依田 |
ピーター・ティール氏はイーロン・マスク氏と共同でPayPalを興した大富豪だ。日本では、テスラ・モータースやスペースXの経営者であるマスク氏の方が良く知られているが、彼らはPayPal の成功を元手に、様々な新規ビジネスを興したり投資をしている。Zero to Oneは、そのティールさんが自分の体験を下敷きにして書いた本だ。君たちとしてはどのような点が一番重要と感じた? |
橘 |
最大のポイントは、競争にフォーカスするのではなく、競争のない独占を目指せということですね。
「社会の進歩には水平的進歩と垂直的進歩がある。水平的進歩とは、既にあるものをコピーして拡大することで、グローバリゼーションが代表する。垂直的進歩とは、何もないZeroから新しいOneを作り出すことで、広い意味でのテクノロジーと呼ばれるものである。どちらかと聞かれれば、1を10にする水平的進歩より、ZeroからOneを作る垂直的進歩が重要だ。」という主張 [1] にも、すごく共感します。ただ、そうすれば市場独占の可能性はありますけど、簡単ではないですね。 |
王 |
「未来とはまだ訪れていないすべての瞬間のことだが、未来が重要なのは『まだ訪れていない』からではなく、その時に『世界が今と違う姿になっている』からだ。」 [2] というのは、何か現状を変えるということ、つまり戦略思考の原点を示しているような気がします。 |
依田 |
この本で君たちの戦略立案のヒントになるのは、「競争のない独占市場をめざすべきだし、独占的な事業で稼いでいる会社が結構多い。」ということだろうね。まあ、ティールさんの言うような純粋な独占は少ないけど、2-3社の寡占でも似たような効果が得られるからね。 |
ここで、依田さんは競争と独占の関係について説明した。
自由主義経済学では、社会的な効率の実現のために、独占を悪として、市場における自由な競争を基本原理とする。実際、計画経済の旧社会主義国における、国家による独占企業体は著しく効率が悪く、旧ソ連邦の崩壊や中国の改革・解放につながった。
しかし、完全競争とは企業にとっての利潤の消滅を意味する。経済学者の議論には都合が良くても、実際はそれでは困るから、自由主義市場経済における経営学から見れば、正当な形で競争を回避すること、つまり競争するよりも独占的な地位が獲得できれば、その方が有利だ。
ただし、注意すべきは「正当な独占」ということだ。自由主義経済では自由競争が原則だからだ。
例えば特許などの制度は、社会の発展の為に有効であるとして、一時的な独占が許される。また、自由競争的な市場でも、デファクトスタンダードなどにより、自由な競争の結果として独占を獲得することもある。その代表はWindows のMicrosoftや検索のGoogleだ。これらのケースでは、イノベーションにより、他社が追随できないような進歩を達成して、独占的な新市場を実現する。こうした場合でも、さらに新しいイノベーションにより、独占的地位をは取って替わられることも多い。談合やカルテルなどで競争を阻害することは法的にも許されないし、企業統合も競争を過度に阻害する場合は正当とは見做されず、規制される。
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王 |
著者は「起業家であれば、差別化のないコモディティビジネスを行ってはならない」 [3] とか、「現実には独占はかなり多い。独占は異変でも例外でもない。すべての成功企業の条件なのだ。」 [4] とまで言っています。 |
橘 |
でも、ZeroからOneを作り出す意義は分かりますが、普通は難しいですよね。ネットワークの外部性やデファクトスタンダードが効果的なIT・ネットワーク系の事業はともかく、それ以外の例えば製造業などでは独占というのは難しいのではないのかな? |
依田 |
いや、よく考えると製造業でも独占や寡占で稼いでいる企業は多いよ。製造業では、GEの戦略、つまり世界市場で1位か2位の事業以外はやらないというものが有名だ。独占ではないにしても市場支配力が強いものしかやらないという戦略だ。日本の会社でも、世界的に独占的な事業をしている会社は沢山ある。炭素繊維の東レの様なケースもあるが、多くは特徴ある商品に特化した中小規模の会社だ。[5] 産業エコシステムのキーになるデバイスや技術を押さえることで、独占ないし寡占の地位を得るケースが多い。特定の製品分野に特化して、品質や技術力を高め、高い参入障壁を築いている。市場規模が参入コストに比べて小さいことは参入障壁になるから、市場規模が大きすぎないことは独占には有利に働く。 |
