PMプロの知恵コーナー
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ゼネラルなプロ (72) (実践編 - 29)

向後 忠明 [プロフィール] :10月号

 約3年のインドネシアにおけるPFI事業での駐在を終了し、日本に久しぶりに帰国しました。
 そして、一カ月ほど休暇をもらい日本のあちらこちらと女房と旅に出ました。
 海外に長く駐在するたびに思うのですが、日本という国は海、山ともに美しく、気持ちを和ませる素材がたくさんある国と感じます。長い海外経験のない人には感じられない感覚と言うか、故郷を思う強い気持ち、郷愁といったものが働きます。
 これを挽回するように日本のあちらこちらと回ってきました。

 一カ月もたつと、悪い癖で仕事がしたくなります。
 さて、長く海外駐在している間にNTTの再編が行われ、筆者がこれまで所属していたNTTIの存在がはっきりしなくなっていました。どこに行けばよいのかわからないためインドネシア事業を担当していたNTT東の役員に話をしたら、こちらに来れば・・・・との話でした。
 この人はインドネシアのPFI事業でのNTT側の出資株主代表として筆者に対応していた人です。
 この言葉に甘えて、この本社のある初台へ通うことになりました。
 特に担当もなくインドネシアの事業のまとめなどをしていましたが、一カ月ほどしたら、今度はNTTコムから電話がありました。
 そこで、NTTコムの本社に出かけていくと、「スリランカテレコムのCEOからスリランカにすぐ来てほしい」との連絡があったことを伝えてきました。
 スリランカテレコムにはインドネシアの事業で筆者のところで働いていた人を送り出したことは覚えているが、スリランカの事業の詳細は全く知りませんでした。
 NTTコムの担当部長の説明では「この仕事はスリランカテレコムと言った公社をNTTが役員を派遣して民営化することを目的としたものです」とのことでした。

 どちらにしてもCEO本人の話を聞かないと、筆者に何を求めているのかわかりません。そのため、事業の内容と筆者を招聘する目的を聞こうと思いスリランカに行くことにしました。
 スリランカへの飛行時間は9時間といった長い旅でしたが、スリランカの空港についてまずびっくりしたのは荷物検査が厳しく、また外へ出ると要所に兵隊が立っていて、かなり厳重な警戒態勢を敷いているようでした。
 空港からホテルへ行く道も整備されていないガタガタ道であり、また道路わきには多くの兵士が銃をもって構えていました。
 そして、ホテルへ着いたのが夜遅くであったのでそのまま床につきました。
 翌朝、朝食を食べにレストランに行きましたが、何となく周りの雰囲気もインドネシアのホテルと違った雰囲気で窓の外は薄暗く、うっそうとした木々の間にたくさんのカラスが舞っていました。
 何となく「鳥」といったタイトルの映画のシーンを思い出しました。
 そして、食事を終えてタクシーを拾い会社に出かけるのですが、その道筋もヒッチコックの映画の場面のように薄暗く、建物も何となく古く、最初の印象ではあまり良いものではありませんでした。
 更に驚かされたのは、会社の門を入るといきなり車が一段高いところに上らせられ、セキュリティーが鏡をもって車の下をチェックし始めました。後で聞いた話ですが、車の下に爆発物を仕掛けられているかどうかのチェックと言うことでした。
 そして、それが終えると銃を持ったセキュリティーがボディーチェックをしました。
 このようなことは筆者の長い海外経験でも初めてのことであり、本当にびっくりする事ばかりでした。

 そして、いよいよ本題のCEOとの話のため社長室に連れていかれました。
 CEOの話は以下の通りでした。
 「この仕事はスリランカテレコムと言う公社の民営化事業であり役員全員がNTT出身者であり、この会社の公社的体質の改革を含めた事業運営である。しかし、スリランカテレコムに限らずスリランカは労働組合が強く、この会社も同じであり、管理職組合を含め33もの組合がある。良かれと思って日本流の近代的な施策を採用してもみんなに反対され、デモが頻発している。そのため、思い通りの民営化に必要な改革ができていないでいる。 その結果として、事業運営にも支障が生じている」との話でした。

 筆者は「CEOが何故私にそのような話をするのか?」と疑問に思いました。
 よくよく話を聞くと、労働組合に関係する労務、そして人事・総務・財務・調達・法務・設備を統括するCFOが組合対策に失敗し、またCEOとの折り合いもあまりよくないようで、本人も日本に帰国したいとの強い要請が出ていたようです。
 CEOはその代わりの人を探していたようで、NTT本社に掛け合っても適当な人材が見当たらないでいたようでした。そこに筆者がインドネシアから帰国し、何もしないでいることを知ったようで筆者を指名してきたようでした。

