依田 |
5つの競争要因の話が先になってしまったが、市場・競争・資源という3つのいずれにも共通的に考えるべきことについて、少しだけ確認しておこう。例えば、図にも書いてある会計情報、SWOT分析、PESTEL分析などだ。
会計情報というのは会社の経理的な情報、つまり売上高とか損益とか事業上の一番基礎になる情報だから君たちもある程度は知っていると思うが、SWOT分析やPESTEL分析というのは何か知っているかな? |
橘 |
SWOTというのは、Strength, Weakness, Opportunity, Threatの頭文字で、自社の強みと弱み、市場での機会と脅威に関する分析の意味です。PESTELは、Political, Economic, Social, Technological, Environmentalと Legalの頭文字で、ビジネス環境における、政治、経済、社会、技術、環境そして法制度に関する要素の分析です。ここで環境とは環境保護とか持続可能な開発などの文脈での言葉です。 |
依田 |
君たちはSWOT分析とかPESTEL分析は今までやったことがあるかね。 |
橘 |
うーん、Tつまり技術動向の分析はいつも気にしていますが、他はあまり経験はないですね。 |
王 |
橘さん。去年プロポーザルを作るときに、競争相手の太平洋システムとの強み・弱みの比較とかやりましたけど、関係あるのじゃないですか? |
橘 |
一寸違うけど、そう考えれば部分的にはやっていると言えるのかもしれないね。 |
依田 |
多分、プロポーザルは単体のプロジェクトの話で、事業戦略の様に総合的な分析とは少し違うけれど、似たような検討の経験はあるわけだ。それでは、この図にこのSWOT分析などの3つが書いてある意味はどういうことかな?王君は? |
王 |
戦略の3つの分野の検討をするとき、これら3つも検討しなさいということですか。 |
橘 |
わざわざ聞かれたのだから、もう少し詳しく答えないといけないよ。えーと、会計情報とSとWは、会社または事業の現状を知ることで、その他は事業の環境の分析をせよということですね。特にPESTELはかなりマクロな環境の分析ですが、事業戦略というレベルではマクロ環境も無視できないということです。 |
依田 |
大筋はその通りだ。これらは戦略立案時に考えるべき前提条件でもあり、戦略案が確実に実行できるか、そして市場的・社会的に妥当性を持つかの評価要素とみることもできる。ここで注意してほしいのは、これらの分析や検討は一般論ではないこと、そして君たちの事業分野固有の視点で事業のAs Isつまり現状と環境とを分析する必要があることだ。一般的な社会環境では、例えば、少子高齢化とか中国経済とかイギリスのEU離脱とか、いろいろあるが、自分の事業への影響をしっかり見極めて、重要性の高いものについて考察する。関係の薄い分野に手間をかけるのは無駄だし、分析の切れ味を鈍らせる。
一つ質問だが、PESTELの中で、今後5年間を考えたとき、最も重要なものはどれだと思う? |
橘 |
技術と経済ですね。AIやネットワーク技術の発展、3Dプリンタの普及などはうちの業界だけでなく、世界中で大きな影響が出るでしょう。それと、当面の現実としては、経済情勢が良くなって設備投資が増えてくれないと、うちの会社はどうしても現状維持がやっとになりますね。 |
王 |
AIは影響が大きいでしょう。自分の業界に直接関係する部分だけでなく、AIによる他の技術や業界あるいは社会の変化経由の間接的影響も大きいでしょうね。 |
依田 |
世界で見るか、日本で見るか、あるいは業界、会社、個人、どの立場で見るのかによっても違うから、どれが正しいとは言えないが、マクロに見ればTつまり技術の影響が一番大きいだろうね。2000年ころまではグローバリゼーション、そのあとは新興国経済、それからネットワークの影響が巨大だった。そうしたものは既に世界の経済や産業に組み込まれている。もちろん、今でも影響は大きいが。これらにはデジタル化技術が大なり小なり影響しているが、これからの世界では、AIやiPSに代表される技術の影響はもっと徹底的だろうという予感がある。具体的にはどうなるのかわからないが、社会には巨大な変化、事業で言えば大きなチャンスとリスクを与えるものだ。これを自社の事業の将来にどう結び付けるかは大きい課題だろう。もちろん業界によっては、TよりPとかSとかが大きい影響を持つかもしれない。いずれにせよ、そうした分析を忘れてはいけないということだ。
これらについてはこの程度にしよう。あとは実際の分析で経験を積んでほしい。 |
依田 |
さて、ポーターの本に戻ると、こうした5つの脅威に起因する競争に対処するためには、3つの基本戦略があると言っているね。どんなものかな? |
橘 |