依田 |
ブルーオーシャン戦略 [6] は、前に王君が読んだと言っていたね。この本で最も重要なことは何だろう。 |
王 |
はい。一番大事なことは、他社と血みどろの競争をするのではなく、競争がない市場を見つけなさいと言うことです。広くて穏やかな市場をブルーオーシャン、血で血を洗う激戦市場をレッドオーシャンと名付けています。大学の先生も名前ひとつで売り込み方がうまいですね。 |
橘 |
ブルーオーシャン戦略では、人々が気付いていない顧客の価値観を発見するバリューイノベーションがポイントです。価値とコストはトレードオフの関係にあるというのは単なる思い込みで、これから脱却して新しい需要を掘り起こし、競争のない市場空間を切り開くことです。 |
依田 |
概念を如何に表すか、名前は重要だね。君たちも戦略のアイデアを上司や同僚に売り込むときは、参考にする必要がある。その他に重要な議論は何かな。 |
王 |
「市場の境界を引き直す」ことで、ブルーオーシャンを発見できる、そして戦略キャンバスと4つのアクションという、そのための分析ツールを提示しています。あとは戦略の実施方法などです。多様な参考事例もこの本の特色ですね。 |
依田 |
それでは、戦略キャンバスの例を何か書いて説明してくれるかな?畑違いだろうけど、アパレルの小売りについて、ユニクロとZARAと高級ブランド服の価値曲線はどうなるだろう。前回、村上さんにしっかり説明してもらったでしょ。 |
王は、白板に図を描きながら、説明を始めた。 |
王 |
細かいデータは知りませんから、村上さんの説明から大まかに書くとこんな形と思います。高級ブランド服は、もちろんファッション性は高く高価です。商品の特質上、直営店や百貨店で、対面販売により個々の顧客に合った商品を販売することで顧客満足を得ます。一方、ユニクロやZARAは気軽に買ってもらうために、セルフサービス型の自社店舗やネット販売で安価な商品を大量に販売する方式です。また、低価格ですがZARAはかなりファッション性の高い商品を提供し、ユニクロはベーシック衣料にフォーカスして品数を絞って事業の効率を上げつつ、ダウンジャケットとかヒートテックの様な機能性の高い商品の提供に特徴があります。
ZARAやユニクロは大量販売ですから、広告宣伝も大規模ですし、やり方は違いますが、大規模な生産体制を適切にコントロールしています。
つまり、ZARAはファッション性の高い商品を手ごろな価格でという市場にフォーカスし、ユニクロはファッションよりベーシック衣料やインナーについて高機能や高品質な商品の市場をターゲットにすることで、それぞれ高い優位性を確保しています。 |
依田 |
そうだね。基本的にはこんな形になるね。
<言いつつ、依田さんは図の右側の機能性と広告・宣伝の間に点線を書き込んだ。>
ただし、戦略キャンバスの横軸は各種の競争要因が並ぶのだけど、この場合の競争要因とは顧客が何にどのような価値を見るかということだ。点線の右側の二つは、大量の生産・販売などその価値を実現するための手段であって顧客の関心事ではないから、価値曲線には含まない方が良いだろう。つまり、顧客や市場を掴むという戦略目的と、顧客には直接は関係しない戦略手段の違いだ。 |
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戦略キャンバス |
王 |
先生、一ついいですか?橘さんとも話しているのですが。<王は橘の方をちらっと見てから、依田さんに向かって言った。>
ポーターの競争戦略やブルーオーシャン戦略は、理屈としてはよく分かります。しかし、具体的な事例を考えると、成功した企業の結果を理論として説明しているだけの様にもみえます。普通は「分析して、戦略を立案して実行すれば成功する」なんて、そう簡単に理屈通りに行くとは思えないのですが。 |
依田 |
確かにポジショニング戦略については、分析がデータを重視しすぎるとか、データの乏しい新規事業への戦略には弱いのではという批判もある。昔から言われている例だが、ホンダの4輪車事業への参入、東レの炭素繊維事業などは、ポーター流に市場での競争や収益予測を分析していたら、あり得ない戦略だ。アップルのiPodだって、事前にあんな爆発的な成功は計算できなったはずだし、iPhoneでの携帯電話市場への参入なども、単なる計算で出て来る戦略ではない。 |
