PMプロの知恵コーナー
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ゼネラルなプロ (71) (実践編 - 28)

向後 忠明 [プロフィール] :9月号

 前月号では「建設本部とファイナンス部門との確執があり工事業者からクレームが発生し、両部門に大きなコンフリクトが生じることになった。」と言う話で終わりました。

 このため、事業会社(今後SPCと言う)と株主との意見調整のためジャカルタで臨時株主総会が開かれこの調整を図ったが、結果としてはさらに複雑なことになりました。
 ファイナンス部門の意見では「キャッシュフローを極力長く持たせるため、工事業者への支払いを止め、工事をストップさせる」ということでした。それに対して、建設本部側は「キャッシュフローを長く持たせるよう支払いの猶予や小口払いで工事の続行を工事業者と話をして、予定通り進める」ということでした。
 結局、工事業者に対して少額ではあるが支払いをおこない、キャッシュフローを見ながら工事は進められることになりました。
 一方、ファイナンス部門はこの件にかかわらず、銀行団(レンダー)に対するレポーティングの不備や、ファイナンスアドバイザーをレンダーの許可なく雇い、「レンダーの金を使ってレンダーの敵を雇う」と言ったようなこともありました。このようにファイナンス部門は多くの問題を起こし、株主に対してもレンダーに対しても誤解を招くような行動を起こし、多くの業務に支障を起こしていました。
 このファイナンスの危機的状況を全く考えないファイナンス部門の危機管理意識のない行動により建設工事の進捗にも大きな影響を及ぼしました。
 このことは、次月に行われた業務監査におけるコメントでも「投資、設備建設、そしてオペレーションは問題ないが、ファイナンシャルマネジメントに欠ける部分がある」と報告されていました。

 一方インドネシアの政治状況も経済情勢も相変わらずであったが、SPCのビジネスに影響するルピア/ドルの為替レートは、以前10,000ルピア/ドルになるといわれていたがここにきて10,000を切り、9,500になりました。
 政府筋の発表では7,000~8,000ルピア/ドルになると言っているが、いずれにしてもSPCの当初のレート2,000ルピア/ドルから見ればまだまだの感があります。
 いよいよ、我々の経営努力もいよいよ限界となり、キャッシュフローのショートを目の前にしながらの工事で、支払いも充分でないために工事進捗も落ちて来ました。
 また、SPCの収入原資である追加回線の要求や公社(本事業のコンセッション契約での発注者)からの要求も多く舞い込み、頭の痛い日々が続きました。
 建設の最終段階に来ると想定外の事象や要求が多々発生することは経験からわかっているので、建設本部としてはその対処のためのコンテンジェンシー(Contingency)を予算に計上していたが、それでも予算的に苦しくなってきました。

 その後、ルピアは徐々に持ち直し、7.000ルピア/ドルになってきたが、我々の当初の事業プランからは相変わらず離れたもので、ファイナンス問題がSPCにとっては大きな問題となってきました。
 そのため、ローン(銀行借り入れ)の投入が必至のこととなり、その条件であるエクイティーの導入と、建設目標の達成を何とかしなければなりません。
 しかし、工事業者への支払いが悪くなっているためその進捗は目標月までの達成に無理があり、一方のエクイティーはオーストラリア企業とインドネシア現地企業の株主が首を縦に振らないといった状態となっていました。
 このような無理難題が建設本部に投げかけられているにもかかわらず、これに対応するべきオーストラリア側のファイナンス担当役員の無能さに頭を痛める毎日でした。

 このような状況の中、ジャカルタにおいてSPC役員と株主との合同会議が開催され、ビジネス進捗報告及びファイナンスプランについての打ち合わせが行われました。
 この時は事業そのものの原資となる通話料金収入は順調に推移していて、ルピアベースでも予定以上のものになっていました。これは建設本部の回線建設の進捗が予想以上に良かったことに起因しています。
 一方では、ファイナンスプランについては次のようなシナリオが出されていました。
No Equity, No Loan, No Budget for Line Construction
(実質的な工事ストップ及び回線販売ストップ)
No Equity, No Loan
(資金ショートとなり工事ストップ)
Equity,投入
(工事続行)
Equity, Loan投入
(工事続行)

 オーストラリア側とインドネシア現地企業株主はこのシナリオの①または②を採用することで決めたいとの意向を示していました。
 筆者の出身母体の企業とインドネシアの大手通信企業の株主は③または④で最後まで建設も販売も行うという意見を持っていました。
 この時の工事進捗状況は交換局も伝送線路と言った主要設備は100%に近い進捗率でした。
 収入源となる線路(各家庭への引き込む線の主要回線)には未完成の部分があったが、工事を中断すると対象となる線路はもう一度やり直しになります。よって、きりの良いところで工事中断する必要がある旨を報告書としてまとめ、書類にて提出しました。