コストリーダシップ、差別化そして集中の3つの戦略です。コストリーダシップは、他社を圧する低いコストの生産・販売を実現するもので、規模の経済や経験曲線が重要です。もちろん、効率化の徹底や技術イノベーションで実現するケースもあります。差別化は、商品やサービスに他社と明確な違いがある特徴を加えることで、価格的な不利を打破することで、例えば、商品に特別な機能を付ける、高級感のあるデザインにするとかです。また、こうしたことを継続的に続けることで、ブランドイメージを確立して、優良顧客を囲い込むことなども含まれます。差別化には、コスト削減と関係ない投資が必要ですから、普通はコストリーダシップとは両立しません。つまりコストは重要要素ですが、最重要というわけではありません。 |
依田 |
差別化という言葉は、一般でもよく知られているよね。では、集中戦略というのはどういうことかな?王君。 |
王 |
集中戦略は、特定の顧客や地域の市場、あるいは商品分野に経営資源を集中することです。特定の顧客というのは、例えば若い女性、健康を維持したい高齢者、富裕層、音楽マニアというように特定の属性を持つ個人顧客、様々な業界別や地域別の企業顧客、あるいはコンビニとか通販などの様な販売チャネルによる顧客グループなど、様々なものがあります。ターゲットを絞ることで、その対象範囲では高いコスト競争力を持つことを目指すこともありますし、一方で特定の顧客層に集中して、より適切に差別化した商品を提供したり、効率的な販売を目指すこともあります。 |
依田 |
それでは、君たちの事業の競争戦略として、どれが適当だろうか? |
橘 |
システム開発サービスの業界は、対象の産業分野や業務領域が非常に多様ですから、すでに業界と業務領域ごとにかなり分化しています。最大手は業務領域単位の標準化した製品のシェアが高く、市場支配力は強いですね。彼らはコストリーダシップを持っていて、大きな利益を出しています。私たちの場合は、彼らの標準化した製品も利用して、特定の業界や企業向けのシステム開発、つまり集中が基本です。同時に顧客の業界特有の要求を先取りしたり、優れたユーザーインタフェースで現場の顧客満足とか導入費用の低減などで差別化を図ります。 |
王 |
差別化では、導入期間の短縮やメンテナンスサービスとかセキュリティなどもあります。ポーターの分類によれば、うちの会社のような場合は、基本的に特定分野への集中とその業界内での差別化になります。ただし、集中した対象を一つの市場と見れば、その小市場でのコストリーダシップという戦略もあり得ます。 |
橘 |
自社の戦略を考えるなら、結局どこに集中化するか、そこでどのような差別化によって特徴を出して行くのかです。それと、成長のためには現在の顧客や業界だけではなく、新分野への進出というか拡大の戦略も重要です。 |
依田 |
ポーターは業界構造を典型的な数種類に分類して、それぞれの競争戦略上の課題などを説明している。君たちの事業分野はどのような業界に分類されるのだろう。 |
橘 |
一面では先端業界の特徴もあるし、別の面では成熟期へ移行中の業界でもありますね。 |
王 |
一部には多数乱立型業界の性格もあります。一方、日本の会社は国内での競争がほとんどなので、顧客の海外展開への対応は別として、欧米の会社のようなグローバルな競争業界とは、かなり立場が違います。 |
依田 |
時代が違うから、例えば先端業界といってもポーターの本の事例とは違うけど、ものの考え方は参考になるだろう?どれか特定の一つの型の業界に当てはめる必要はない。例えばだが、基本は成熟期に移行する業界と考え、ただし先端的技術を導入する場面では先端業界の戦略を参考にするという考え方もあるだろう。要は、ポーターの整理をうまく利用して、自分の頭で考えた分析と戦略が大事なんだ。 |
村上 |
では、簡単に少しだけお話しします。ユニクロはお二人もご存知と思います。でも、ZARAはあまりご存じないでしょう。 |
王 |
銀座や渋谷のどこかに店がありましたね。前を通ったことはあります。 |
村上 |
ZARAはスペインの衣料メーカーですが、現在は世界最大のファストファッションブランドで、ZARA単体で世界に2,100店舗を持ち、年商が11.6Bユーロ、約1.4兆円、親会社のINDITEXが持つ他のブランドを合わせると、世界で7,000店舗、年商20.9Bユーロ、約2.5兆円の規模があります。一方でユニクロは年商約1兆3,800億円、親会社のファーストリテーリングで見ると、世界連結で年商約1兆6,800億円、店舗数は約1,600です。 |
橘 |
いずれも大した規模ですね。それで両社は世界中で競争しているのでしょうけど、どちらが優勢なのですか? |
村上 |
依田先生の言われたことは、両者の戦略の違いの説明だと思いますが、大きく分けて二つあります。その結果、両社はあまり食い合わず、それぞれ成功しているのですね。衣料品と言っても、ユニクロはどんなものを売っているかご存知ですか? |