 CEOの話から彼は何を筆者に求めているかすぐに解り「自分は技術者でありかつプロジェクトマネジメントを主務としている者なので、財務や人事、総務、労務は知識も経験ありません」と言いました。  しかし、CEOはそれでも執拗に筆者に説明をし、要請を受けるように「君はインドネシアでの企業で役員をやってきたのであれば、役員の役割は経営の健全な運営であり、技術だけではなく全体最適な能力が必要であることはわかっているはずだ!! 技術だけではなく他の職務の経験も必要である。」と言ってきました。
 そこで妥協案として「財務は企業として重要なファンクションであり、私にはまったくふさわしくありません。また総務・人事はなんとかなるが労務は難しいので外してください」とお願いしました。
 「しかし、労務が一番この企業では問題となっている部分だからこれは外せない」とのことでした。
 筆者も前回のインドネシアの事業と同じように、「何とかなるだろう!!まさにインドネシア語のTida Apa Apa」と最後は軽い気持ちで了解してしまいました。
 よって、財務は外してもらい、そのほかの役務を引き継ぐこととなり役職名はCAO(Chief Administer Officer)となりました。
 CFOは前CFOのもとでその補佐をしていたNTT出身の財務担当部長がなりました。

 その後、いろいろとこの会社の内情を聞きましたが以下のようなことがわかりました。
CEOはじめ担当役員と労働組合との確執。
そのため業務に支障が生じて、必要な活動ができていない。
スリランカ国の労働者保護に重点を置いた労働関係規約や法規が問題となっている。
組合の数が管理職組合も含め職種、各階層等33組合もあり収拾がつかないでいる。
従業員数:約9000人の企業(契約職員を入れて10,000人以上)で事業所も全国にある。
従業員の行動規範を示した規約が不明確。
遅刻、就業開始時間になっても食堂で食事をしているのが習慣的になっている。
要するに時間を守らない。
調達業務での不正や資材・機材の横流し等が多数発生している。

 この企業の状況を知れば知るほど、与えられた職務の難しさを痛感する思いでした。
 しかし、そのように思ってもすでに遅く、暗澹とした思いで日本へ再赴任の準備のため一時帰国することになりました。

 ここで少しスリランカについて調べたことを話しておきます。
 スリランカは人種的にシンハラ族(74%)、タミル族(18%)、モスリム(7%)です。
 この国は大英帝国の植民地であったものが1947年頃独立するが政治家たちは民族対立を生むような扇動を行い、1955年の選挙でシンハラ族を代表とするバンダラナイケ率いる自由党が選挙で勝利し、シンハラ語を公用語とすることで大勝した。
 この結果、公務員、大学教育からタミル人が締め出され、大英帝国時代に重用されていた優秀なタミル人が職を失うことになりました。
 これが、タミル・イーラム(LTTE)と政府の長期にわたる内戦の発端となり、17年間の間で6万人が犠牲となっていた。この内戦は2年ほど前に終わったようですが筆者のいる頃はその内戦の真っただ中でした。
 筆者のこれから長く務める電気通信事業はこの反政府側の標的になりやすいものであり、筆者がCEOに呼ばれスリランカに来る直前に会社のゲート前でテロ事件が発生し、銃撃戦があったようです。

 NTTとスリランカテレコムの民営化に当たっての経緯は、アメリカ、香港の投資家グループ、フランステレコム、コリアテレコム、マレーシアテレコムとの競争で競り勝った事業であり、その投資額は225百万ドル(約230億円)とのことでした。
 また、スリランカテレコム労働組合はこの民営化に反対し、この民営化のためのNTTの企業改革に対しても政府の一部からの嫌がらせもあり、それに連動して経営陣に対する労働組合からの突き上げがあったようです。それが上記に示した労働組合問題につながっていったようです。

 一方、話を本事業の開始当時に戻すと、多くのNTT社員が支援のためにスリランカに駐在していましたが、このNTT社員にも大きな事件が起きていたことも知りました。
 彼らが住んでいるホテルの近くでLTTEの自爆テロが自動車にて500kg爆弾を爆発させ、そのホテルの窓ガラスから窓枠まで吹き飛び、多くのNTT社員が傷ついたということでした。そのため、支援のために来ていたNTT社員は日本に帰ることになってしまったとのことでした。

 そのような事情を聴くにつけ、今回は単身赴任と考えていました。しかし、長い駐在になりそうな気配、そして毎日の生活にも影響があることから単身赴任は無理と思い、安心安全な宿舎を希望しました。その結果、スリランカで最も安全な宿舎(ヒルトンホテル系の高級マンションで、大使館の公使や日本企業の社員も滞在)ということもあり、夫婦同伴で赴任することにしました。

 そして、いろいろなこれまで経験したことのない、労務、人事そして総務と言った仕事をこれまで経験してきたプロジェクトチームでのマネジメントとどのように結び付けてやっていったらよいかと考えながら機中の人になりました。

 今月号はここまで

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