2人切りの会議は時間を大幅に延長するほど続いた。彼は極めて熱心に昭和村計画を聞いただけでなく、筆者の同社への未来ビジネス展開案に強い関心を示した。そして同社長は真摯に本計画と未来ビジネス展開案を検討する事を約束し、会談が終わった。

(3)想定外の事
 筆者は、同社長との会談を終えて、礼を言い、立ち上がろうとした時、思いもよらぬ事が起こった。同社長は、筆者に席に留まる様に頼み、「全くの別件であるが、聞いて欲しい」と切り出した。

 それは筆者を「中国を含め、アジア地区のディズニーランド開発の総責任者に任命したい」と云う申し出でだった。採用条件は筆者の希望する通りにするとまで確約した。

 筆者は心底から驚いた。それまでの長年のテーマパーク事業に掛けて苦労が一瞬にして報われた気がした。本当に涙が出るほど嬉しい申し出であった。しかしその場では即答できなかった。筆者は真摯にこの提案を検討し、後日連絡することを約束し、会談をすべて終えた。

 同社長は単独会談をする以前に、筆者がMCA・新日鐵ユニバーサル・スタジオ・ツアー・プロジェクトの総責任者をしていた経歴を知っていた様であった。そればかりか提出した状況仮説計画書と効果仮説計画書の内容を見て筆者を採用する決意を固めた様であった(後日談で判明)。

(4)ウオルト・ディズニー社の岐阜県への回答
 同社から後日、「残念ながら対応できない」との丁重な断りを受けた。その理由は、同社が中国と東南アジアでディズニーランドを計画中であること、日本でのディズニーシーの計画に同社として手一杯で、岐阜県に協力する時間的余裕が無いことであった。

(5)筆者のジム・コーラ社長への回答
 筆者は自らの「夢」をディズニー社で生かせると確信した。しかし岐阜県知事が筆者を直接スカウトして正真正銘の公務員に就任して1年余しか経過していない。知事の筆者への強い期待を裏切ることが出来ないなど様々な事が頭に浮かび、本当に悩んだ。

 もし同社長の申し出を受諾すれば、筆者の人生は180度変わる。二度と巡ってこないビッグチャンスである事は分かっていた。悩み、悩んだ。そして岐阜県のためと選択した結論を変えず、知事の期待を裏切らない事を優先し、丁重に断った。

 同社長は極めて残念がった。しかしこれを機会に同社長との繋がりが続いた。同社長は、その後、独立するためディズニー社を円満に退職した。その後、筆者と再会し、「キッズワールド・プロジェクト」を推進することになった。このプロジェクトは、現在、日本に「キッザニア」があるが、その源となるプロジェクトであった。機会があれば、この事も紹介したい。

つづく

ページトップに戻る