 ビジネス進捗報告では回線販売も順調であり、何故オーストラリア側と現地企業の株主が資金の供出を拒むのか疑問に思っていました。どうもその原因はファイナンスアドバイザーを雇っているオーストラリア側の本社の意向が働いていたようでした。
 また、ファイナンスアドバイザーの意見がかなり彼らと現地企業株主に影響していたことも原因の一つのように感じられました。

 筆者は前の会社にいる時、ある大きなプロジェクトをインドネシアで受注し、その基本要件を固めている途中で、今回と同じような経済危機がインドネシアに発生し、顧客がそのプロジェクトを縮小したことがあります。しかしインドネシアは数年経ってから経済を持ち直したことを知っています。

 この経験から、筆者は回線だけでもより多く建設しておけば、インドネシアの経済状況の持ち直しにより回線収入も多く得られるとの思いから、工事事業者にはそのまま工事を条件付きで続けるように指示していました。
 この結果は上記に示したシナリオ①及び②に反することになるが、そのようなことに構わず、筆者は将来のインドネシアの経済回復による電話需要の回復を十分期待できると考え必要な手を打ち続けました。
 このことが大株主である現地企業株主を怒らせることになりました。
 そして、株主会が開かれインドネシア地元企業とオーストラリア企業の株主の発案で、現在のSPCの役員を解任させ、SPCの経営をスポンサーである株主が行うという話が出てきました。
 それはSPCの役員同士の意見の食い違い(建設本部とファイナンス部門)やそれを調整できないCEOを含め、SPCの業務に混乱を招いたという理由でした。
 この話で、てっきり筆者も首になるかと思い、女房に「やっと日本に帰れるから帰国の準備のための荷物整理をしておきなさい」と伝え、解任辞令がいつ来るかと待っていました。しかし、社長をはじめ他の役員の解任辞令が出ているのにもかかわらず、筆者のところには来ませんでした。
 筆者はそのような解任辞令の出されている状況の中でも上記で述べた考えで建設工事はどんどん進めておきました。
 筆者の解任については株主も回線建設の増加に伴い加入ラインの増加も見られたことから建設は必要だと思い、筆者を役員ポストから解任しなかったようです。
 ところが、株主を中心とした新マネジメントはこれまで「No Equity, No Loan」を言っていたのにも関わらず。工事業者への支払いは続行するように指示を出していました。
 この話は回線工事の業者はオーストラリア株主企業と関係の深い業者であり、彼らには手厚い処遇をしていたようです。噂では聞いていたが、何となく現地地元企業株主とオーストラリア側株主企業と裏取引をしていたように感じました。
 ジョイントベンチャー契約によりお互いの信頼関係で実行していた事業でしたが、「貧すれば鈍す」であり、全くこの二社にはあきれるばかりでした。
 筆者もこのことはわかっていたが、筆者の出身母体である企業のSPCに対する株式数が少なかったこともあり、あまり強く言い出せない状況でした。

 しかし、筆者は前々から工事の続行を推薦していたので、「これ幸い」と思い、予定通り仕事を進めることができるようになりました。そして、目標の回線の達成に近い数値で終える見込みが付きました。
 そして、筆者のトラブルシュータとしての役目も終えたことや、新マネジメントが建設事業本部に新役員となって来たのを機会に日本に帰ることになりました。

 本当にこのプロジェクトは初めから波乱含みで、当初日本側からのアドバイザーとしてこのプロジェクトを見ていた筆者ですが、建設の遅れの問題及びSPC内部の混乱から突然に建設本部長が解任され、それに伴い、筆者にその役目が回ってきました。
 そして、このSPCの建設本部内の体制の改変と各部の担当者の交代そして業務手順の見直しなどを行い、何とかプロジェクトを軌道に乗せました。
 ところがタイから始まった金融危機がインドネシアをも直撃し、プロジェクトの採算に大きく影響するルピアの対ドルレートが大幅に安くなり、当初のビジネスプランからもかけ離れたものになりました。
 同時に、暴動も起こりスハルト大統領が退任するということも起こり、そのため政治活動も停滞し、インフレ率も高くなり、インドネシア経済にさらにも大きな打撃を与えることになりました。
 そのような中でのSPCの事業経営の一端を担ってきた筆者であったが、このプロジェクトに携わって約3年半でしたが、誰もが経験できるものでない仕事を良くもうまくさばいてきたと思っています。
 また、様々な民族、文化、習慣、言語、宗教の入り混じった多様な人々から構成されたSPCで電気通信設備建設と言った海外インフラのPFI事業のプロジェクトマネジメントを体験することができ、良い経験をすることができ、かつ多くの知見を得ることができました。

 この辺でインドネシアにおけるPFI事業の話は終わりとします。
 次はスリランカの話となります。

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