王 |
それでは、こうした戦略理論にはどんな意味があるのですか?私も非常に大事だとは思うのですが。理論がキレイすぎるので疑問が出てきます。 |
依田 |
ニュートンの法則もオームの法則も大変キレイだけれど、実在する現象を分析して理論化ということでは同じだよね。自然科学の法則だって、応用する特別な人がいないと現実の役には立たない。 |
王 |
特別な人?そうか、オームの法則は、白熱電球とか電熱器とかを作りたい発明家や起業家がいて、初めて理論が社会の役に立つということですね。そして、理論が何処に役立つかと言えばHowの部分であって、白熱電球とか電熱器というWhatの部分ではない。 |
依田 |
そうだ。理論とは、今ある情報を根拠に論理的に推論するものだが、新しいものWhatには何らかの思考の飛躍が必要で、論理とは別の何かが重要な役割をもつ。
戦略理論も同じだ。この場合、特別な人とは経営者とか起業家であって、経営学者ではない。Whatつまり新しい市場、新しい商品や顧客を見つけること、あるいは新しい戦略施策を考え出すことは彼らの仕事だ。こうしたWhatの発見では、経営者としての信念、思い、インスピレーションなどが飛躍の重要なカギになる。Howの部分は客観的で分かり易い。だからHowの部分すら知らないのでは、成功は覚束ない。一方、Whatの部分がしっかりなければ、戦略自体が成り立たない。市場の選択はWhatの意識が強く、競争戦略の理論はHowの要素が強い。ブルーオーシャン戦略は、市場の選択にHowの要素を加えた点に特徴があるわけだ。 |
橘 |
戦略的マーケティングも他の戦略理論と同じ話ですか?4Pとか4Cなどの形で、マーケティング・ミックスとして体系化されていますが。[11] |
依田 |
時間がないからマーケティング・ミックスの話はしないが、同じように考えていいだろう。市場の選択は戦略の最上流の要素だが、競争戦略とかマーケティングとかは、対象市場の存在を前提にした理論が中心だ。市場の選択に関しては、部分的な方法論や事例からのヒントがあるだけで、競争戦略の様な統一的な体系化は困難だろう。今日の議論で言うと、ブルーオーシャンは方法論の一種だし、独占市場を狙えというのは一つのヒントと言うものだろう。 |
王 |
そうすると、市場の選択については、どのようなアプローチになるのですか? |
依田 |
個別のケースで考えることになるね。もし、現状の市場を継続するのなら、競争戦略に関してしっかり分析して、必要な手を打つことが第一だろう。だが、新しい市場に参入したり、新たに起業しようとする場合は、どうなるかな?それまで存在しない市場の場合と、既にある程度の市場ができている場合があるだろうけど。 |
王 |
いずれにせよ商品そのものか、顧客価値か、生産手段か、販売方法か、とにかく何らかのイノベーションが必要になりますね。 |
依田 |
そういうことだ。現代は変化が速い。とりあえず現状の市場を選択しても、早晩何か新しいことを始める必要がある。半導体のムーアの法則が飽和しても、人工知能の発展が今までと違う次元で、産業を加速度的に変化させる。次々とイノベーションを続けなければ市場を失う恐れが強くなっているね。こういう時はどういうアプローチがいいのだろう。 |
橘 |
以前、1回完結の戦略ではなくて、何回も試行と修正を繰り返す創発型戦略の話がありましたよね。[12] イノベーションというのは、一発で最終的な形態が確立するわけではなくて、まず商品やサービスの形にしてみて、それが受け入れてもらえるか、繰り返し市場の反応を見る必要があります。活動して反応をみて、必要なら施策に修正を加え、再び活動することを繰り返す。それによってできるある成功のパターンが創発型戦略ということでしたね。 |
依田 |
つまり、行動の成果をフィードバックして、方向性を調整する訳だ。だから創発には大きな方向性を間違わない先見性とか洞察力が重要だ。企業のミッションとか理念は、その意味で大事だし、成功した経営者の物語とかドラッカーの本はこうした過程の参考になる。
創発型の戦略では、一サイクルを短くして、応答速度を上げることが効果的だ。新商品により市場の反応を探り、より高度なイノベーションにつなげるとか、必要ならイノベーションの方向性を変えることも必要だ。アジャイル開発などは、こうした場面でこれから重要になるのではないかな。あ、これは君たちの方が専門だな。 |