PMプロの知恵コーナー
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「エンタテイメント論」(102)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :9月号

エンタテイメント論


第 2 部 エンタテイメント論の本質

6 創造
②優れた発想は、「アナロジー(等価性、類似性)」を探索して活用し、「新しい結合や分解」を加える事で生まれる。


●魚PJT
 淡水魚水族館の基本コンセプトは明確でも、水族館の中身をどうするか? この課題に取り組む際に最大の問題があった。それは体が大きく、色もカラフルな海水魚に比べて、淡水魚は体が小さく、色もそれほどカラフルではないこと、はっきり言えば、魅力、迫力に欠けていることだった。

 そのため、あらゆる情報網を駆使して世界中の「淡水魚水族館」を調査し、参考になるものを探した。特に米国テネシー州チャタヌーガの淡水魚園に県職員を出張させ、調査させた。しかし優れた発想に繋がるものを発見できなかった。困った。悩んだ。

 筆者は、ある日、ある資料を調べていた時、ある事に注目した。
地球の陸地は数億年前、1つであった。
その後、分離して現代の5大陸に分かれた。
その分離過程で陸地の魚、即ち「淡水魚」は5大陸に分離移動した。
その事は現在の5大陸の淡水魚のDNA分析から1つの大陸時代の淡水魚の祖先に辿りつくことで証明された。

 次の瞬間、「これだ!」とアイデアが浮かんだ。

 魚PJTの「中身」は、「魚」よりも地球の「歴史」をそのまま真似ることであった。大陸の移動の激変の「歴史」を水族館で具現化(真似=相似=等価)する。併せて淡水魚の祖先魚(ロボット化)と現在の淡水魚を絡ませ、淡水魚の進化を表現する。一方現在の5大陸を代表する極めて珍しい淡水魚を本水族館で見せる。こうすれば魅力と迫力が劣る「淡水魚」は地球歴史の主役として登場させられると考えた。

 以上の様なコンセプトで作られた淡水魚水族館は世界に存在しない事を確かめた。その結果、この発想を基に淡水魚の科学者、水族館の企画専門家などを集結させ、具体的な計画設計に取り組んだ。

出典:大陸の分離 ヤフー・ジャパン
出典:大陸の分離 ヤフー・ジャパン

●昭和PJT
(1)昭和村と太平洋戦争

 昭和村の「基本コンセプト」は何か? 昭和村の中で何をどの様に具現化するか? 即ち昭村の「在り方」と「やり方」について、筆者は内外の多くの学者、専門家、識者などの意見を聞いた。
しかし良いアイデア、意見は見付からなかった。困った。悩みに悩んだ。

 いつもながら新しい商品、製品、技術、プロジェクト、そして事業を考案する時、当然の事ではあるが、最も悩む事は新しい、今まで無かった「在り方(基本コンセプト)」と「やり方(具体的方法論)」を考案する事である。

 昭和村の場合、「昭和の歴史」を扱う事を避ける事ができない。昭和の歴史に最も重要な「太平洋戦争」を如何に扱うか? 悩んだ。何故なら太平洋戦争での無条件降伏は、日本の歴史に於ける最大の汚点となった。これを昭和村に取り込むと一挙に「暗く」なり、「深刻」になり、そんなものを作ったら誰も来ない。失敗間違いなしだからだ。

 太平洋戦争は、日本歴史始まって以来の本当の意味での国家レベルの戦争である。日本の過去の歴史で天下分け目の大規模の戦いと云えば「関が原の戦い」がある。しかし現代的な意味の戦争の観点から見れば、こんな戦いは単なる国内の勢力争いのローカル戦争に過ぎない。太平洋戦争と比べる事すらできない。

(2)太平洋戦争の総括
 筆者には更に悩む事があった。それは現在の多くの日本人が認識していない極めて重要な事である。それは「日本は太平洋戦争を総括しなかった事実」である。言い換えれば「日本は現時点に於いても太平洋戦争を終わらせていない」と云う事である。その証拠に中国、韓国などアジア近隣諸国は未だに日本の戦争責任を問いている。この事実を「昭和村」の中で如何に扱うべきか?現在の日本人だけでなく、未来の日本人に如何に知らしめるべきか? 悩んだ。