王 |
ポロシャツとかジーンズとかですが、色とか柄が特別ではない、ベーシックなものですかね。あとヒートテックとか機能性を特徴にした下着類もあります。 |
村上 |
高級ブランド品などを除く一般の衣料品には、大きく分けて、最新のトレンドファッションアイテム、流行にかかわらず毎年売れるベーシックアイテム、その中間で最新ではないがファッション性の高いファッション・ベーシック、それとインナーという下着類の4種類に大別できます。ユニクロは、このうちベーシックとインナーの市場に集中しています。この市場の特性はお分かりですか? |
王 |
コンスタントに数が出ることとか、単価はあまり高くないことですか? |
村上 |
以前の衣料品の小売店は、利幅の大きいトレンドファッションから数が出るベーシックまで取り揃えるのが普通でした。小売店だったユニクロはファッションは捨てて、べーシックの市場に集中し、その分野で高品質・低価格の商品を開発して大量販売する仕組みを作ったのです。インナーについては高機能という差別化も成功して、単価も高めです。商品数を絞り込むこと、発注するメーカー数も絞り込むことで、少品種・大量生産の規模の経済を実現する一方、大量広告とセルフ販売方式の低コスト店を大量出店して販売量を増やすという好循環を作り出したのです。 |
王 |
ベーシック市場への集中でコストリーダシップを取る戦略ですね。ZARAはどうなのですか? |
村上 |
逆に、ZARAはベーシックもありますがファッション市場に集中しています。一般にファッション性の高いものほど売れ残りのリスクが大きいので高価になり、働く女性などマスの購買層には手が届かないものとなります。ZARAの戦略は、こうした層に対し、好みの商品を手の届く価格で提供することです。 |
王 |
なるほど。でもファッションですから本質的に差別化の方向ですね。差別化してなお低価格というのはどう実現しているのですか?売れ残りの問題もあるし。 |
村上 |
一般の会社は、そのシーズンの売れ筋を予測して、シーズンつまり3か月分の商品を準備するのですが、流行や天候で売れなければ売れ残り、売れすぎれば品切れで売り逃しが、常に発生します。ZARAの基本的な戦略は、そのシーズンに合わせてデザインした商品を、まず最初の3週間分用意し、店頭での顧客の反応を見て追加生産していくやり方です。追加生産と言っても同じ商品ではなく、売れ筋を見つけ、そのラインの新デザインの商品を生産します。これを繰り返すことで、シーズン中に商品が顧客層の好みに合わせて進化していきます。これで売れ残り・売り逃しを大きく減らします。つまりZARAの戦略は、ファッション市場に集中し、顧客に合わせたダイナミックな差別化で、その手段が高速なデザイン・生産・販売サイクルです。後者の部分はトヨタの看板方式に似てますが、自社でデザイン・生産・販売を一貫して行うのでこれが可能なのです。工場はすべてスペインと周辺にあります。 |
王 |
しかし、世界は広いから、ファッションの好みも少しづつ違うのではないですか? |
村上 |
毎シーズン、大勢のデザイナーをパリやその他の主要都市に派遣して、ファッショントレンドを調べ、年間で3万点くらいの商品をデザインするそうです。さらに、女性顧客について、専門職などの高感度の層と一般のおしゃれな層そしてよりベーシックな層と3種類のサブブランドを用意して、立地により客層を更に絞り込んだ店舗構成とするなど、販売効率を上げています。売れ残りや売り逃しをしないことや、生産・販売の効率化努力によって、気軽に買える価格を実現しています。 |
橘 |
成長段階でZARAやユニクロは、どんなPESTEL分析をしていたと考えますか? |
村上 |
時代的には2,000年前後のグローバリゼーションの社会的・経済的な流れにどう乗ったかです。多分、ZARAはソ連の崩壊やEUの成立による市場拡大と経済成長による中間所得層の拡大を認識したはずです。ユニクロは、国内市場がかなり大きいので海外市場展開は少し遅れましたが、改革開放後の政治状況を、中国の生産基地としての利用に有効と判断したでしょう。政治・経済の状況だけでなく、通信・交通の低コスト化という技術的変化も事業戦略の背景として重要だったと言えます。 |
橘 |
なるほど。同じ衣料品でも、フォーカスしている市場や戦略は大きく違うのですね。業界は違いますが、どんなところに着目するのか、参考になりました。 |
王 |
面白いお話を有難うございました。もうお帰りになるのでしょ。駅まで一緒に行きましょう。良ければ、その辺でコーヒーでもどうですか? |
村上 |
いいですね。バッグを取ってきますから、一寸お待ちください。
ニッコリして、村上さんは教員室へ戻って行った。 |