 本稿の若い読者には「総括」の意味が分からないと思う。敢えて説明したい。「総括」とは「戦後処理」の事である。第2次世界大戦で敗北したドイツもイタリアも「戦後処理」をした。日本は太平洋戦争で約300万人の命と推定不可能な貴重な国家と個人の財産を失った。

 昔も、今も人を殺し、財産を奪ったら「犯罪」である。犯罪者にはその罪の責任を取らせるのが当然の措置である。戦争は犯罪とは次元が異なる。しかし異ならない事がある。初めから勝てる見込みが無い事を承知で「早期講和(殴っておいて直ぐに仲直りの握手する)」を前提として国際問題を解決すると云う「子供のケンカでも成り立たない」理屈で戦争を開始した。そして多くの命と財産を失い無条件降伏した。この最終責任は誰が取ったのかと云うことである。

 この責任追及は、勝戦国の米国の主導による「極東裁判」で一方的に行なわれた。しかし戦争に背後で加担し、戦争を煽り、反対する多くの国民の発言と行動を封じ込め、多くの日本人を戦地に送る一方、故無き根拠や冤罪で戦争反対者を死刑にし、財産を没収した。この様な卑劣な行動をした人物は数多く存在した。彼らは敗戦と共に「沈黙」を守り、「逃げ隠れ」し、「行動」が目立たない様にした。

 この責任追及は日本国民と日本政府の手で行なうべきであった。しかし時の政治家も、官僚も、学者も、識者も、誰も率先して責任追及をしなかった。実際にした人物は居たが大きい流れにはならなかった。極東裁判の被告以外の上記の数多くの戦争責任者は責任を免れた。日本の勝利を願い、戦地で戦い亡くなった多くの軍人、空襲や原爆で亡くなった多くの市民は、現在の日本を見て何と思うだろうか。筆者は「昭和PJT」の開発でこの問題をどうすればよいか? 悩んだ。

(3)基本コンセプトの探索
 筆者は岐阜県理事として東京都中央区永田町の都道府県会館の中の「東京事務所」と「岐阜県庁(岐阜市)」にそれぞれ理事室を持っていた。いつも仕事の関係から東京事務所に殆ど駐在した(自宅は池袋)。

 ほぼ毎日、事務所に登庁し、理事室の席に座り、「昭和PJT」の開発予定地の地図(現在の昭和記念公園)を眺めて、いつも「ため息」をついていた。筆者の秘書官と女性秘書は理事室の外から理事室の奥で考えに耽り、頭を抱えている筆者を心配そうに見て、いつも「大丈夫ですか?」と声を掛けてきた。また理事室で「うっかり眠る」ことが時々あった。理事としてあるまじき行為である。しかし眠れぬ日々が重なったためである。

 ある日、「うっかりの眠り」から覚め、眼の前に計画地の地図が飛び込んできた。そして何となく周囲を見渡した。その時、「あるもの」が目についた。それは理事室の壁にいつも掛けてある「岐阜県の地図」であった。

 次ぎの瞬間、「はっ!」とある事に気が付いた。

 それは、岐阜県の全体地形が計画地の地形と一部を除き、ほぼ近似していた事であった。両者とも南北に広がる地形であった。岐阜県は、南部が都市地域、中部は農村地域、北部は山岳地域に分かれている。従って計画地の開発は、南区域に都市、中区域に田園、北区域に山岳というゾーン・コンセプトで纏めてはどうかと考えた。


(4)岐阜県と計画地の相似性
 更に「はっ!」とある事に気が付いた。

 それは、昭和の「ある時代」を輪切りにして、その時代の「岐阜県の姿」を空間的に具現化する事であった。この発想によって太平洋戦争時代の具現化を100%避ける一方、戦後発展した岐阜県の良き時代、今も残る岐阜の伝統を物理的に表現することが可能となった。上記の「総括」を具現化することは社会的に意義はあるが、戦争に関係するため取り上げないことにした。

 岐阜県全体をそのまま計画地に投影できるため、次々とアイデアが浮かんだ。計画地の南区域には、岐阜県の戦後の柳ヶ瀬の街を再現し、キャバレーやストリップ劇場などを設置する。中区域には田園風景、古い農家、民家などを設置する。北区域には、山林の中に最も集客力のある木製ジェットコースターを設置する一方、ゲーム・マシン、ゲーム・ライド物などの遊戯施設を製材所に似せた建物の中に設置する。そして計画地の外周を一巡するトロッコ電車と木炭バスなどを設置するなどであった。

つづく

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